同人にて

山名沢湖『結んで放して』を読んだ。同人誌にまつわる、漫画を描くこと、にまつわる連作短篇集だ。

一話目がWEB上で公開されていたのをたまたま読んだとき、心からボロボロと泣いた。今日、初めて一冊通して読んだ(電子書籍で108円のセールをやっていたため)。やはり、泣いた。

同人を続けている。きっかけはわかりやすい。平野耕太『大同人物語』と犬威赤彦による『こみっくパーティー』のコミカライズを同時期に摂取してしまったためだ。16くらいの頃だったと記憶している。行き場のない、己れの創作を吐き出すのはここしかない、と地元の小さなイベントに出続けた。コピー本で出来る実験を思うさまやった。今でも、素人仕事ではあるものの、DTPを続けているのはこの頃に製本の楽しさを覚えたから、かもしれない。

倍の歳、32になった。頭の中では未だに次のイベント、新刊のことを考えている。途中、書けなくなり、新人賞に専念し、コピー本を作り小さなイベントに参加することは忘れていたが、いつしかまた誘われ、アンソロジーに参加し、自らの作品が印刷され活字になることの喜びを知ると、再び同人の世界に目を向けるようになった。

正直、ほとんど売れない。(創作)同人とはそういうものではない、と言い聞かせつつも、心が折れそうになるときもある。けれど、そんな時にこんな、『結んで放して』のような話を読んでしまったら。

書く。続ける。自分にはそれしかないのだ。憧れだろうが、呪いだろうが、生活だろうが、とにかく。自分には小説を書くこと、しか取り柄がない。とは少し自分に強迫観念を与えているようでもあるが、それでもやはり。

プロになりたくて書いている。新人賞にだけ応募していた方が効率もよいだろう、出費もないだろう。しかし、それらを通じて得たものは無限にある。当たり前だが、出費なんかより遙かに大事なもの達だ。

いつか本当にプロになれたとしたら、いや、実際になるつもりだが、最も自分にとって大事だったものは同人、という創作の場、ということになるだろう。そうなった時、自分は何を思い、何を書くだろうか。誰かが憧れてペンを執るような小説を、書けているだろうか。


投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。