見出し画像

高城高さんインタビュー

 新刊『仕切られた女』が好評発売中の高城高先生にお話をうかがいました。1935年生まれ。日本のハードボイルドの嚆矢たる「X橋付近」で、江戸川乱歩の絶賛を受けて1955年にデビュー。伝説の作家の、貴重なインタビューです。
(記事構成:松本寛大)
(タイトル写真:現在のウラジオストク、ゴールデンブリッジ)
 Photo : Евгений Монахов

◆高城高(こうじょう・こう)プロフィール

 1935年北海道函館市生まれ。4歳までを函館市で過ごし、英語教師だった父の仕事の都合で仙台へ移る。その後、父親の故郷だった秋田県比内市に疎開し、終戦を迎える。
 進学した東北大学では英文学を専攻。在学中の1955年、「X橋付近」を推理小説専門誌『宝石』に投じ、江戸川乱歩の絶賛を受けてデビュー。日本語で書かれた本格的なハードボイルドとしては最初期のものとして、歴史に名を刻む。当時まだ米軍が駐留していた仙台を舞台に戦争の傷跡の癒えぬ人々を独特のタッチで点描した作風は、いまも色あせない。
 その後十数年にわたり『宝石』を中心に活躍するが、やがて創作から遠ざかる。2006年、『X橋付近 高城高ハードボイルド傑作選』(荒蝦夷)刊行後は再評価の機運が高まり、精力的に新作を発表。
 明治期の函館を描く『函館水上警察』シリーズとそのスピンオフ作品、およびバブル期のススキノを舞台としたハードボイルド三部作で斯界をにぎわせた。

◆『函館水上警察』シリーズ紹介

『函館水上警察』東京創元社(2009)、同名・創元推理文庫(2011)
『ウラジオストクから来た女』東京創元社(2010)、文庫版にあたり改題『冬に散る華 函館水上警察』創元推理文庫(2013)
 明治時代の函館を舞台に、五条文也警部の活躍を描く歴史小説にして警察小説。

『〈ミリオンカ〉の女 うらじおすとく花暦』
寿郎社(2018)
『仕切られた女 ウラジオストク花暦』藤田印刷エクセレントブックス(2020)
『ウラジオストクから来た女』に登場する元娼妓のお吟(ぎん)を主人公としたスピンオフ。函館に生まれ、ロシア商人の養女としてウラジオストクに生きるお吟の生き方を描く。

◆高城高さんインタビュー

(聞き手:大森葉音、松本寛大)

高城先生写真

松本:『仕切られた女』では、シベリア鉄道完成ころから日露戦争、第一次ロシア革命までのウラジオストクが描かれています(1903~1908年)。軽快に始まる冒頭につづいて、日露戦争を描く中盤は重苦しい印象ですが、後半では作品のトーンが変わりますね。その後はお吟のハルビンでの活躍場面を経て、物語のはじまった地点でもある函館で終わりを迎えます。ああした構成は意図的なものですか?

高城:ほんとうに書きたかったのはシベリア出兵なんですよ。ただ、シリーズを第二弾で完結させる都合から、あそこで終わらせたんです。
 以前にウラジオストクを訪れた際にも現地でいろいろと資料を確認しました。もしシベリア出兵まで書くとしたら、あらためてロシア側の資料にあたる必要があります。ですが、さすがにもうなかなか行けません。
 ウラジオストクは、シベリア出兵の中心的な場所でした。あそこに日本軍が駐留して、あちこちに兵を送ったから。そのころの資料は古文書館にあるはずです。パルチザンをかくまっているのではないかというので村を攻撃し、それが功労として認められたあたりの事情ですとか。
 お吟をハルビンに行かせたのは、ウラジオストクではもうこれ以上変化がなくて、あまりドラマチックにならないからですね。大豆の輸出のことでお吟を動かせばドラマも生まれるだろうと、それで、ハルビンについて集中的に調べました。
 大豆の資料は古いものが多く残っています。東清鉄道の運賃や、大豆をおさめる袋を千鳥縫いしていたという記録はあるんです。ただ、それがなぜかということは記録にはないので、そこはお吟たちをからめて、創作しています。お吟とペトロフ商会の部分はもちろんフィクションですが、それ以外の部分は登場人物を含めて事実に即しています。

松本:非常に詳細に資料にあたっておられますね。

高城:たとえば『〈ミリオンカ〉の女』の決闘シーンではロシアの刑法について、当時の日本人が翻訳したものを参照しています。すごく古めかしい言葉で書かれています。
 日露戦争後の、ウラジオストクでの暴動についての資料などは、あることはありますが、日本ではあまり多くは出ていませんね。そうしたものをひとつひとつ、新しい情報にあたって確認して書いています。
 当時の日本の居留民に関する資料も、ずいぶん出ていますが、さかのぼっても大正なんですよ。明治のことはわからないんです。
 大正から昭和にかけてのハルビンもそうです。資料では、すごく立派な、きれいな都会だとある。ぼくが書いているのはその前の段階ですから、あまり立派な建物もなかった。
 これまでもいろいろな舞台を書いていますが、それぞれの土地の持つ歴史を突き詰めていこうという気持ちはありますね。やはり歴史が好きですから。
 ハードボイルドのスタイルは引き継いでいますけれど、いま書いているものをハードボイルドだとは思っていません。一般の人というのは歴史の表舞台には出てきませんが、それをいかに記録に残すか、そういう歴史小説のつもりで書いています。土地を語るためには歴史を積み上げることが必要です。

大森:ハードボイルド同様、登場人物の内面描写を省略するスタイルでお書きになっていますが、花の描写がそれを補っている印象を受けました。日本文学では伝統的に花の描写に女性の内面を託すことがありますが、そのあたりはいかがですか。

高城:「花暦」としたのは、女性が主人公だからというだけの理由で、深い意味があるわけではないですよ。ただ、ウラジオストクにかつて暮らしていた人たちの書いたものを読んだら、季節によってリンゴの花とかジャスミンの花とかを懐かしんでいるんです。これはいいなと思ってね。
 ウラジオストクはたいへん殺風景で、並木ひとつないところなんです。街路樹も庭もない。ペトロフ邸は山のほうにあるから周囲に木々もありますが、中心部は並木を作るような道路にそもそもなっていない。
〈ドム・スミス〉のエレノアは実在の人物で、詳細な記録や写真が残っています。花が好きで、家の前に花を植えたりしている。それで、お吟と趣味があう。お吟は野生の花が好きなんですけれどね。
 こうした花について、『〈ミリオンカ〉の女』ではラテン語の学名を併記しました。ほんとうはぜんぶの植物に入れようと思ったんですが、さすがにうるさくなるので、章題に織り込んだ代表的なものだけにとどめています。
 特別に植物の名称にこだわっているというよりも、花とか鳥とか、植物とか、そうしたものの名前についての、いい加減な翻訳が気になるんです。きっちりと書かなきゃ駄目だと思って。

※〈ドム・スミス〉は銃砲店としてスタートしたアメリカ人の商店。お吟の友人として登場するエレノアは、インタビューにもあるとおり実在の人物。長きにわたるウラジオストク滞在時、ふるさとへ詳細な手紙を毎日のように出しており、当時を伝える資料として出版もされている。Googleマップはウラジオストク、スヴェトランスカヤ通りにあるエレノア・プレイの銅像(「拡大地図を表示」をクリックすると大きな地図が見られます)。銅像は郵便局のそばにあり、よく見るとエレノアは手に手紙を持っている。

松本:そもそもウラジオストクに着目されたのは? また、『函館水上警察』をお書きになった時点で、函館なりウラジオストクなりという一地方から見る東アジア史という構想はあるていどたてておられたのでしょうか。

高城:ウラジオストクは思い入れがある街です。実際に取材に行ったのは2011年ですね。小説に書いた時期のウラジオストクはまだあまり大きな街ではありませんでした。ぐるりと回れば歩けるくらいの規模です。それなりの距離ですが、当時の人はみな歩いていましたからね。
『函館水上警察』を書いた時点では、そこまでの構想があったわけではないですね。お吟を追っていったらけっきょくウラジオまで行ったわけでね。
 当時の人は、東京から敦賀へ行き、直通便でウラジオへ。そこを経由してモスクワへ行ったわけです。だから、ウラジオはロシア本土とつながりもあるし、そこで世界を見るような広がりが出てきたんです。日露戦争も、ウラジオストクから見ることができました。
 ウラジオストクと函館はその関係がかなり密だった時期があります。古い函館新聞を見ると、ウラジオストクから軍艦が函館にやってくるなどの記事がよくあって。そうしたものを眺めているうちに「ウラジオストクから来た女」というタイトルがカッコいいんじゃないかと思いついて、それで、どんな女だろう。当時のことで日本人だから、娼妓だろう、と。――お吟の話は、そんなふうにはじまったわけですね。
 そのあと、お吟はウラジオに帰るけれど、じゃあ帰ったあとのことが気になるなと。それで「〈ミリオンカ〉の女」を書きました。

ウラジオストク町並み

(現在のウラジオストク、アレウスカヤ通りとスヴェトランスカヤ通りが交わる場所)Photo : Виктория Павлова

松本:わたしも当時の函館新聞は大学図書館のマイクロフィルムで確認しましたが、現代の新聞とは記事の書き方がまったく違いますね。非常に扇情的で。

高城:『函館水上警察』のときはずいぶん読み込みましたよ。ただ、あれはぜんぶそろっていないんですよね。ばらばらで。そうした新聞記事から、いろいろなネタをひろったんです。
 お吟の登場場面なんかは、わかる人にはわかるように書いていますが、古い映画のワンシーンを意識した完全なフィクションです。それを当時の新聞らしい文体で書いているんです。ぼくの作品はこれまでもずいぶん映画のパロディなんかをやっています。ヘミングウェイのパロディとかもね。
 一方で、実際に起こった出来事をそのまま使っている場面もあります。それはやっぱり、歴史のつもりで書いているからですね。
 ぼくの作品が出たあとくらいですが、日本の旅行会社がウラジオストクの〈ミリオンカ〉をたずねてみるツアーなんかをやっていましたね。いまはまたちょっと違うと思いますが、そのころは、レンガ造りの建物なんかはまだ残っていたんです。
 明治のウラジオストクに関して残っている写真は上流階級のものが多くて、〈ミリオンカ〉で書いたようなあまり治安のよくない地域というのはなかなかありませんね。エレノアの写真集を見ると、そうした庶民の写真も一部は確認することができます。
 ただ、どうしても貸座敷の男と女とかはね。なかなか写真に残るようなことはないんでしょうね。

松本:お吟が仮装舞踏会で花魁の衣装を着ますよね。意外に思ったのですが。

高城:なんというのか、お吟にしてみれば、娼妓時代については運命でそうなったのであって、恥ではないと胸を張って生きているわけです。
 彼女は函館の大火がなければウラジオストクには渡っていないし、そのあとも、なにごともなければペトロフ商会の娘として幸せに暮らしたと思うんです。けれどそうではなかった。お吟が、自身の変転した運命について思いをはせるのがラストの一行です。ここは『〈ミリオンカ〉の女』のラストと呼応しています。そこで思いいたすことは質が違うのですが。
 今回はあの場面で終了しましたが、このまま、シベリア出兵まで続けたなら、ペトロフ一家の亡命まで書いたでしょう。登場人物の運命も、また変わっていたかもしれない。キャラクターによっては、命を落とすようなことにならざるを得なかったのではないでしょうかね。
 シベリア出兵ののちには、もう商売はまともにできません。だから日本人もみな引き上げてしまっています。一部は残っていましたがね。ただ、スパイ容疑で捕まったりと、たいへんでした。

松本:作品の後半で、お吟がハルビンに行くところは古い冒険小説や映画のようですね。馬賊が出てきて。どこか痛快ですらあります。このあとの展開が違えば、作品の印象ももっと変わっていたでしょうね。

高城:馬賊といえば、あれは清朝のころからあるもので、歴史が古いんですね。中国が安定していないころは馬賊が横行していました。一方、匪賊という言葉が日本語として一般的に用いられるようになったのは一九三三年ころ以降です。だから日本人がしゃべる台詞の中では匪賊ではなく、馬賊という表現を使っています。
 小説の中で、昔の人が現代の言葉を話すということについてかつてはずいぶん厳しくいわれたものです。やはり調べて、気をつけて書きますね。図書館へ行き、日本国語大辞典で初出を確認したり。
 当時の言葉として記録に残っているように見えても、新聞で使われていた言葉と学術書で使われていた言葉では、どれだけ一般に浸透していたかという点で違います。そのあたりは、できるだけ厳密にやろうと思っています。
 江戸時代の、侍の話し言葉の実態についてはよくわかりません。ですから、ぼくには時代小説は書けないですね。岡本綺堂が、勝海舟などはべらんめえ調で話していたと書いています。しかし、公式の書き言葉として残っているわけではありません。侍同士はさようしからば、でござる――といった具合に話していたのでしょうが、江戸の初期から末期まで同じではないはずです。地方によっても異なるでしょう。会話の実際の感じというのはぼくにはわからないことがとても多いんです。むしろ東海道中膝栗毛ですとか、庶民の話し言葉のほうが文字として残っていてあるていどわかるんじゃないのかな。
 二葉亭四迷以降であれば、やっとぼくらにも当時の話し言葉がつかめます。漱石くらいになればわかるんですが、その前の段階というのはなかなか微妙なんですね。境目は、明治二十年代くらいじゃないかと思います。その前は江戸の言葉ではないかという気がしますね。

松本:ところで、『函館水上警察』も、はじめから終わりかたを決めていたわけではなくて、書き続けるうちに物語の終わりどころを見つけたという感じなのでしょうか。

高城:終わりかたについてはずいぶん驚かれましたが、必然性があってああした形で終わるわけですからね。ぼくとしては自然な流れです。続編として大正時代の『函館水上警察』を書こうかと思ったこともあるんですけれど、いろいろ調べても、大正時代は平和でね。あまりドラマチックな話にならないと思ってやめちゃったけどね。

松本:函館には愛着がおありなんですか。

高城:函館にはすごく愛着がありますよ。退職後に住もうと思ったこともありますが、仕事の関係で移住し損ねました。
 最後に書いたミステリーの「死ぬ時は硬い笑いを」は函館が舞台でした。あとから見つかったもので、函館が舞台の、全集には入っていない作品がありますが。
「死ぬ時は硬い笑いを」はのちに褒めていただくこともありました。あれはぼくの最後のハードボイルド作品として、わりときちっと書いているなと思います。
 ぼくはハードボイルドはずっと書こうとして書けなかったわけですよね。いまでもハードボイルドはついに書かなかったと思うんだけれども。
「宝石」で書いたとき、江戸川乱歩さんが作品の前につけた紹介で、「日本のシムノンの登場」とあった。シムノン的なものが求められているのかとも思った。ハードボイルドを書いたこともあるけれど、やはりぼくはハードボイルドを突き詰めて書いたことはないと思う。いつかは書こうとは思っていたんですが。やはり自分で納得するやつは書いていないですね。

松本:突き詰めて書いていないということについてもう少しお聞かせください。テーマというか文体というか……

高城:やっぱり文体でしょうね。ヘミングウェイなりハメットなりに対しての。チャンドラーとなるとぼくの思うハードボイルドとは少し違うんだけれど。
 短く、説明せず、動詞を中心にして形容詞はできるだけ使わないとか、短いといってもボツボツと切るのではなく、長く書いてもいいけれど読者を離さないような書き方をするとか。以前にこのあたりのことをボクシングに例えて書いたことがありますが、相手をロープぎわにおさえてパンチをたたき込むような文体ですね。それなら長くてもいい。そういう考え方です。

大森:「日本のシムノン」という紹介についてですが、当時一般的だったジャンルとしてのハードボイルドのイメージとは異なっていたとしても、高城先生の文体はハードボイルドの原点により近いものだと思います。文体としてのハードボイルドとジャンルとしてのハードボイルドは異なるわけで。

高城:田舎道を老婆がひとり歩いている。これを書いて、読んだ人間が「これがハードボイルドだ」と思えるようなものこそ理想なんです。なかなか書けませんが。「文藝首都」に書いたようなものはそれを目指していました。
(注:創元推理文庫『凍った太陽』所収「火炎」(1956年)や「廃鉱」(同)のこと)
「X橋」が1955年。そのあと「文藝首都」に書いたときはなんとかしてハードボイルドを書こう、書こうという気持ちでした。文体としてのハードボイルドを突き詰めようとしていました。

松本:初期短編では、日本の一地方を舞台にして方言を用いた台詞を使って――という書き方をされています。翻訳小説のような舞台やプロットからあえて離れたところで、いかにハードボイルドを書くかということにチャレンジしているように思いました。

高城:アメリカを舞台にしているわけではないですから、けっきょく、土地の言葉で書くしかないわけでね。
 ぼくがはじめたときは、英語のハードボイルドなるものを日本語で書けないかということへの挑戦だったようなものです。それはどうあるべきか。どうすれば書けるか。言葉のつかいかたなり、なんなり。そうしたところからのスタートです。ヘミングウェイの短編や初期の長編のようなものを日本語でできないかという。

大森:文体としてのハードボイルドの場合は、カメラアイですよね。起こっている出来事をなるべくリアルに書いて、装飾をそぎ落とし、意見や判断を削って、写実主義として書く。だから方言で話している人はそのまま方言で書くというやり方になる。

高城:そうですね。対象を見る眼がハードボイルドということです。

大森:日本に限らず、写実的な文章の書き方が新しい文学の潮流だという進歩的な歴史観が二十世紀初頭にあった。日本でこの流れはいったん途切れるのですが、戦後、文学の近代化を再度こころみようとするときに、復活します。ミステリではこれが社会派リアリズムと呼ばれるのですが、当時、高城先生もその渦中におられたのではないでしょうか。
 ジャンルとしてのハードボイルドも謎解きに偏った名探偵の幻想性、非リアリズムを否定し、乗り越えようとした運動としてアメリカから生まれてきたはずです。また原書で外国語の本を読むという作業は、ことばを突き離し、クールな視線で分析的にとらえることを要求します。対象への単語レベル、品詞レベルの関心や文体コントロールへの配慮は、そこに淵源があるのでしょうか。戦争中の精神主義的な虚妄が払拭されたあと、「物質」や「肉体」への即物的な関心が日本で高まりましたよね。「情緒纏綿(じょうちょてんめん)からドライなそっけなさへ」という機運も、言葉に対するクールな視線を持つことの助けになったのかもと思います。

松本:我々の世代とは教養の蓄積が違うのかなという気もしますが、お若いころからこうした文章を書かれていますよね。当時のものを拝読すると、とても二十代前半で書いた文章とは思えません。そのころ、文学を志すにあたっての気負いみたいなものはおありだったのでしょうか?

高城:もともと作家になろうとは思っていなかったですからね。中学、高校のころから新聞記者になろうと思っていましたから。
 ただね、フィクションみたいな、物語を作ろうということには興味があったね。自分なりに小説みたいなものは書いていましたし。作家を職業とするというのはちょっと考えられなかったですけれどね。

宝石

高城高特集の組まれた「宝石」1964年5月号の目次。
「宝石」はこの号が最終号となる。

松本:当時の「宝石」が高城先生の特集を組んだことがあり、批評やインタビューが掲載されていました。先生の作品に対して評論家のかた(注:1964年5月号。批評は小池亮氏によるもの)が、「カメラの如き記録的な眼」ということを言っています。それは一般的にはあまりカメラが向けられないような人々に向ける眼なのだと。この記録というのがポイントで、先ほどお話しされていた大正時代の『函館水上警察』についても、事件を起こしてしまえばいいわけなのですが、そうした発想にはならないのですね。

高城:歴史を書くのだという前提ですから、あまり荒唐無稽に事件を起こすというわけにもいかないというのが、どうしてもあるんですよね。小さい事件はともかく、国際関係に影響するような事件は起こせないなとか。
 それはハードボイルド作品でも同様で、物語のために事件を作るというよりも、やはり、人間がいれば事件が起きるというかね。だから、キャラクターを決めれば、おのずと関わる事件が決まってきます。キャラクターにあわないことは書けない。
 逆にいえば、特異なキャラクターを設定すればいろんな話が書けるみたいなね。そういう意味ではお吟は特異なキャラクターなわけでしょう。いろいろな過去があって。いまも特異な立場にあって。だからいろんな事件が起こってもおかしくはない。

松本:『夜明け遠き街よ』に続く薄野(すすきの)を舞台としたシリーズの主人公、黒頭(くろず)や『函館水上警察』の五条は彼ら自身が社会を見つめる固定的なカメラのようです。一方のお吟はというと、読者が彼女を通して、広く東アジアの時代の流れについてとらえることができるように思います。キャラクター性の違いを感じます。

高城:そうですね。違いますね。

大森:彼女の人生の遍歴が、社会構造や歴史的な出来事をうまく説明するような形になっています。キャラクターが異なるせいか、作品の構造もこれまでの作品とは変わっているのではないでしょうか。

高城:それはやはり、キャラクターを決めれば、ストーリーはおのずから動いてくるというのがぼくの考え方ですね。

大森:まるで梶原一騎がいっていることのようですね。

松本:ほかの時代についての小説の構想はおありでしょうか。昨今の出版事情のこともあるでしょうが、お書きになりたいものがあればうかがいたいです。

高城:さっきいったとおり、明治以前は書けないですね。うーん、そうですね……。
 ぼくの本名の乳井(にゅうい)姓というのは、実はドラマチックな過去を持っていて、15~16世紀ころまでさかのぼることができます。弘前に乳井村、乳井神社というのがありますが、いま乳井姓の人間は全国に散らばっている。
 16世紀、弘前には小さな乳井の城があったけれど攻め落とされて、城主の妻は子供5人を連れて現在の秋田県大館市比内町に逃げます。子供3人は成人して弘前に戻り、津軽公の助けで父親の仇を討ちました。ぼくの父親の実家は比内に残った子供2人の子孫ですが、こういう過去が時代小説になるなと思ったことはあります。ただ、実際に書くかというとそういうわけでもないですねえ。
(2020年4月1日)

---------------------------------------

※ 古書店「三月兎之杜」のページに、聞き手、大森葉音さんによるエッセイ「気まぐれ本の森散歩」が連載されています。第5回「ハードボイルドの春」では、今回のインタビューの模様が大森さんのユーモア感覚に優れた文章で描かれていますので、ぜひそちらもご覧ください。
※ 松本寛大は、これまでも何度か高城先生の作品を書評で取り上げて論じています。北海道新聞の連載を中心にまとめられた書籍『現代北海道文学論』藤田印刷エクセレントブックス(2019)には、松本の『眠りなき夜明け』『〈ミリオンカ〉の女』の批評が収録されています。

---------------------------------------

◆高城高・既刊リスト

※ 昭和30年代、40年代の小説については全集が発売中。現在はいずれも電子書籍版にて入手可能。
『高城高全集1 墓標なき墓場』創元推理文庫(2008)
『高城高全集2 凍った太陽』創元推理文庫(2008)
『高城高全集3 暗い海 深い霧』創元推理文庫(200)
『高城高全集4 風の岬』創元推理文庫(2008)
『函館水上警察』東京創元社(2009)、同名・創元推理文庫(2011)
ウラジオストクから来た女』東京創元社(2010)、文庫版にあたり改題『冬に散る華 函館水上警察』創元推理文庫(2013)
※80年代のススキノを舞台に、バブルに翻弄される男と女、夜の街に生きる人々を描く。主人公はキャバレーの黒服・黒頭(くろず)。ススキノハードボイルド三部作。
『夜明け遠き街よ』東京創元社(2012)
『夜より黒きもの』東京創元社(2015)
『眠りなき夜明け』寿郎社(2016)
『〈ミリオンカ〉の女 うらじおすとく花暦』寿郎社(2018)
『仕切られた女 ウラジオストク花暦』藤田印刷エクセレントブックス(2020)

(2020年5月3日現在)

---------------------------------------

◆『仕切られた女 ウラジオストク花暦』について

【あらすじ】
 1903年、ウラジオストク。ペトロフ商会のお吟は中国人の縄張りである暗い町〈ミリオンカ〉の顔役とその妻リーホアの口利きで、大豆の輸出に手を広げようとしていた。そのお吟を刺客が狙う。前作『〈ミリオンカ〉の女』での、互いの家に死者を出すに至ったレーピン家との確執はいまだおさまっていない。
 やがてお吟はロシア帝国海軍の巡洋艦リューリクに乗る士官、ニコライと知り合い、親密になっていくのだが、日露戦争がふたりの運命を大きく変えることになる――
【解説】
 本シリーズはひとりの女性の人生を通して、歴史の流れに翻弄される人々を描いたスケールの大きな歴史小説でもある。
『仕切られた女』には誰もが知る日露戦争の有名人はほぼ登場しないが、お吟の親しい男性が乗る巡洋艦が沈む様子や、その帰りを待つ人々の姿、戦後の街の混乱は詳細に語られる。高城高はひとりの人間を徹底的に見つめ、描き出すことで、社会をも鋭く描き出す。その文章の持つ奥行きは非常に深い。

 そもそもウラジオストクは歴史の浅い都市だ。ロシアの海軍基地が置かれたのは1860年のことだが、それまでは小さな集落があるばかりの中国の辺境に過ぎなかった。
 ウラジオストクはその後、ロシア、中国、朝鮮、日本といった国の人々が行き交う一大国際都市であるとともに、極東の勢力圏争いの中心地域の様相を呈するに至る。『〈ミリオンカ〉の女』『仕切られた女』で描かれる1900年前後というのは、街が急速に発展する時期だ。

 現在のウラジオストクは港の氷を砕氷船がこわしてしまうため、事実上の不凍港として知られるが、明治期には冬期の運用は難しかった。そこで、船は冬になると長崎など日本の港に長期の滞在をした。こうした経緯によって、長崎には雪が溶けるまでのあいだ水兵が長く遊ぶなじみの店があった。
 明治時代初期より、貧しい家の女性たちはさまざまな名目で妓楼に売られていった。いわゆる「からゆき」である。日本の海外進出に伴って朝鮮や満州、東南アジアなど、多くの地域で妓楼が繁盛していたのだ。
 ウラジオストクの妓楼で働く女性に長崎出身者が多かったのは、先に書いたような理由で関係の深い都市だったからだろう。
 表題の「仕切られた女」は、外国人(主に中国人とロシア人だったようだ)に身請けされた当時の娼妓の呼び名だという。もともとは高田ハナという名で、現在はウラジオストク中国人街の顔役の妻、麗花(リーホア)が長崎弁を話すのは、そうした背景がある。

 インタビューでも語られていたが、小説に書かれた時期ののちには、いわゆるシベリア出兵がおこなわれる。上陸した日本陸軍浦潮(ウラジオ)派遣軍の行為については、軍紀の乱れという言葉では片付けられないものがあったようだ。酸鼻な事件の数々は、これを読んでいるみなさんがそれぞれに調べて、触れてみてほしい。いずれにせよ、その結果、ウラジオストクの街は一変した。
 わたしが資料調査のためにおもむいた北海道大学図書館の地下書庫には南満州鉄道株式会社事務所調査課が1926年につくった資料があり、そこにはこう書かれていた。
「浦塩斯徳亦極東政権争奪の中心地となり経済状態は勿論港湾の秩序又は交通機関等全く壊滅せるの結果同港の貿易も絶望の姿を呈するに至れり」
『仕切られた女』に書かれた美しい街並みも遠い過去の話となり、日本人もみなウラジオストクを離れた。この時期、ようやく復興しつつあったウラジオストクを満鉄が調査して記録にまとめたのはむろんその後の戦争に向けての利用が念頭にあったためで、果たしてそこに人々の暮らしという観点が入り込む余地がどこまであったものか。

 本シリーズでは、お吟たち「仕切られた女」(お吟は言葉通りの意味では「仕切られ女」ではないが、ある意味では近い存在だ)が、強く生きる姿が描かれている。
 現実には、あまりにも痛ましい生涯を送った女性が多かったのだろう。お吟のように胸を張って生きることは難しかったはずだ。しかし、こう考えてほしい。だからこそあえて抵抗を書くのが小説の力なのだと。

 べつの場所でも書いたのだが、わたしにとって印象的なヘミングウェイ評は、F・L・アレン『オンリー・イエスタディ』のなかで触れられていたものだ。これはアメリカ社会史の本で、当時(第一次世界大戦後)の人々は「戦時中に楽天家や宣伝家が、たいそういい調子で予告した新時代が、まだはじまらないうちに夜の闇につき落とされ、不安な闇のなかで、彼らはどの道を曲がればいいのかもわからぬ状態に追い込まれたようなものだった」とある。そして、初期の活動におけるヘミングウェイはそうした人々の「すべてのむなしさのすぐれた代弁者」であったとのことだ。

「ウラジオストクから来た女」では、サザンカの花のエピソードが語られる。自分の生まれた家を知らなかったお吟が、函館には珍しいサザンカの花が庭にあったことを記憶していた。これが手がかりとなって、彼女の出自が明らかになるのである。『〈ミリオンカ〉の女』の最終章のタイトルは「サザンカ追想」。劇中、お吟は函館の公園で白い花をつけるサザンカを見て、「私の生まれを教えてくれた、私の大切な花だよ……」とつぶやく。
 わたしはこの何気ない挿話が好きだ。作者が目を向けるのはミステリー的な意味での「サザンカの手がかり」ではない。一枝の花をおろそかにしないという、そのことだ。
 それは歴史に埋もれてしまうだろうひとりの人間をおろそかにしないことへと明らかにつながっている。

 作者は本作をあくまで歴史小説であり、ハードボイルドではないとインタビュー内で語っている。文体についての高い理想があるゆえだろう。だが、暴力や犯罪といった社会の暗部やそこで生きる人々の哀切、あるいは主人公が自らの信念に準じて困難に立ち向かう姿を抑制された筆で描くことこそがハードボイルドだと考えるなら、決して両者はかけ離れたものではない。

(松本寛大)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?