不惑


1999年に高校を卒業した私はその年の5月に渡米した。
2001年9月にテロが発生。12月に帰国。

それからずっとふらふらしている。




高校卒業したあと、5年くらいは、
この間高校卒業したばかりって気分で
本当に何にも考えずに生きてて
24歳で母親に、
「あんたこのままでいいの?」って言われるまで
ただただぼんやりしてた。


でーそういえば、私ずっと中国語やりたかったんだって思って
(なんでアメリカ行っちゃったんだって話だけど)
そろそろ動くかってなった時にSARSがあったり、
反日デモがあったりで…。


アメリカにいるとき、よくしてくれたのが台湾人ばっかりだったんで
大陸にいきなり行くのはやめようと、(やっぱり考えが甘い)
半年台湾で中国語・中華文化に慣れてから、
それから大陸に渡ろうと思ってた。


で、2004年2月に台湾・高雄へ。


めちゃくちゃ台湾よかった。本当に最高!

人もいいし、親日だし、ご飯はおいしいし、
もう、ずーっと台湾でもいいかなと思い始めていたけれど
為替をよく把握してなかったせいで、早々に予算オーバー。

かなり最初から飛ばして散財してしまった。
(航空便でどんどん日本にお茶を送ってた。)


というわけで
またまた私の悪い癖で、半年日本でバイトしてまだ戻ってくると
友人たちには告げ、帰国してはや10数年。

台湾にも戻らず、本願の中国大陸にも渡っていない。


今は中国ドラマで勉強した気になってる日々。



子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰 矩。

『論語』

40歳にもなれば、迷うことがなくなる。


へっ。
全然、無くならないねー。
迷うというか、ずっとふらふらしてて
ずーっと責任から逃れてる。


同級生の著名人で代表格と言えば
松坂大輔。


高校時代からものすごい活躍、大リーグでも活躍した。
私は野球しないけど、ただ同級生ってだけで
松坂世代なんだよなー、って彼の活躍は追ってました。

いろいろあって、とうとう2021年引退。


時代が一つ終わったなーってしみじみ。



まさか自分が40にもなって、ふらふらしてるなんて
高校生の時には思いもしなかった。

高校生の時にもなんにも将来について考えてなかったし
そりゃー、幼稚園の時に考えることをやめてしまったから
その結果がこれ!は、当然と言えば当然。


このままなんにも考えないまま、
やはり20年はあっと過ぎ去り
60でもふらふらしてそうだけど。


一生ふらふらしていたいわけでもない。
ただ、何事にもパッションが無いんだなとつくづく。


「やりたくないこと」は、はっきりしている。

それは責任を負うこと。
自分の面倒も見れないのに、他人の人生に責任負えない。

結婚出産を始め、部下を持ったり、だれかを指導したり
車の運転すら怖いので免許も持っていない。



だから素直に医者ってすごいなって思う。
人の命って取り返しがつかない。
何人か殺して初めて一人前になるって言われるけど
絶対私はそんなメンタル保てないわ。



それも含めて、人間ってそれぞれの度量があるんだと思う。
昔から考えてのは救命ボート。


私の救命ボートは8人乗り。
既に私が二人分の重量があるので、残りは6席。
そこに猫2匹と母親と妹、今はさらに妹の子供が2人。
これで猫のエサ積んだら、もう誰もだれも載せられません。


だから、何かあった時
私の救命ボートに乗りたいよーって言ってくる人がいたら
ただただ困る。

断れない性格だし、断らなかったら結局全員沈んじゃう。



というわけで、
自分の救命ボートを確実に持っている人とか
他にも救命ボート確保している人ならいいんだけど。

そうそう人に救命ボート確保しているかって聞けないでしょ。
(っていうか、聞かれても意味わからんやろうが)

要するに他人の責任を負うような関係性とか社会的な立場を
チキン過ぎて築けない。

だから結局、親友って言われる人とか別に必要ない。
立身出世とか興味ない。
って短絡的に答えだしちゃう。



というわけで

私の救命ボートには乗れられませんって、いつも謝りながら
他人と距離を測って生きてるんだなぁーと
つくづく、
しみじみ。


そうねーよくよく考えれば、誰かを乗せてあげられないだけでなく
誰かの救命ボートに乗せてくれとも言えない質だな。
(こっちの方が厄介な問題かも)


っていうか、私って8人乗りの救命ボート持ってるのか?
(はい、迷宮入りしました)



話がそれにそれてしまったが、


ふらふらし続けるには、まだまだ長い道のりで
それなりに社会からの重圧に耐えるだけの根性もいるし
誰かの責任は負いたくないものの、もう2人勝手に増えてるし
他人に頼れないから、何とか死ぬまで労働し続けねば。

えーっ、責任逃れのわりに結構イバラの道やな。




夢や希望がある人生は、それに向かい夢中になって突き進めるので
言ってしまえば、迷いが少ないのかな。

日々メリハリも持てるし、仲間との出会いや世界も広がる。
メリットは多いし、人生を全うするには賢いツールだな。



でもしかーし、こちとら夢がなーいのですよ。


ラストチャンスは50かな。
天命が降ってくれるといいんだが…、
(やっぱり甘いな、大甘でっせ)

人事を尽くして天命を待つ




何事も人間側が最善を尽くしておかないと
そりゃー神様だって天命を降ろせませんよ。


望みは薄そう。



人間努力できるのも才能。

でも寝食を忘れるほど没頭できるもの
情熱を傾けられるものに出会えるかは
個人の努力の範疇ですかね??



松坂大輔を見てるとラッキーだなと思いますね。
別に才能があるってことだけじゃないですよ。


多くの人を華麗なプレイで感動させるだけじゃなく、
艱難辛苦も全部あらわにして、あんなボロボロになるまで
やり続けるなんて、苦行ですよ苦行。


誰にも強制されるわけでもなく、
生活の為でもなく、
地位や名誉の為でもないですよ。


だから、結局はパッションですよね~。


そういうものや人に出会える人は本当にラッキーだと思います。
成功するかはさほど重要じゃないんじゃないかな。




ここまでふらふらできるのも、ある種の使命だと思って
もうしばらく、夢の無い日々を生きてみますか。






















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