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白雪の酒器

石田瑞穂

世の中がコロナで騒然となったころ、骨董屋や市にいつもより足繁くかよった。

戦時の四年間、詩人で随筆家の青柳瑞穂は世と断絶して蟄居し、李朝の白釉壷と黒高麗壺に魅入られていた。そして、茶陶の起源ともいうべき朝鮮の美は、白か黒か、と朝な夕なに自問しつづけたという。

なぜか、おなじことがコロナで隠棲するわが身にもおきたのだ。ただし、ぼくの場合、李朝白磁徳利か黒高麗徳利かという酒器問答になったわけだが。

とまれ、一流店の名品は鼻白んでしまうほど値が高く、ぼくの暮らし向きにはあわない。それでも、カタログや雑誌に写った品々をにらみ自問の盃をあげる夜々の果てに、漸く好みの徳利と出逢うことができた。

浄いほどすなおな李朝初期の粉引徳利は、高さが十三センチ、酒はぴったり二合はいる。この手の徳利にはめずらしく、起伏を奏でながらゆったりひかれた轆轤目で、ころっと丸みをおびたフォルムも好もしい。永年、酒を注がれたせいで肌はとろんと照るが、李朝白磁で珍重される「雨漏」とよばれる染みも浮かんでいない。この徳利の性なのか、うっすらと青むうぶな雪色のままである。

手持ちの李朝刷毛目盃とあわせてみたら、むかしからこの徳利の傍にあったかの相性のよさ。

日本の酒器美は盃や徳利単体で語ることができないものだ。千利休が茶事にみいだした「とりあわせ」の美学なのだが、詩人で骨董の著作もある安東次男は俳諧でいう「対句の妙」を盃と徳利の間柄にもちこんだ。

正月松の内には関東南部で初雪がふった。ここ数年、暖冬で雪のない正月がつづいたから、ついうれしくなり、ペンを放り、いそいそと雪見酒の支度にとりかかる。李朝初期の木地盆に盃と徳利をのせるとうまくゆき、古盃に酒を注ぐと、刷毛目の筆勢が水中で鮮やかに流れた。その繊細な力をふっくらうけとめる徳利の容とあたたかみのある白。

われながら、ひねりのないとりあわせではある。

しかし、いろいろとり比べてみても、先達がみいだした組合せに落ちつくのがじつに不思議なところ。唐津と備前もそうだが、この定型詩の韻のごときとりあわせが、かえって快い緊張感を奏で、日常からわれを透落させて、酒を旨く感じさせる。

ぼくは侘びきった名品より、独酌に活力をあたえてくれそうな酒器を好むところがある。

硝子戸のむこうでは早咲きの紅梅、蝋梅、藪椿がうっすら氷の棉をまといはじめた。すると、李朝白磁の肌が初雪の光を吸い、仄青い耀きをおびてゆく。そういえば、中原中也とも淡交した眼利、青山二郎は「李朝は汚れる寸前が一等美しい」と書いていたっけ。歳月を経ても侘びない酒器はまさに初雪の気韻ではないか―お年賀に頂戴したなれ鮨を肴に、胴に掌をぴしゃりとたたきつけるように徳利を握っては酒を注ぎ、自然と盃と徳利の対話に眼を澄ます。

わが酔いどれ舟は、酒器のとりわせという終わりなき旅を漂いながら。

〈連載エッセイ「眼のとまり木」第2回〉

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