見出し画像

行ったことがある球場 鎌ヶ谷ファイターズスタジアム

日本ハムファイターズの二軍施設がある鎌ヶ谷ファイターズスタジアムです。1997年にできたとか聞いた。鎌ヶ谷駅から、送迎バス。私は美容と健康のために歩くことが多かったけど、最近は面倒になってきた。と言っても個ここ2年行ってません。

初めて行ったのは2002年。この時期の画像はグーサイドという無料サーバーに画像を予告なく消されましてありません。本当にグーサイドは今でもクソだと思います。

2002年は売店に人もまばらでしたが、土日は後楽園球場スタイルの応援で、盛り上がってました。最古の写真はこちらです。

画像1

投手糸井嘉男は本当にひどいものでした。当時から身体能力が高いから野手になれみたいな話は聞いてました。

画像2

2004年は仕事をやめてプラプラしていたので、よく見に行きました。スタンプラリーでポイントが溜まってカレーを貰ったほどです。2004年はベテランが多く。これに西浦や上田がいたわけですから。2003~2004はイースタン・リーグ連覇でしたね。

画像3

鎌ヶ谷の平日は地元のおじいちゃんたちの社交場になっています。一人「こうやまさん」という通称ははむオヤヂと呼ばれる名物親父がいましたネット裏に陣取ってマイジョッキ片手に野次りまくるおじいちゃんです。

故障あけだった石井貴に「そんなんじゃ肩壊すぞ」とやじり、にらみ合いになったり。2軍に落ちてきた飯田哲也に「もう引退か?」と言ってみたり。今どうしてるのかな。自分はそんな辛辣なヤジが飛び交う鎌ヶ谷が好きでした。

画像5

あとは、黒木知宏の引退の年、二軍で抑えに出てきて敬遠の指示にブチギレてすっごい直球投げてたことも印象的です。めちゃくちゃ吠えてて、全盛期を思い出した。この頃は、多分やる気を失っていたとは思うのですが。

画像12

画像11

画像5


こんな試合もあった。

画像6

MHPS横浜とのOP戦もありました。福地・野村両投手を品定めしていたようです。

画像7

古巣相手に石井裕也投手も投げました。

画像10

初めて行ったときは売店も軽食程度でしたが、その後地元居酒屋が入って。いつからか撤退して、今は球団がやってんのかな。日本ハム球団が鎌ヶ谷をレジャー施設にしたいらしく、自分が考えている2軍像とはかけ離れるようになりました。とにかく何をするにも、「金、金」で。スコアボードもいつの間にかビジョン付きに。

画像13

画像8

日本ハムは最近弱いですが、二軍を見ていれば弱いなってのはわかります。元々2002年当時の白井一幸2軍監督が「まず2軍で優勝、そしてそのメンバーが上に行って、優勝する」というプランを掲げていて。

必ずしもプラン通りとは行かなかったけど、当時2軍の若手主力だった選手たちが、2006、07の連覇に貢献したことは間違いないでしょう。2軍は確かに勝たなくても良いのだけど、最初から勝ちを放棄した試合では選手は育たないし、勝つためにやるべきことが身につかないと思いますよ。

田中幸雄さんは、体調不良でハムを離れちゃいましたね。

画像9


色々な考え方があると思いますが、私は選手が二軍にいたくないという環境にしないと。ここ数年行ってませんが、二軍で満足している感じが見受けられた。それと「負けてもいいや」って思って試合をしているのは良くない。

日本ハムは東京時代を汚点として考えている節があるので、もう私はファンではありません。まあ確かに東京にいるよりは、北海道で愛される存在になったほうがいいのだろうけど、歴史も対するリスペクトを感じない。

色々思い出がある球場ですが、今はもうなんの思い入れもありません。自分が行かなくたって人気があるし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?