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野原かおりのドローイング

石田 瑞穂

ある線が、到来する、とはどのような出来事なのか。

その線のうねりは孤独な力をかんじさせる。

この場合の〝孤独〟とは、線の発生が画家じしんのためどころか、だれのためでも、だれのものでもない、という力の在り様をさしている。星の発光が宛先のない手紙を書くように、線の創発は手作業の無意識そのものへと宛てられる。

いま、孤独、と書いたけれど、野原かおりの指先から滴りつづける線は、痩せ細った孤立ではない。野原さんの作品を〝絵画〟とだけ限定するわけにはゆかないし、そのけっして「交叉しない」(内藤廣)ラインやドット、円と方形、それから黒、赤、ゴールドという至極すくない絵画的原素によって織りなされ、奏でられるドローイングは、野原さんの長年の生業でもあるデザイナーの発想力をうかがわせよう。

絵画とデザインを跨ぎながらも、野原さんのドローイング行為は、クールな理知と習熟にとどまらず、手指の野生へ降りたつこころみでもあろう。ただただ、線をうねらせる、隣あわせる、重ねてひき離す、丸を描く、囲む、塗る、貼る、引く。美の描出や線色の用途の手前にある、ただただ、描くという無為に密む快楽。その名前をもたない愉しみは、いつでも、どこでも、まえぶれなくふっと人を襲うことがある。おとな、子ども、男、女。あるいは、そんな線の存在になるまえの予感として。

けれども、かぎりなく無為や予感に接近する線は、野原さんの暮らす八ヶ岳の雲、風、光の縞、山の褶曲、織りあわさる樹影、雪原に点々とつづく獣の足痕、ミトコンドリアの鞭毛からのびてきたラインだ。さらにその線は家族と友人の顔、社会の顔貌からも到来しつづける。

いやおうなく到来しては失われつづけるものたち。愛おしい日々。苦悶する日々。言葉にならない日誌の箱庭。

野原かおりは、ぼくに、仕事前の早朝や子どもたちの寝静まった夜間に描く、と語ったことがある。割り箸をもとに手製した筆にインクを浸し、独り、和紙に描くのだ、と。独りきりの無為を宿す作品は、八ヶ岳の朝夕の静謐な宇宙をかんじさせる。そして、割り箸で描かれた素直で温味ある線は、柳宗悦のいう「用の美」、麦藁手や鎬手の線のうつくしさを想わせよう。

こうして自我を脱し、なにものでもなく、なんであれかまわないものへの生成を祈る筆跡は、同時に、家族というとりかえしのつかないものの面影を抱いて褶曲する。

琳派の画業に深くこころを揺さぶれるという野原さんは、なんであれかまわないもの、と、とりかえしのつかないもの、双方のインクに筆を浸して無為を描くのだった。デザインと絵画の余白で。だから、野原さんのドローイングは、龍安寺の〝石庭〟やシュルレアリスム・グループが署名がわりに共通の画題とした〝指紋〟をほうふつさとせる。

実際、ぼくがペンをもつ手を安め、机辺に飾られた野原かおりの作品に、しばし疲労した眼をとまり木させるとき。つい、頭に去来するエピソードがあるのだ。

哲学者のヴァルター・ベンヤミンは、とある夕べ、作家で友人のヘルマン・ブロッホにこう語ったという。現実世界へと到来するメシア世界では「いっさいがここにあるとおりの姿で整えられているだろう」と。

いっさいが永遠に完結しているという可能性、その救済。ハシディズム。

では、いっさいが完結したのち、どうすれば、別なふうに思考できるのか。線は描けるのか。

そんな、静寂(しじま)としての対話が漂う黄昏を、野原さんのドローイングも照りかえしてはいまいか。

どこからともなく、どこへともなく。そこを、野原かおりの線が通るとしよう。なにものでもない線は自身をどう変容させてしまうのか。たたなずむ割り箸のペンが、ときに黒い沁みとなって息づく。その通過は通過を通過ごと通過させてしまう通過なのだとしたら−どこからともなく、どこへともなく−。

〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第3回〉

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