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三条河原

京都大会。1、2日目は諸事情で大阪に行っており。3日目、大津京に行く前に、「京極かねよ」という店できんし丼を食べようと思い烏丸へ。

ところがグーグルマップで見ると、まさかの休み。なんだよ、という。

仕方ないので三条河原を歩いて地下鉄に乗り山科から京阪電車に乗ることに。

三条河原は御存知の通り、江戸まで処刑場でした。石田三成や豊臣秀次が別の場所で斬首され、晒されたといわれている。

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関白の座を継承した豊臣秀次。澱が秀頼を豊臣秀吉の子供と主張したことで、謀反の疑いをかけられ、一族もろとも殺されることになる。その場所もここだった。秀頼は身長が大きく、大野治長の息子ではないかと言われていることはご存知のとおりです。

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秀次が亡くなったことで豊臣政権の基盤はゆらぎ、関ヶ原へとつながっていく。秀次を葬る事に尽力したものとみられる石田三成も、結局ここで晒された。歴史を見ると、豊臣家にとって澱は相当な「ガン」だと感じてしまう。

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自分は武田信玄の信奉者。信玄は、ここに来たかったんだろう。なにか色々と考えるものがあった。そして権力者による支配は、こういう事を必ず起こす。今の某国も同じ。もし秀次が「備え」をして居れば、また変わった。歴史はいろいろなことを教えてくれる。高知に行ったときは、「この遠さ」が倒幕の追い風になったんだろうなと感じた。

また秀次が関白として政務を行い、秀吉が後見人のような形で君臨していれば、江戸幕府はなかったかも。徳川家康は嫌いだけど、秀吉のこの形を参考にして、秀忠を将軍にして育て、盤石にしていったんだろうなと。

山科に出て、京阪電車に。大阪の私鉄も阪急・南海・近鉄・京阪と乗ったことになる。

特に電車に思い入れはないが、突然路面電車になって驚いた。

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鉄道ファンには、わりかし有名らしい。江ノ電のようなノリか。

京都タワー。前回は反対側のホテルだったので、初めて見た。

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決勝トーナメントは大阪になったので、京都訪問はこれで終わり。きんし丼を食べられなかったことだけが悔やまれる。


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