1986年コロラド大学ボールダー校での夏
望む望まずに拘らず、寝ている間に脳内メモリ確保のため何度もデフラグを繰り返してきたものだから、時系列に収まっていたはずの過去の記憶がマダラ模様になってしまった。まあそういう歳なのだから仕方ない。
38年前、シカゴ大学に留学する直前の夏、僕はコロラド州ボールダーにあるコロラド大学キャンパス内のThe Ecomomics Instituteで勉強と遊びに励んでいた。当時の日本は羽振りがよく、多くの上場企業は将来の幹部候補生と目される社員を海外へ送り込んで勉強させるのが習わしで、何を隠そう、僕も某銀行から選ばれたひとりであった。後になって某銀行は僕を選んだことをひどく後悔したはずだ。それはともかく、全米各地の大学院(MBAやロースクール)に散らばって厳しい留学生活が始まる前に、夏の2ヶ月ほどをこの地で過ごして、慣れない海外生活に体調を整え、学業の下準備をするのがBoulder でのサマースクールの目的なのだが、そんな企業側の論理はすっかり忘れて、僕の周辺にいた留学生たちは皆、柵(しがらみ)から解き放たれ、この地上の楽園で人生を謳歌していたように見えた。もちろん僕も。
留学させてくれた某銀行には感謝してもしきれない訳だが、とくに際たるものが Boulder での2ヶ月に渡るサマースクールだ。
暑くジメジメした梅雨の日本を離れて、全米でも有数の爽やかな高原の避暑地へ、仕事や組織から解放されて何の束縛もない個人生活へ。勉強というよりは、毎日マウンテンバイクを乗り回して、週末には仲間たちとちょっと遠出してラフティングや国立公園巡り。そしてこれも人事部には内緒だが、寮生活後半になると日本から女子学生が束になってやってきて同じ寮に入ってきて2度目の青春が到来。かくの如く、少なくとも僕にとっては人生の楽園として記憶に留められる貴重な2ヶ月となるのであった。
38年ぶりに訪れたコロラド大学ボールダー校。来ればすべての記憶が蘇るだろうと思っていたが甘い考えだった。どこを見てもどこを歩いてもテラコッタ色に神々しく光る美しいキャンパスばかりで、記憶の中のセピア色にくすんだ校舎はどこにも存在しなかった。なるほど、改築したんだね、残念。しかしここまで来たのだからせめてドミトリーの跡地だけでも見ておこうと同窓会オフィスを訪ねたところ、若いのが出て来て「おかしいですねえ、校舎は73年にリニューアルされて、その後は改築されてないはず」と言う。つまり、オジサン(僕のこと)が住んでいたドミトリーは名前も建物も当時のまま存在してますよということ。なんと! もう一度マップを確認すると、いくつかあるドミトリーの中に「ウィラードホール」という名前が小さく点滅した。この直感を大切にして、炎天下もう一度ウィラードホールを訪れてみたが、やはり過去の記憶と結びつくような景色はなかった。FBにウィラードホールの写真を貼っておくので、あとはアルツハイマーがまだ進行していないお友達の助けを借りることにしたい。よろしく。
言いたいことは、過去にあった刺激的な出来事とか感動の景色をもう一度見てみたいと思ってジジイになってから同じ場所を訪れても、その感動のシーンは2度と目の前に現れることはない。記憶の中にしっかり留めておけば良し。過去を探る旅は必要なし、ということだ。
それでもボールダーを訪れて良かった。当時、リタイヤーしたらこの街に住んでみたいと思ったほど美しい街並みが残っていたこと。目抜き通りPearl Street が健在だったこと。ここで38年前、フィドルを持ってバスキングしたものだ。そして、雄大なボールダーの岩山。これもまた昔と変わらぬ姿で僕を迎えてくれた。
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