見出し画像

ラジオのおまけ(A面)

このタイトルつける時に「CD A面B面 死語」と検索で出て来てゾッとした青木です。そうだよね…いまは…さぶすく?…だもんね…。

※捕捉


「あてどなしってなんで人集めて公演しないんですか」的なという質問をラジオ内に組み込もうとしたのですが、【現実面】と【エゴと未練がたらたらの面】でごっちゃになったのでわけました。きまぐれで作ったけれど、この機会ぐらいしかしゃべることもないだろうと思って書いてます。

※ラジオはこちらから

B面は一昔前の個人ホームページやブログみたいにパスワードをつけてます。読んで気分のいいものではないので、物好きな方はどうぞ探してみてください。

ボクが作品だらだらと書いておきながら、実際の公演に前向きではないのは主に2つ大きな理由があり、1つ目は体調、2つ目は資金/実力面です。

①体調面

過去のnoteでもちらほら書いていたりするのですが、ボクは前職をメンタル系の病気で強制退職しました。休職期間では回復の目処が立たず、養生するようドクターストップのもと会社から離れられたものの日常生活すら危ぶまれた時期もあり…。その頃に比べたら、大分回復しつつあるのですが現在も服薬治療中の身です。

あてどなし自体は「また演劇に関われたらなぁ」がで作りましたが、あてどなしが出来る前、もともとnote含め創作も観劇を再びはじめたのは【何でもいいから死ぬ計画以外のことで起きている時間や外に出る増やしていきな】というリハビリ目的が根っこにあります。

あてどなしが出来てから、いろんなとこの「参加募集」という文言見るたびに指を加えて憧れるも、やる気とは別に自分でも予測しない前職のトラウマに苛まれてふっと動けなくなったりするのが残る限りは難しいなと思ってます。制御できるだろといわれそうですが、数字の羅列みただけで突発的に思い出して出先で動けなくなりかけたこともあるので予測が出来ないのです。

まずは演劇に関わる関わらない以前に、今みたいに短日だけの行動だけでなく長期間安定して動けるようになってから考えようと思います。(そうすれば多分経済的にも体力的にも出来ることは今より増えそうな気がする)

まあ、振り替えるとよう回復したよなと思います。ありがたい。

②資金的かつ能力的に無理

台本のクオリティの至らなさは言わずもがなのため、かりに、それを、見てみぬフリをしてそれ以外の部分での懸念点です。

11月のnoteにもだしたトラウマ文言の人達。これが言葉の殺傷力だけでなく、学生時代の自分とって

☑️同窓の方(先輩含)
☑️劇団所属の方
☑️客演でも活躍されている方

に、すべて断られた実績でもあり、ボクが演劇を社会人になっても続ける道を断たれた言葉あるので…。

たかが学生演劇は部活作ってかじりついていたこともありかなり堪えたのはいい思い出です。よくないけど。

部活・サークルの学内公演は、たとえ1からでも学内施設を申請して平日放課後練習×3か月スケジュール決めて、年間使う部費で賄える規模の公演はありがたいことに出来ました。また、「演劇に興味があれば誰でも歓迎」と声をかけて人を集めて、「公演まで稽古時間を割いてもらうこと」と「(役者希望がほとんどだったので)役者に専念をしてもらう」というのを基本に、可能な限り余計な負担を減らすようにして公演まで作れていました。

ボク自身もともと役者志望から演劇をやりはじめ、裏方と兼業しながら駆けずり回って出来ることはふやしていったものの、裁縫や絵が出来る人、怪我の防止策を増やしてくれるなどボク以上に危機管理に長けた人など今考えたら助けてもらった場面は多かったんだなと思っています。ありがたみが深い。他校と合同でなんかできるかもとお話がでたら思ったり、この面子で学外公演をなど考えた時期もあるのですが、同時期の部員は「学外まで活動するつもりはない」という希望者と、「演劇に情熱をそそげない」と退部した後に半年も立たずに劇団に所属して「次の公演で役者するからチケット買ってくれ」といってきた猛者だけだったのであきらめました。

うだうだいっても、有料公演も打ったことがなければ専門知識もないのは事実ですし、どんな理由であれ折れてしまった自分に出来ることはほぼないといっても過言ではないと思います。ましてや「いらない」といわれている脚本が書きたいということにこだわり縋っていたらなおさらのこと…。

そしてこんな無知な人間に声を掛けられることなんて相手は嫌だろうし、知識もないので迷惑もかけてしまう。だから、ボクから声をかけることはしてません

①の件や稽古する場所や施設使用料など資金面、貴重な時間を割いてもらうことを考えるとなおのこと。そういう意味でも、ボクの作品は表舞台にたつことはないと思います。

文化芸術があって、道を切り開いた先人に憧れて、同じように「関わってみたい」と思っても「演じてみたい」と「書いてみたい」はここまでちがうものかと思ったのですが、もう付き合い関係なしで好きなもんを観に行こうと渡り歩いた今になってはよくわかるのです。劇団のカラーが違うものを急にやれないだろうし、そのカラーが好きでその劇団に集まっていたり、観に来たりされている人がいるから脚本やりたいはいらねっていわれてもしゃーなしなんだろうなと。

かりに、あてどなしが「みんなの心にミラクル⭐ハッピー✴️夢と希望に満ちた胸キュン💘&ハートフル🌛✨ファンタジー胸熱コメディ」なんて急にやったとします。多分、おいつめられてついになんかやべぇクスリにでも手を出したんかこめかみに銃口突きつけられてるんか疑われるかと思いますし、自分も書いていてて思います(あと純粋に書けないけど)


でも、まあ、その、ラジオの4番目のやつ含め、やってみたいことはまだあるんですけどね。

でん


ででん

写真は課題を通してかいたもの(noteにも「まぁ、まだ書き直せば人がみれるだろうもの」はこの中から絞ってあげてる)だけで、この他にも草稿だけ、noteにだけあげたやつだけなどすべて洗い出せばまだまだあります。

やってみなきゃとかいわれても、やってだめだったことを改善や打開策なく繰り返しても結果はおなじだろうし、運良く一回うまくいっても次がもらえるとはボクは思ってないので。

人間って面白いけど、それ以上に怖いから甘い言葉ほど慎重でいないとそれが命取りになると思ってます。

もはや誰を頼れば良かったんだろうと思うし、役者ができれば違ったんだろうなと思います。なんなら、この土地じゃなければとすら思うこともありますし、もっと明るくて誰もが好みそうなものをもっとうまく書く才能があればと自分自身を恨むこともあります。ですが、こればかりは何のカードが回ってくるかわかりません。ただ、それがボクには回ってこなかっただけの話です。

でも、自分の作品を書き続けることを第一優先で考えたらこれは自分が選ばざるおえなかった道だし、ネットで作品をだせるのは時代に救われたなと思います。戯曲として公演してやっとひとつ完成という欲はあるのですが、見てもらえずはねのけられるより見てもらえるだけでもありがたいので。

ただね、ボクはあてどなしを作ってから自分の中で決めたことがあって、「これを全部だしたら」とか「なんかでかい賞をとったら」とかでなく、「ボクがもういいや」と思ったら例えそれが明日でも自分の中でやめていいときめています。

これ、人や責任が絡んだら絶対やっちゃだめですけどね。(不慮の事故で死んだか持病再発してうごけなくて泣く泣く…とかが100歩譲ってなんだろうけど)

今度筆を折るときは心ねぇ輩に折られるより自分で潔く折って自分の原稿と一緒に火をつけて、その焚き火でめっちゃ高ぇ肉を焼いてめっちゃ高ぇ酒と一緒に食べながら未練を笑いつつ焼き切れる余裕をもつぐらいでいたいんで、どうぞ馬鹿にしていただいていいです。ボクの作品はボクの知らないとこで出回るぐらいならボクの亡骸もろとも棺桶に持っていってやる。ふはは。

これから演劇を好きになっていく人たちが、表現ややりたいことでボクみたい迷子にならないように居場所が出来たらいいですね。

老婆心ながらいうなら、青木みたいになっちゃだめだよ。

それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?