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おばあちゃんになっても(僕とくぴぽとうのちゃんの話⑨)

2022年10月23日、西永福JAMで「私立くぴぽ学園・うの誕2022」というイベントがあった。
僕は、ガラにもなく“生誕委員”というやつをやって、ガラにもなく沢山の人と話して、ワイワイとやって、楽しんだ。
本当に楽しかった。幸せだった。
以前の僕なら、こんなことはしていなかったと思う。
アイドル現場を無責任に楽しむのが好きなオタクだったから。(今でも基本はそうだが)
ウノチャンがいる、それが全ての理由だ。

2018

ウノチャンと出会ったのは、2018年。
もう4年以上も前だ。
当時僕は地下アイドルのオタク2年目ぐらいであり、色んなアイドルさんを知るのが楽しく、知り合いのオタクが熱を上げているアイドルさんをよくチェックしていた。
そのとき関西のオタクがよくツイートしていたグループの中に代代代があり、ギュウ農に出たり関東にもちょくちょく来ていたが、でも大阪のグループか、ちょっと縁遠いなあ、と思っていた。

だが、当時新メンバーとして加入したばかりのみすゞちゃんという子がおり、ツイッターが面白く、僕みたいなツイッターのオタクともリプ返などでよく絡んで遊んでくれたので、親しみが湧いていった。
そんな過程で他のメンバーのツイッターも見るようになり、その中にウノチャンがいた。
ウノチャンのツイッターも独特で、彼女の感性や脳内から滲み出る哲学を感じさせるドキっとするようなツイートが多く、ツイッターのオタクである僕はいつも唸らされていた。
他に、作った料理や食べたものを独特の画角とフィルターでアップしており、それも凄く印象的だった。

当時代代代はサブスクをやっていなくて(音源もそれほど出ていなかったし)、曲を知るにはYoutubeにアップされた公式映像やファンの撮影したライブ動画しかなかったが、逆に、ライブ映像を通して楽曲を知ることでどんどん興味が湧いていった。

その後タイミングが合い、初ライブを観て、彼女たちの粗削りながらも小倉ヲージ氏の変態的な楽曲に食らいついていくパフォーマンスに圧倒され、また生で見るメンバー個人個人のキュートさに心奪われた。
ウノチャンのパフォーマンスは、一見、憑依型のように見えるが、そんな単純なものではない、形容しがたい凄みを放っていた。楽曲に没入し、狂気的なパフォーマンスを見せたかと思えば、別人のようにメンバーやフロアにやさしく微笑みかけたり、感情やダンスがまるで水のように流動し、形を変え、つかむことができないような、目を引かれるものだった。

その頃ウノチャンに初対面をした。

前述の通り、ツイッターやステージングを見ていると鋭さやつかみどころのなさを感じるところがあったが、実際のウノチャンは今と変わらずほんわかしており、とても優しく、日常であったことをにこやかに話してくれる、温かな子だった。
ただ、時折垣間見える、細い糸で紡がれた布の橋の上に立つような繊細さを確かに感じた。

その後2018年後半に発表された代代代の「むだい」には度肝を抜かれた。
本当に怪物のようなアルバムだ。
2022年になった今も、アイドルのアルバムでこれを超えるものはないのではないかと思っている。
凄いアルバムが出たものだ、またライブを観るのが楽しみだなあと思っていた。
しかしほどなくして、ウノチャンの活動休止のお知らせがあった。
残念だったが、ウノチャンのことを思えば納得できるところもあり、ただ、彼女の心の安寧を願った。

2019年には何回か代代代のライブを観たが、僕は結局ウノチャンに会うことはなく、ウノチャンは9月に代代代を卒業した。

その後、ウノチャンは事務所に残ってソロ活動をするという報が入ってきた。
そのこと自体は嬉しかったが、個人での活動となればグループよりもさらに負担が増えるのは想像にかたくない。僕はウノチャンがとにかく健やかに過ごしてくれていればそれでいいと思った。

2020

2020年を迎え、世界はコロナ禍となり、地下アイドルの在り方というものが一変した。
ライブアイドルがライブできないという事態はあまりにも酷だった。
あらゆるグループがそれぞれの道を模索したが、夢潰えてメンバーが脱退・卒業したり、解散するグループも出てきた。

そんな中、ウノチャンは年の始めごろに写真集を出し、継続的にツイッターをしたり、ツイキャスで配信をしたり、デコチェキを販売したりと、ライブなどのステージに上がる活動こそなかったものの、ネット上で顔を見せ、声を聞かせてくれていた。
コロナ禍となったことは、ある意味タイミングが良かったかもしれない。
「ライブをすることがアイドル活動の最大のプライオリティである」という絶対崩れなかった共通認識が崩壊したことにより、ライブをしなければいけない、という精神的負担が減り、自分なりにゆったりとしたペースで活動できたのではないだろうか。
とはいえ、ライブもなく、少し先の未来にもモヤがかかったまま漫然と活動を続けるのも不安だったかもしれない、と思うが、このあたりは僕の想像に過ぎないのでこれ以上は書くまい。

そんな中、2020年の9月にオリジナル楽曲の「パウ郎」がリリースされ、自作のMVも公開された。これがまた楽曲・MVともに素晴らしく、ウノチャンらしさに溢れていて、ウノチャンが表現したいものが作品としてしっかりと形になったことが本当に嬉しかった。

そのころ僕はくぴぽに出会ってどっぷりハマり、くぴぽのオタクとなっていたが(この辺りの経緯は以前の記事をご参照ください)、ウノチャンが活動し続けてくれていることが、ずっと心に光を灯してくれていた。

代代代卒業のくだりでも書いたが、僕は、これからウノチャンは世の中の悪意とは遠い場所で、静かに、健やかに、幸せに暮らしてくれていればそれで良いな、と思っていた。でも、ウノチャンは活動を続ける選択をした。彼女なりの感性を通じて何かを表現したいという気持ちは常に伝わってきていたし、ウノチャンは舞台の上に立ち、光を浴びて生きる人だと思う。だから、少し心配ではあったけど、ウノチャンの持つ強さを信じていた。
ウノチャンが何かを発信してくれる度に、とてもあたたかい気持ちになったし、世界に対する希望のようなものを感じていた。

2020年の12月、ウノチャンがライブに出るというお知らせがあった。
当時くぴぽも所属していた事務所のアイドル/アーティスト総出のイベントで、当時制限のあるライブばかりに窮屈さを感じていた僕は、ある種フェスのようなそのイベントに色めき立った。(当然そのイベントだって制限は普通にあったのだが、お祭りのような雰囲気があった)

しかし、そうして一瞬盛り上がったものの、どうしても心配が先に立ってしまった。
ウノチャンは1年強ステージに立っていないし、ライブ会場も横浜で、滋賀からはるか遠く離れた場所だし、また僕個人としては2年弱ぐらい実際に顔を見て話していないのだ。もはやウノチャンは現実世界に存在するのか?という感じで、当日までウノチャンは本当にライブに出るのだろうかとふわふわしていた。

そして当日。そのライブは1曲ごとにグループが入れ替わっていく特殊なステージで、一度始まったら最後までノンストップの非常に緊張感のあるものだった。
どんどんグループが入れ替わり、曲が紡がれ、独特の熱とダイナミクスが生まれていく、そんな中で、ウノチャンの出番が来た。奇しくもくぴぽの次だった。ウノチャンは確かに存在していた。光の中で「パウ郎」を歌っていた。一瞬だった。その一瞬の光景が目に焼きついている。決まった振付などはなく、声を振り絞るように、しかし力強く、ウノチャンは歌っていた。僕はただただ呆気にとられたようにそれを見ていたと思う。記憶があまりない。
その後も怒涛のように全グループのパフォーマンスが続き、あっという間にライブは終わった。

終演後には特典会があった。くぴぽを筆頭に好きなグループが多く出ていたので、それぞれチェキを回りたかったが、ウノチャンとは絶対に話したいと思っていたので、真っ先にウノチャンの列に並んだ。並んだというより、列を形成するときにスタッフさんに「ここが宇野の列です!」と主張して自分のいる場所を宇野列に仕立てた。(迷惑な話だ)

2年弱ぶりにウノチャンと話した。
相変わらず、だったかどうかは分からない。それぐらい長い時間が経っていた。ただ、ウノチャンは穏やかで、透き通っていて、やはり水のような人だった。
「ずっと応援してくれて、見守ってくれてありがとう」と言われた。
僕は本当に何もしていない。CDや、いくつかグッズを買ったりしただけだ。インターネット上で見守っていたといえばそうかもしれない。でも、とにかく、その日直接会って、その言葉をもらえて嬉しかった。
それと同時に、完全にひとつの区切りを迎えたような、「もうウノチャンと会うことはないのではないか」という気がした。

2021

2021年になり、ライブアイドルの閉塞したシーンは相変わらずだったが、アイドル、イベンター、ライブハウスそれぞれがそれぞれのできることを模索し、実行し始めていて、以前のようにはいかないが、“ライブ”を楽しめるようにはなり始めていた。
以前の記事にも書いたが、くぴぽもそれまでのライブのハチャメチャなスタイルから徐々にパフォーマンスで見せる形にシフトしており、楽曲の良さも相まって、僕はますますハマっていった。

ウノチャンも3月にライブ出演があったが、仕事で行けなかった。
年末に勝手にしんみりしていたが、ライブ活動をやってくれるんだ!というのが分かって、少し希望が持てた。
ただ、ライブの回数はそう多くないだろうなと思ったので、行けるライブがあるかな…と漠然と不安になったりしていた。

くぴぽはくぴぽで、2021年の始めから新メンバーオーディション、メンバーの卒業発表があり、グループとして好きな気持ちは変わらなかったが、感情の置きどころはだいぶ迷子になっていた。
ただ、推している子が卒業したら、これまでのような熱量で通うことはないだろうなと思っていた。

現在の僕を知っている人なら分かると思うが、ここまでに書いた僕が当時考えていた未来はひとつも現実になっていないので、人生に信じられるものなど何ひとつない。

そんな、なんとなく気が沈みがちだった2021年の6月に、ウノチャンのくぴぽ加入のお知らせがあった。

最初に通知が来てそのツイートを見たとき、僕は通勤途中で、ファミリーマートでその日の昼ごはんを買おうとしていた。五度見ぐらいした。いや、五度見では済まないであろうほど見た。青天の霹靂という言葉がここまでぴったりはまる出来事は、おそらく人生で最初で最後ではないかと思う。何も買わずに外に出て、ツイートした。昼ごはんよりもツイートすることを優先するツイッタラーの鑑である。

僕はウノチャンが大好きで、そしてくぴぽが大好きだった。ただ、それは平行して走る二つの線であって、近いようでいて、交わることのないものだと、勝手に思っていた。
まったくと言っていいほど、現実味がない話だった。
しかし、ウノチャン本人のツイートなどを見て、本当なんだ、と改めて思った。

僕はますます感情が迷子になったが、とにかく、推しが卒業する7月まではそのことを中心に考えることにした。何せその時のくぴぽはアルバムのリリース、前体制のメンバーが卒業する前に新メンバーが2人加入、しかし卒業ライブは前体制のメンバーで行われる、など、今書いていても意味が分からない、ひたすら目まぐるしいスケジュールだった。
ウノチャンのくぴぽ合流はそれらがすべて終わった後、8月からだった。

推しの卒業から8月のウノチャン加入のくぴぽ新体制あたりのことについては、去年の9月に一度noteを書いた。

この記事に書いた2021年の9月20日が僕にとって「何かの記念日」になったか、という話だが、一年経った今ならはっきりと言える。
ウノチャンが、僕にとって、本当に、本当に大切な人になった日だ。

いま

ウノチャンのことは、個人的には推しメンという定義とはまた違うところにあって(ツイートなどするときには便宜上わかりやすく推しメンと書くけど)、しかしガチ恋みたいなものとも違う、これまで出会ってきたどのアイドルさんとも違う、ウノチャンにしか抱いていない感情が確かに存在する。

この感情を定義する、説明する、というのは本当に難しくて、いや、それは逃げなのかもしれないけど、定義づけた途端にその形に決まってしまうような気がして、深く考えたくはないというのが正直なところだ。

まぁそれは、ここまで5,000字書いてきたことに詰まっているんじゃないかなと思っている。
ウノチャンと出会ってから4年が経つ。
しかし、その内の2年ぐらいはSNS上で言葉を交わしたりして見ていただけだし、ずっと推してきた、なんてことは恐れ多くて言えない。

でも、ウノチャンはずっといてくれた。
ツイートしたり、写真や動画をアップしたり、言葉をかけたら返事をくれたり、CDで声を聴かせてくれたり、そして今は、ライブで最高のパフォーマンスを見せてくれたり、直接目を見て、些細なことや大切なことをこっそり話したり、笑ってくれたり。
この4年間の僕のオタク人生の中で、ウノチャンという存在がいなくなることはなかった。

2022年10月23日、ウノチャンの生誕ライブである「うの誕」の日、たくさんの人、たくさんの笑顔、そしてウノチャンの幸せそうな顔を見て、ウノチャンがこれまで歩んできた道がここに繋がって良かったと、僕ごときが言うもんじゃないが、でもそう思った。

オタクは、ずっと、とか、一生、とか、気軽に言いがちなので、普段ネタ的に使う以外はあんまり言いたくないなあと思うし、言うのもおこがましいのだけど、ウノチャンが僕の人生にずっといてくれたように、僕もウノチャンの人生の片隅にずっと、いれたらいいなあと思う。
一生はさすがに無理かもしれないけど(人は死にますので)、でも、ずっと。

そんなことを、僕は思っている。

大好きなウノチャンへ。

(今日も家路は)つづく


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