糖衣とパンドラの箱を粉砕した服 【後編】
前回は、私の"糖衣"とパンドラの箱の中身についての禊note。
ここからは、そうしたものを破壊したモードへの個人的な想いを掘り下げて、何を感じているのか自問自答しています。
だいぶ暑苦しく語ってますが、モードファッションを制服にされている人の中には、
「え!!? 好きで似合うから着ているだけで、そんなつもりでモード着てないよ!?」という人も当然いらっしゃると思います!(すみません、それはそうです!)
その服をどんなふうに着るかは、本当にその人の自由。
それぞれの理由で選んだ洋服なので、最高です!
人には人の制服化!
ですので!
全面的に「私」と「モード」との個人的な感覚だと思ってもらえれば、幸い。
ただ、その、ごめんなさい……。
ちょっと、「ないものねだり」みたいなところがあるんですよ。
どこかで自分には、「あまりモードが似合わないんじゃないか」って、想いもあるので余計に熱くなっちゃうんだと思うのです。(惹かれてるからこそ的な……)
前編同様、怒りの禊アウトプットになります。
大丈夫そうなら、おつきあいください。
意図せずに見つかったパンドラの箱には、これまでの「真っ当な怒り」がぎっちりと押し込まれていた。私の"糖衣"の正体も暴いたモード。
この一件で、私が「着たい服」について見えてきたことがあった。
自分の怒りを自覚すると、やっぱり意識の変化が生まれてた。これまでに着ていた服のほとんどは、その怒りに呑み込まれてしまいそうだった。
こうした違和感から自問自答を重ねていくと、理想の一着につながっていくんだろう。
これから購入するなら。
怒りに耐えられる服がほしい。
防火服ならぬ「耐怒服」?
(これは造語)
私にとっては、それがモード。
モードの黒やファッションは、護符(護布?)のようなものなのかもしれない。
どうしようもない怒りから身を守り、それを制御して、推進力に変えていくための。それと同時に、自分の怒りで誰かを不用意に傷つけてしまわないように、自分の周囲も保護してる。
「モード」と「それを着ている人」との関係性を言語化するなら、『一蓮托生』の文字が浮かんだ。
モードはきっと、あらゆる方向への愛だ。(と思う)
実は、私のパーソナルカラーの1stは「ウォームスプリング」で、黄みの人。ダークカラーは軒並み得意ではなく、黒はどうしても重たい印象にはなりがち。
「自問自答ファッション」では、「制服化」の最初の1セットはシンプルな同系色やモノトーンをおすすめされているのですが、「私だったらブラウン系かなー?」なんて思ってたんです。
モードと波長が合う前は!
……待とうぜ、私!
「ブラウンの方がイメージには合うかな」とか!!!
完全にモードの前では日和ってる!?
「モードの黒」を着てみたら、何かわかるかな。
(とは言え、ブラウンもほかの色も好き♪)
これはまるっきり自分の経験則にはなりますが、どうしようもなくモードに惹かれてしまう人って、何かに怒ってたりするのかな。
もちろん、違う人だっているかもしれない。
純粋にデザインにときめいてたり、似合ってたり、好きって思ってる人だっていると思う。「怒りを表現する」ことと、そうした感情に「好きなファッション」を結びつけてしまうことに違和感がある人だっているはず。
私の場合はですが、「内側の怒り」でモードとつながってしまった感があるので、だいぶ深いところで媒介になっているという気はする。
私にとってのモードは、その存在を通して、ただ訴えかけてくる。
そのままでいいよ。
自分の形を整えようとしたり、歪めなくてもいいよ。
何かにフィットしないままでいいよ。
その身(デザイン)で、示してくれる。
「見て。こうするんだよ」
存在そのもので、"そそのかして"くる。
堕落に導くのではなくて、「覚醒」を促すために、そそのかしてくる。
まるで、痛みを一緒に背負ってくれてるような……。
さすがに重い表現だとは思うけど、「一緒に手を汚してくれる」ような気がしている。
「世間では」とか「一般的に」とか「あなたのために」などといった、誰かの期待めいた言葉に押さえつけられて、「よくわからないけど、そうするのが『悪いこと』になってる」ことをするために、「『しなくてはいけない』と思わされている」ことをしないために、力を貸してくれるという感じ。
『不特定多数の期待や、慣習に背く』。
そういう意味では「悪」の側面があるのかも。
『あたしがこんなに「好き勝手な形』でいるのに、あなただけ、きれいにまとまってる必要ある?』
モードは、「フィットしないままでいい」と言う。
私は、戦友みたいな「共犯者」をやっと見つけた気持ちになっていた。
そんな言葉を内側から掘り当てたら、べべさんのこちらの記事に出逢った。
ふらっと入ったY'sの「初モード」が「バチバチ」に似合ってしまった動揺を、ものすごく軽妙に書かれてらして本当におもしろい!
試着したY'sの服の魅力に突き動かされるようにして、その日のうちに電車でお店を往復し、べべさんのコンセプトにぴったり添った演歌バッグに巻きで、しかもタイミング良くたどり着けちゃうミラクル展開は、ドラマチックです。
出逢った人を、「その人が望む世界」へと力強く引き込むエネルギーがあるのかもって思ってしまいます。
Y'sの服をお迎えしたあとで、べべさんがおっしゃっていた、「今まで着ていた服が、強烈に違和感を放ってきます。」という言葉が本当に印象的でした。
そして、『雷に打たれた日』で紹介してくださっていた山本耀司さんのインタビュー記事を見て、絶句してしまった。
モードファッションを生み出す人たちは、やっぱり「そういうつもりでいてくれる」ことを知って、この気持ちを噛み締めた。そうか。だから、「自分の共犯者」だと感じられる洋服がデザインされるんだ。
私がモードの洋服からいくつかのメッセージを感じたのは、服とデザイナーさんとの距離が近かったことも関係していると思う。
どうか誤解はしてほしくないんですが、リーズナブルな洋服を販売しているお店に、メッセージ性がないなんて思わない。それぞれのコンセプトを満たして、たくさんの人に手に取ってもらいやすいように心を砕いてくれているはず!
いろいろな価格帯のものが必要だし、価格を抑えるために、ものすごい工夫が成されていると思う。ただ打ち出していく方向性が違うだけなんだと思う。
その上での話だけど、ショーのコレクションとして発表されたデザインが世に広がっていく過程で、どうしてもいろんな人の手を介してしまうことは避けられない。
純粋なメッセージ、エネルギーに限って言うと、デザイナーさんが、そのデザインに最初に込めた意図や意思は、遠くに広がれば広がるほど、生み出された当初の純度をそのまま保っていることは難しい。
こうやってメッセージが伝わってくるのは、私が惹かれた、魂が欲していたものと波長が合ったことと、生み出されたものにデザイナーさんたちの想いがダイレクトに乗っているからなんだろう。
そんなふうに感じた。
私がモードファッションをまとったときに、似合ってたらすごく嬉しい。
もし、試着してみて似合わなかったら?
「それでも着たい」と思える服は、はじめてだった。
サイズが合う・合わないはあるかもしれないが、似合わなくても着たい。なかまちさん、ぽたまるさん、べべさんのように、惹かれてやまない一着と出逢えたらいいな。
はい!
ここで、ハイパー個人的な見解☆発動!
これはモードに限った事ではないけど、誰かの意図によって選ばれたものには、ある意味で「その人だけの実用性」というものが宿るんじゃないかと思うようになった。
例えるなら、宇宙服や砂漠で携帯する水袋のようなもの。今のところ宇宙空間で人類に宇宙服は必須だし、砂漠で水を失ったら生命に関わる。
「その宇宙服、あなたのパーソナルカラーに合う色じゃないのに着るの?」
「動物の内臓で出来た水袋を持ち歩くイメージないから、それ使って飲むのやめたら?」
──そしたら、その人どうなる?
意図があることを真っ向から否定されることは、私には限りなくそれと同等の事態であるように思えてきてしまった。
(私自身も気をつけたい! こういう極端なこと言ってるあたりで面倒くさい人の部類には入っちゃうと思うけど、押しつけないように心がける!)
デザイン的には奇抜に思えるものもあるかもしれないが、モードってたぶん、ある意味ではものすごく「実用的な服」なんだと思う。
だから、私はモードの領域を狭められることに過敏になってしまった。
そのあたりの経緯は、前編に書いてあるとおり。
目にしたあの言葉が、モードから自由を取り上げているように思えて王蟲が飛び出した。
私の"糖衣"とパンドラの箱を粉砕に導いた、直接の原因になる。
こうして冷静になれば、気づきのきっかけにはなっているので転機といえば転機だが、だからといって賛同はしない。(文字に起こすと、かなり強い言葉にはなってしまうけど)
だって!
モードってさあ、
魂で着ればいいんじゃないのぉぉぉ!?
モードの自由を削られることは、私が「フィットしないでいられる領域」を削られてしまうということになる。
自己犠牲のようにも思える献身さと、相反するようなクリアな自立性で、ひたすら寄り添ってくれる大切な共犯者を歪められているような感覚になる。
(おお。これは言語化すると、我ながらちょっと怖い……!)
実際には、モードはどこまでも「自由」なんだろう。ただ、私が枠にはめられたような気がして苦しいだけだ。
勝手な想像だけど、無意識にでもモードの領域を狭めようとするのって、あんまり怒ってはないんじゃないかなって思ったりもする。その人がどう付き合っていくかについては、その人におまかせなんだけど、「自分に」じゃなくて、「他人に」向けてそうする場合。
たぶんだけど、あらゆる「悦」の成分の方が強めのような気はしてる。
もし、怒ってたら。
フィットしないでいられる生息地を狭めるようなことは、しないんじゃないかなあ……。
まあでも、自分のことだってこんなにわからないのに、ほかの人の本当のところは、きっとわかりようもない、ってことなんだよね。
わかったのは、自分がモードを着たいんだな、ってこと。
なんだかまるで、深夜のラブレターのようなテンションで申し訳ない。(だが、そんなの書いたことはない)
まだ名前しか知らないミステリアスな転校生に、一目で入れ込んでしまったような気分。(もちろん、そんな経験もない)
前後編の長い長い禊noteになってしまいました。
では、ここで懺悔(?)します!
これだけ「モード!モード!」と騒いでおいてアレですが!
私は、フリルとかレースの感じも好きです!
ジャガード織とかゴブラン織とか、ときめきます!
ただ、その感じが甘さに強く振ってしまうのは、今の気持ちとは離れてる気がします。
自分の中に「あると自覚した怒り」に対処できる服。
その怒りを、クリアで力強いエネルギーに変換できる服が着たい。新たに生まれてくる怒りは、その都度処理していかないといけないけど、溜め込んでた分については再利用にまわせそう。
(さすがに全部すっきりしたわけではない。積年なのでね)
これを自分の変革や推進力に使う!
こうやってアウトプットしたことで、「なかったことになっていた怒り」がより解放に進んでいると思う。
実は、不思議な夢を見ました。
この禊noteを、あらかた書き上げた頃の話です。苦手な人もいるかもしれないので、ぼかしながらサラッと説明!
そんな夢でした。
(苦手だったら、ごめんなさい!)
でもこれ、目が覚めてから気づいたんですが、夢で見たタイプの生き物は、実際には糸を吐くような能力は持ってないんですよ。だから余計に、『もンのすっごく硬度のある糸を、力いっぱいねじ切った!』っていう行為が象徴的に思えてきて。
『なかったことにしていた怒りの、不毛なエネルギーを「認識」して切り離しました』っていうメッセージなのかな、と。
思い返してみると、夢で捕まえたのは(×2)。
なので、もうひとつはたぶん「アレ」のこと、かな……。
(2023年の今年、新語流行語大賞をとった「アレ」ではない)
自問自答をしていく過程で、少しずつ気持ちがまとまってきている気がする。ただ、それについては揺らぎがあるので、自分の心地よさを信じたい。
それにしても!
"糖衣"を"糖衣"と理解する前にふっとばした、モードの破壊力がスゴイ!
頭で考えているだけでは、"糖衣"もパンドラの箱もそうそうすぐには見つからなかったと思う。過激な"本体"が出てこないままでは、自分の目指していく内側には出逢えないんだろう。
これからどうしていきたいかは、引き続き自問自答。
モードは、長年積み重なった"糖衣"の層にヒビを入れて、余計なものを粉砕していった。"糖衣"ゼロの状態から、今度は何を再生していくんだろうか。
いつか、Y'sのエネルギーが満ちたものをお迎えしたい。先取りしてきた、あの未来に追いつけるように。
「その日」に、自分を重ねるようにして!
たまーに、こうやってクシャナと王蟲が出てくるかもしれないんですが(!)、よかったら今後もお付き合いよろしくお願いします!
\自問自答ファッション/
気になるなら、すでに巣穴を掘ってらっしゃいますよ~!
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