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秋の絵ー熊谷守一の小品

石田 瑞穂

ぼくの隠れ棲む埼玉の見沼田園には、仙人のような書家がいる。

その人となりと作品についてはいつか書くけれど、画家で「仙人」といえば、熊谷守一ではないか。画家と呼ぶのもなんだか似合わなくて、ただ、自由に生きた人、自由人、と呼びかけるのがふさわしい気がする。

この、守一のちいさな秋の絵は、ぼくの父がたいせつにしている一点。晩秋にわが家の柿がつぎつぎと実り、色づくころに、父はこの絵を掛けて獨り楽しむ。ぼくもご相伴にあずかり、この小品を肴にして気分よく独酎したりする。

絵のタイトルはもとより、制作年も不詳。なんてことはない、ただ枝に止まった烏、と、赤く熟した柿が三つならぶ、見目のままの作品である。

さて、いま「烏」と書いたけれど…、

「いや、この鳥はヒヨドリだろう」と父。

ぼくはなんの疑問にもおもわずに、長年、烏として鑑賞していたから、父の言葉におどろいた。家人はカケスといい、母は…という具合に、かなりデフォルメされた枝上の野鳥は、人によって異なる鳥にみえるらしい。家庭内の議論は危うく白熱しかけたが、絵をめぐって話が弾んだのは愉しかった。

熊谷守一なら「どんな鳥だっていいよ」と、笑ってみせてくれるかもしれないし、そこに守一さんの絵の自在なとらわれない容(すがた)がある気もするのだ(よって、以降、ぼくはこの野鳥を烏として鑑賞する)。

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まず、線、そのものが、好い。どんな絵筆をつかったかは不明だが、烏のとまった枝を左から右へ一気にひき、そこから四筆で柿枝全体をさっと描ききる。実物の絵を観ないとわからないが、墨の掠れた先枝は、筆圧が高く、紙が凹んでいる。顔料も二度づけしていない。それこそ、手折った枝に絵具をつけて描いたのではないか、と想像を愉しませてくれる。

お腹いっぱい柿を啄んで、満足げに蹲って羽づくろいしている烏も、じつに愛嬌があって、よく特徴がとらまえられている。嘴や脚は本当に単純な描線で、それこそまるで子どものイタズラ書きではないか……シンプルなようでいて曲折の濃やかな、守一さん独得の円でリズミカルに描かれる柿の実は、さすがに描きなれた画題らしく、ささっとひっかかれているが、実の容を真似て遊ぶかの、烏のつくるユーモラスな丸みは、じっくりと描きこまれている。どうも、画家の主眼はこの自然がみちたりて丸まる仏心のフォルム、らしい。

色彩は、烏のほうは薄墨のような顔料で全身をす速く塗られているが、嘴のつくろう羽のぶぶんだけ、三本の指痕がすっと引かれて、わずかに光沢している。濡羽色を表現しようとしたのか、画家の工夫がおもしろい。

そして、俳画ふうのモノトーンの世界に唯鮮かに灯るのが柿の実の色である。中秋をすぎたころの、淡くやさしい、秋の夕空の色をしていて。ぼくは毎年、庭の柿の実の色とみくらべたりもするのだが、守一さんの柿色はいつも自然な色をしていて虚飾がない。そんなふうにこの小品をながめていると、つい、おもいだしてしまう画家本人の言葉があるのだ。

わたしは好きで絵を描いているのではないんです。絵を描くより遊んでいるのがいちばん楽しいんです。石ころひとつ、紙くずひとつでも見ていると、まったくあきることがありません。火を燃やせば、一日燃やしていても面白い。

 まさに良寛さんの「遊びをせんとや生まれけむ」の境地である。仙道画家にとっては、自然と人工の区別なぞ無きにひとしいのだろう。父の有する「からすと柿」も、ある日、ふらっと画家がさんぽにでて、畑の端にでもすわり遊びのようにスケッチしたのだろう。

にしても……ぼくが暮らす見沼も、ここ二十年で周りは家ばかりになり、柿の木はみあたらなくなった。烏といえば、人間のゴミ袋を漁る怪鳥と化し、すっかり嫌われものになってしまった。かわいそうに。ぼくが子どものころに、あたりまえのようにくりかえされた烏と熟柿の光景は、ほとんど消失してしまった。熊谷守一の小品をみるとき、ぼくは、人間がつぎつぎ自然から奪っていく、友情や品位を、想わざるをえない。

だから、せめて、守一さんの絵を家の壁に架けたあとは、から公どもが柿を嘴むすがたを肴に盃をあげつづける。そうして、烏と遊ぶ時間をとりもどす。つい、から公らと呑みすぎて、翌朝は、自宅なのに宿酔となる。深酒の朝は、烏のように柿の実を喰らうのがいちばんいい。柿は肝臓にも良いそうだから。硝子戸のむこうでも、から公たちが元気に柿を啄んでいる。ぼくも、やっと一羽の烏になって、かれらの仲間入りができた。
熊谷守一の絵にはじつに不思議な力がある。

〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第7回〉

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