FM PiPi たじみふるさとWalker [ 2 ]

[ 2020.04.07放送 ]第一週 2/2 - Powered by Vrew
プロフィールの紹介 ②

たじみふるさとWalker

「本日お話を伺っておりますのは、東海クロスメディア株式会社 代表取締役 公益財団法人日本生産性本部 地方創生カレッジ総括プロデューサー 三輪知生さんです。後半も、よろしくお願いいたします。」

「お願いします。」

「さて、そんな三輪さんですけれども、現在お住まいは、どちらでいらっしゃるんですか?」

「愛知県名古屋市です。」

「今回は、エフエムたじみに来て戴いているということなんですが、多治見に来て戴いているご縁というのは、一体どういったところからなんでしょうか?」

「とても長い歴史が、実はありましてですね。私自身は名古屋で生まれて、子供の時分に父親の仕事で大阪へ転勤して小学校4年生の時に、香港に行きました。香港日本人学校の4年生に転入したんですけれど、その時の担任の先生が大島康平先生という先生で、大島先生は実は多治見の先生でして、その後、聞くところによると校長先生までやられて、今はもうリタイヤされていらっしゃるようですけれども。ちょうど今、私の高校の同級生が多治見で小学校の校長先生をやってるんですけどね、彼の大先輩って話も聞いてるんですけれども。そんなご縁が、一番初めの多治見市との関わりなんです。私自身は、その当時は多治見には来たことがなかった。もしかすると、祖父母に連れられて、永保寺とか来ていたかもしれませんけれども、その頃の記憶にはなく、そんなことが一番初めの多治見との接点です。」

「それは子供の頃、4年生の頃なんですね?」

「それから帰って、かれこれして大学へ行きました。大学は、南山大学経済学部に入ったんですけれども、当時、1年生の時に帰国子女の友人がいました。私自身も香港からの帰国子女だったんですけれども、高校まで海外にいて、それで南山の帰国子女枠で来た子がいて。彼はその一年後に、実は不幸にして交通事故で亡くなったんですけれども、その彼が村瀬智哉君といって、ぎんざ商店街に今はもう、お店閉められてますけれど「こうや」という呉服屋さんの跡取り息子だったわけですね。彼自身が一番のやはり、帰国子女同士だったことで、親友で一年間ずっとゼミも一緒で、やってきたんですけれども、ちょうど2年生になる春休みに19号線、今はもう拡幅されてますけれども、拡幅中の工事の工事車両に追突してしまって、実は亡くなってしまったんですけれども、そんなこともあって、商店街の経営とか、そういう事に非常に関心を持つようになったのが、大学1年生の頃ですね。これが2つ目の、多治見におけるエピソードですね。」

「大人になってから、お仕事をされるようになってからは、多治見とのご縁はあるんですか?」

「そうですね、私自身岐阜県の産業振興に関わって、これが2012年頃からですけれども、地元の疲弊する、空洞化する産業構造に何とかしたいっていう考えから岐阜県の産業振興に関わるようになったんですけれども、その時にじゃあということで。それこそ、もう幼い頃からの経験もご縁もあるので、多治見でも相談窓口を開いて、商店街の復興・振興ということにもお役に立てればなぁといように思いを巡らして、東濃信用金庫さんとか、こちらの2階にある起業支援センターさんを尋ねて。当時は、センター長は河地さん今はね、変わっていらっしゃって。そういう処といろいろ、じゃあ多治見で相談窓口を作るにはどうしたらいいかってことを話をし始めて、実際に私が、よろず支援拠点、今も事業として継続していますけれども、経営相談窓口を多治見に置くにあたって当時はもう園原さんにセンター長は変わられているタイミングで、一番初めに相談した頃は東濃信金の理事さんだったですけれども、園原さん、じゃあこちらで一緒に相談対応させて戴きますかっていうことで、来るようになったのが2014年頃ですね。それ以来、いろいろと皆さんの経営相談にあたるっていう仕事をやっていました。」

「ということは、そのよろず支援拠点、この我々のFMpipiが入っている産業文化センタービルの上で」

「毎週金曜日来てました。」

「そうなんですね!」

「2014年から4年間、2018年までですけどね。」

「そうだったんですねぇ。」

「当時私は、ラジオは高山でずっと喋っていました。」

「三輪さんは、色々なメディアへの露出もおありになる、ということですけれども。」

「岐阜だと高山のFMさんと、岐阜放送さんで、夕方のニュース番組に枠をもらって、「Turning Point 成功への分岐点」というですね、企業さんの紹介を、15分枠を戴いて毎月1本、3年間ず〜っと放送し続けてきました。引退した2018年で終わったんですけれども、ですから、36社さんを紹介し続けていました。他にも、新聞などにも記事で企業さんを紹介してもらう時、プレスリリースを書いたりしていますけれども、私自身も依頼を受けて、寄稿文を書いたりですとか、記事を自分で書いて載せてもらったりって事は、結構ですね岐阜新聞さんとか、中部経済新聞さんにあります。ちょうど3月は4回の連載で、「地方創生の将来へ」っていうことで岐阜から発信する情報をずっと連載していたところですね。」

「その他は、東海テレビやメ〜テレなどのニュース番組の特別枠などでも出演経験がおありということで。今回ですね、そういった方に来て戴く。一体どういったお話が聞けるのかなと思って、ドキドキしていたんですけれども、意外に身近なところに、毎週来ていらっしゃったという。」

「そうなんですね。朝はパン屋さんでコーヒー飲んで、それから来るっていう感じですね。」

「そうだったんですね。今お仕事で通っていらっしゃったということはお聞きしたのですが、例えば、プライベートで多治見にお出掛け戴くということはないんですか?」

「私は趣味で写真をやりましてね、当時は一眼レフ、今はもう、ミラーレス一眼なんですけれども。写真を撮るので、秋になると永保寺とかですね、紅葉がキレイな名所がたくさんありますから、そういう所へは来ますね。この途中、名古屋から来る途中には峠にも色々、名所があったりしますからそれを通りながら、なかなか実はそう言ってもここ1、2年は忙しくて撮れていないんですけれども、過去の記録にはたくさん永保寺の写真があります。」

「そうなんですね!ぜひ機会があれば、その写真も見せて戴ければなぁと思います。残念ながらラジオ番組なので、リスナーの皆さんにお見せすることはできないんですけれどもね。今回、今月お話を伺いますのは、東海クロスメディア株式会社 代表取締役 公益財団法人日本生産性本部 地方創生カレッジ総括プロデューサーの三輪知生さんです。今回は、お仕事の内容のご紹介と、そして多治見とのご縁をお話戴きました。また、これから来週再来週と、具体的に一体どんなお仕事をされているのか、どんな内容なのかというのを聞かせて戴きたいと思います。本日はどうもありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

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