歴史と信仰ーセブ島にて(フィリピン2)
セブ島に到着
羽田からマニラ空港に到着、すぐにセブ島行きの国内線に乗り継いだ。
この空港は、ターミナル間移動が非常にめんどう。
そのため、可能ならば、同じターミナル内で乗り継ぎたい。
ANAは第3ターミナルに到着した。
そしてセブまでは、やはり第3ターミナルから発着するセブ・パシフィック航空を選んだ。これでターミナル間移動の手間が省ける。
入国審査を終え、国内線の出発ゲートに向かうと、ローカルの空気で満ち溢れてきた。
いよいよフィリピンに来た実感。沖止めの飛行機に乗りこんだ。セブ・パシフィック航空は初めて。フィリピンのLCCであり、日本各地からマニラ、そして成田ーセブを結んでいる。客室乗務員の明るさがハンパない。
飛行機はマニラを飛び立つと、一気に南下した。上空から、改めてフィリピンという国は島と海の国だと実感した。ビサヤ諸島に浮かびセブ島を通り過ぎ、マクタン島に着陸したのは夕方だったので機上から美しい光景が見れた。
マゼランクロス
翌朝、セブの歴史を訪ね歩こうと、最初にマゼラン・クロスを訪れた。1521年、セブ島に上陸したマゼランが立てた(と言われている)木製の十字架。フィリピンのカトリックはここから始まった。セブ市街観光の目玉だ。
向かい側はセブ市役所、その前では集会が行われていた。政治集会なんだろうけど、非常に楽しそうだった。
サント・ニーニョ像(幼きイエス像)
マゼランがセブ島に到着した時、「幼きイエス像」(サント・ニーニョ像)を持ってきていた。そして、セブ島の王フマボン夫妻に与えたとされている。
そのサント・ニーニョ像が安置されているのがサント・ニーニョ教会。マゼラン・クロスのすぐ隣にあった。
教会の前の広場では、献灯の場がある。老若男女問わず、ここでロウソクに火をつけて、じっと佇んでいた。人々の信仰の篤さが実感できる。教会内では、マゼランが十字架を立てる姿や、サント・ニーニョ像を手渡す姿が絵に描かれていた。
そして奥に行くと、マゼランが持ってきたサント・ニーニョ像が安置された小部屋がある。その前には行列ができていた。そして、一人づつ、あるいは家族単位で、サント・ニーニョ像の前に立っていった。ある人は十字を切り、ある人は手のひらを広げて霊気を感じようとしていた。また、ある人は自分の幼い息子に神様の祝福が与えられるようにと祈っていた。みなそれぞれのスタイルでサント・ニーニョ像に向き合っていた。
サント・ニーニョ像はフィリピン人の家庭やオフィスでも見ることができる。しかし、やはりセブ島が圧倒的に多いらしい。日本でいうところの神棚のようなところに安置されていたり、オフィスの棚に置かれていたりする。本当にフィリピン人はサント・ニーニョが好きだ。
フィリピンの英雄ラプ・ラプ
では、キリスト教を伝えたマゼランに対して、フィリピン人はどう思っているのだろうか。これは難しい。キリスト教伝来は、フィリピンにとって非常に大切な歴史の一ページだ。ならばマゼランは尊敬されるべき存在であるべきだ。
しかし、マゼランは殺された。そして、マゼランを殺したマクタン島の支配者ラプ・ラプは、「西洋の侵略者」を倒した英雄とされている。マクタン島の戦いがあった場にはラプ・ラプの立派な像が立っているし、マクタン島の街は「ラプ・ラプ市」である。
では、フィリピン人はマゼランのことを好きなのか?キライなのか?この問いに対して、容易にイェスかノーの答えはでない。簡単に割り切れない。
しかし、フィリピンの歴史を見ると、このように簡単に割り切れないことばかりが目に付く。そして、まさにこうした点こそが、フィリピンを考えるヒントになると思う。
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