見出し画像

菜なれ花なれ第ニ話感想

最初からネタバレなのでご注意を

1)モラトリアムの時代

まだ物語の全体像が見えて来ないね
けど、そこが面白い

主人公のかなたが競技チア強豪校の期待の新人であり、トラウマで競技出来なくなっていると言うことは分かった
その辺りは初回の匂わせでほぼ分かる様に描いてはいたけれど

そして他のキャラクターも少しずつ満遍なく描かれて行く

杏奈の配信は実は音楽サイトで楽曲編集はお手のものらしく、なんでも取り入れようとする積極性が取り柄っぽい
穏花はまだ杏奈のサポート役に徹してるけど、仏具屋で地域の繋がりが深いかもしれない
詩音は新体操の有名人だけど実はシンガーソングライター希望で作曲が出来る、けど歌は音痴っぽい
涼葉はパルクールの有名人だけど、何処か虚無的で、何故か詩音に興味を持っている
そして恵深は病気療養中で全員のベース的な立ち位置になりつつある

これらのキャラが、杏奈に出演依頼されたり、ご近所で付き合ったり、興味を持ってついてきたりとなんと無く集まり、明確な目的も無くただ親交を深めて行く

なので、物語の核心になる部分がどこにあるのかまだ分からない

こうして関係性が少しずつ構成されていく感じは物語として贅沢で楽しい

学生時代のモラトリアムの雰囲気であり、そんなふわふわした漠然とした期待に浸る感覚は得難いものだ

2)自由と不安と物語

とは言え、ふわふわした雰囲気の中に、漠然とした不安も存在してる

一つはかなたのトラウマだ
元々チアの優勝校のホープだったかなたは、言ってみれば、「日本で一番高く飛ぶ中学生」だったのかもしれない
それがトラウマで飛べなくなっている

そして、その目の前にパルクールで自由に空を飛ぶ涼葉が現れる

彼女のパルクールは自由だが、それは何処か虚無的で、まるで現実の束縛から逃れたいかの様に、人様の家の屋根とかもお構いなく飛んで行く

熱い情熱を持っているのに飛べないかなたと、虚無的にただ自由に飛ぶ涼葉は、合わせ鏡の様に対照的だ

涼葉を追いかけて一度は飛べたと思ったかなたも、競技チアへの復活を賭けて飛ぼうとすると、やはり飛べない

かなたの絡まった心を解く鍵が何処にあるのかが気になってくる

そして、より大きな不安もある
かなたと同じ様に競技チア復活を望むキャラがもう一人
車椅子に乗る恵深の病気療養は、本当にチア復活出来るほど回復できるのか

未来があって自由に何でも出来そうな彼女たちだけど、一方では自由にならないかもしれない現実がその裏に張り付いてもいる

彼女達が何を目指して、何を掴み取り、何を失うのか
そんな風に色々と物語を夢想している

3)評価について

とまあ、なれなれを楽しんでいるのだけど、ネットを眺めていたらこの作品の評価があまり良くなさそうなので、少し驚いた

曰く
・現実的な描写じゃない
・こんなパルクールは迷惑行為だ
・ハナヤマタにそっくりだ
これらが駄目らしい

人にはそれぞれ許容範囲が有るし、倫理観も有るし、拘りも有るだろう
けど、それらに囚われるのは実に勿体ない

物語の中にウソは沢山ある
そのウソを許容できないと、恐らく全ての物語が許容出来なくなる
勿論許せないウソもあるだろう
安易な快楽や感動を押し付けるウソとか
結局、許容の可否を判断するのはただ作り手の誠実さだと思うが、それを判断するのは実はかなり難しい
つまりウソを受け入れるのは物語を受け取る一つのテクニックであり、常識に囚われない子供でないのなら、そのことを認識しておかないとすぐに物語がつまらなく感じてしまう淋しい視聴者になると思っている

倫理観を振りかざすのも考えものだ
違法行為をするキャラが出た途端に鬼の首を取った様に論い否定する
違法を不快に思う倫理観は立派だが、その行為がどういう立ち位置で行われているかで倫理は常に揺れ動くもの
ましてや非現実の物語内ではその幅も大きい
これも物語を受け取るテクニックとして認識してないと、何でもかんでもすぐに拒否反応を起こす悲しい視聴者になってしまう

そして、過去作との共通点を否定する行為
多くの作品を見てきた者程陥る罠とも言える
結論を言えば、全ての物語は似てくる
自身が人より多く作品を観たと言う自負が大きい者ほど、いつまでもそんな事に気が付かない恥ずかしい視聴者になってしまう

長く物語を楽しむには、こんな心構えが必要だと思ってる

ましてや、多くの登録者を抱える感想系配信者などは、自身が既にマスコミである事を自覚しないと、これらの心構えも無く未熟な思考により作品を否定する行為は立派な迷惑行為であり、自身こそ倫理的に問題行動をしてると自覚すべきじゃないかと思ってる
本当に残念だよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?