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うつろうかけらとしての写真−谷口昌良写真展「写真少年 1973–2011」

石田 瑞穂

浅草寺のある東京浅草には、かつて、星多の写真館があった。演芸のロック座やキネマの浅草名画座とともに、浅草は写真の街だった。写真が趣味でお寺の住職だった祖父からアナログカメラを譲りうけた谷口昌良も、ごく自然に、そんな「写真少年」のひとりになった。

ビーチボーイに憧れたクールカットの浅草モダンボーイは、詰襟の学生服にカメラを肩からさげて、吉原芸者や江ノ島の海をファインダーにおさめる。写真帖の余白に、ボヲドレエルを気取った詩を書きつけて。

そんな「写真少年」に出逢ってみたくて、隅田川のほとりにある〈iwao gallery〉に足をはこんだ。

「写真少年」、しかし、写真の私記性をふくめ、そのタイトルから連想されるいっさいから本展はうつろいだす。

写真ギャラリー〈空蓮房〉を主宰する谷口昌良らしく、展示方法はユニークだ。廊内には写真作品のみならず、谷口氏が三十年以上にわたり苦闘を書き溜めた極私的なノートや昭和高度成長期を感じさせるスクラップブックの大冊が設置され、これもまた谷口氏のコレクションらしき、1980年代のウェザー・レポートやパット・メセニー・グループのLPが鳴っている。ジャコ・パストリアスのファンだという谷口氏愛蔵のフェンダー・ジャズベースも飾られていて(本人はまったく弾けないらしいのだが…)、若い観覧客はおもわぬエイティーズカルチャーとの邂逅を愉しんでいた。

「写真少年」の黄金期でもあった、1980年代。谷口昌良は実家のお寺を遠く離れ、ニューヨークへと単身わたる。住んだマンハッタンのオンボロアパートは、貧乏ジャズミュージシャンたちの巣窟で、朝から晩までジャムセッションが鳴りやまなかったという。

アメリカン・ニューカラーの洗礼をうけ、レオ・ルビンファインの講義にもぐりこんだ写真少年は、懸命に、写真少年から脱皮しようと日々もがいていた。

当時のカラー作品で、とくに魅了された一点がある。

「1983, Picnic in Central Park in Manhattan」。

1983, New York, Picnic in Central Park in Manhattan

アナログカメラとランチ袋をもった口髭の東洋人青年とモデルなみに美しい白人女性が、こぼれるように咲く花枝のしたを、おたがいにすこし離れて、レンズへとうつむき加減に歩いてくる。視線をあわさず、べつべつに夢見るように。あらゆる意味で対照的なふたりは、谷口昌良の共通の友人かもしれない。恋人たち、といいきるには微妙な間があるが、ふたりは、時代の生む圧倒的な幸福感に浸されている。たまさか鏡像を結んだ無縁のふたりは、進行方向の右斜前へ軋むようにかしいで歩いている。それは被写人物をぎりぎりまで側近くとらえつつ、後背で雪色に咲き乱れる花木をもファインダー内におさめようとした。この偶然の効果が、おもしろい。

写真家がピントを絞ったのは、ニューヨークに春を告げるコンベントリーガーデンのマグノリアの花か、自己言及的にカメラを覗かせる青年か、はたまた、白花の袂からペルセポネーのように顕現したワンピースの娘か。

ところが、これらすべてにピントをあわせるかの写真には、いったい、どこに焦点があるのか不明なのだ。

まなざしは、写真の内外で情景や理解の物語を焦点として結ぼうとする。が、中心的な視座は散逸し漂泊し、写真の表面にあまねく偏在するようにみえる。ピントを欠いたものは、単一の焦点ではなく、さまざまなピントの星座、その布置関係を開示しようとしている。

その効果によって、マグノリアの花は、あやうく闊歩する男女のうえに、かれらにとって無縁であり有縁でもあるような不思議な祝福を降らせていた。

その写真作品から、世界の春のかすかに軋んだ謳歌を聴きとるぼくはこんなことを想う。

仏教語でもある、流行。すなわちモードと写真の蜜月はだれもが知るところだ。流行の本質たるうつろいやすさは、それがつねに最新でなくてはならないということ。けれども、ロラン・バルトが述べたように、モードにおいてはかつてのタイプが最新のものとして「神話的」に回帰する。流行という移ろいやすく虚ろな現象では、永遠に反復する神話的自然と最新の歴史的事象という思考の二極は宙吊りにされる。

ただし、流行にもなけなしの唯物論があろう。それは、いかなる超越への追想も、変移なくしては不可能になる、という客観だ。写真という〝永遠の瞬間〟を切り撮る行為は、破壊されたものとして、もっともうつろいやすいものをつうじて現像される。自然と歴史が絡みあう瓦礫、破片としての、写真。

アメリカン・ニューカラーは、アメリカという土壌から、写真だけに可能な新しい色彩を生みだそうとするモダニズムだった。ゆえに、そこには一点の写真を成立させる成熟した決定もあったろう。

たいして、その子どもであり、永遠にもがくがままの「写真少年」谷口昌良の写真展は、想念された1980年代に、写真を春のかけらのように降らせていた。

(連載エッセイ「眼のとまり木」第4回:谷口昌良写真展「写真少年 1973–2011」 2021.6.17(木)ー7.4(日) 於・iwao gallery/東京蔵前)

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