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[短編小説] 虹色爪


「そんなことよりわたしとはなしをしましょう。」

のんびりとSNS巡りをしていた僕に、
はっきりと声が聴こえた。

想像してみてほしい。
1人で部屋にいて、突然、至近距離で、
人の声がする恐怖を。

全身が総毛立ち、瞬間的に冷や汗をかく。
何が起こったのかと、アドレナリンに体が痺れる。

「きこえていますか」さして間を置かず、再び。

鼓動音がバクバクと体内に反響する中、
声以外にも異常があることに気づいた。

スマートフォンを操作する右手人差し指。
その爪が虹色に光っている。
真夏の陽射し、水しぶきに生まれるような、爽やかで眩しい、あの、虹色。

気づいた途端に、輝きを増した。目が痛いほど。

いまだ動揺の極みではあったが、夢を見ている可能性や、現実だとしても、奇跡的に異常体験ができることへの感激や好奇心が勝り、私は話すことにした。

その、虹色に輝く、右手人差し指の爪と。

死刑宣告

聴こえてます、と、僕が言う。

「よかった、聴こえているんですね」と、
爪が答える。

あなたは霊か何かですか、と質問しようと思考し、口を開きかけたところで、爪は一気に語った。

「驚かせてしまいすみません。霊か何か、というご質問に関しては、何とお答えすればご理解いただけるかが、私にもわかりかねます。凄くシンプルに表してみるならば、あなたが、「次元」という言葉からイメージする、ズレ、そのようなものです。

それはそれとして、あなたにお伝えしなければならないことがあります。

今から5分ほどのち、あなたの体はこの部屋もろとも、物理的に圧縮され、消滅することとなっております。正確に言えば消滅というより状態変化ですね。もっと簡単に言えば、あなたはぺしゃんこのぐちゃぐちゃになって、この世を去ることになります。死ぬ、ということです。

こんなことを言われたら悲しいでしょうし、私としても大変心苦しいのですが、あえてはっきり申し上げることにより、かえって悲哀が軽減されるのではと

待て待て待てちょっと待って、と、
僕は虹色爪の声を遮った。

「いやちょっと待って。嘘でしょ?まずそもそも、あんたが何者かすらわからないし、現実と思えないし、パニックしてるわけでね、そこではい死にますって言われてもわけがわからないし、なんでなの、なんで死ななきゃいけないの」

僕はボロボロと泣いていた、勝手に涙が溢れ続け、眩しい虹色爪の輝きの中に、涙によりさらに虹色が増えて、視界は虹だらけだった。

虹色爪の言葉には圧倒的な説得力があり、わけはわからないが、その言葉すべてが絶対の事実で、動かせないものだということが伝わり、脳が追いつく前に心が、反応しているようだった。

死ぬんだ、僕は、わずか数分後に。

同情的な沈黙を経て、虹色爪は再び語りだした。

「ごめんなさい。本当に。私としても、こんなことはしたくないんですけれど。あなたを圧縮しないと、宇宙がヤバいんです。細かく説明するには時間が足りな過ぎるので、凄まじく簡単に言えば、あなたが圧縮され状態変化することが、この宇宙のバランスのために、必要であると。それを避けてしまえば、この次元の宇宙自体が、消滅します。

あ、本当に時間が足りないですね、もうすぐです。少しでも納得してもらうため、あえて言わせていただければ、あなたがこの宇宙を救うわけですね。

その、肉体的死をもって。」

最初に声が聴こえた時からそうだったが、
やはり現実感は薄い。どんどん薄まっていく。

爪が喋るわけはないし、虹色に光るのも意味不明だし、ましてや宇宙のために圧縮されて死にます??

感情、脳の処理がキャパオーバーし、僕は号泣しながら、自分でも意外な質問をした。
「死んだ後は、どうなるの?」

虹色爪の声は、とても綺麗だ。声優か、アナウンサーか、なんにしろプロ的な声、若く美しい女性のイメージの、声。甘過ぎず、硬過ぎず、癒される声。

「慰めになるかはわかりませんが、無というわけではありません。なぜなら私があなたを連れていくからです。正確には、あなたの意識体を、別の

そこまで聴こえたところで、激しい耳鳴りがし、全身隅々まで、空気の圧を感じ、壁や床や天井がミシミシと音を立て、それから

覚醒

僕は空に浮かんでいる。雲ほどの高さに、
地面を見下ろす形、うつ伏せで。
思わず手を見る。いつもの、自分の手だ。
爪はもう光っていない。ただの、爪。
部屋にいた時と同じ、灰色の上下スウェット。
生暖かい穏やかな風と、その音。

眼前には、凄まじい数の、夜に光り輝くビル群。
東京都心でも、これほどではない。圧倒的な光。

ふと、左側を見る。

「お目覚めですね。先程は驚かせてしまい、本当にすみませんでした。圧縮の瞬間には痛みを感じないよう、痛覚遮断パルスを流しましたが、大丈夫でしたか?」

相変わらず現実感は無い。ただ、夢というにはあまりにもリアル過ぎる。わずか数分の間に、100年の経験を積んだような感覚だった。

一周回って僕は、冷静にさえなっていた。

「さっきの……」僕は言いかける。
「そうです、私です。」虹色爪は答える。

声のイメージ通り、虹色爪は綺麗な女性だった。
正確には、綺麗な女性に見える何か、だった。

真っ白に輝く肩ほどまでの髪が、風になびいている。かすかに、甘い香りがする。バニラのような。
どういうわけか、僕と同じスウェットを着ている。

一瞬、彼女でもできたかのようなくすぐったい気持ちになりかけたが、綺麗とはいえ彼女は人間じゃないし、よく見れば不気味でもあった。

眼はあるが、瞳が無い。真っ白だけの、両目。

「僕は死んで、ここはあの世、なのかな?」

そう質問した直後に、我々は移動していた。
壁も床も天井も真っ赤の、広い部屋のような場所に。お互いに、いつの間にかソファーに座っている。向かい合って。

「あの世という言葉の定義が広過ぎて何とも言えませんが、意識体だけになったあなたを魂と呼ぶなら、あの世みたいなものですね。

またすぐこんな話をするのって、本当にごめんなさい、ひどい話だとはわかっているんですが、時間が無いので簡単に説明しますね。

さっきは、あの次元の宇宙を救うのに、あなたを圧縮する必要があって、無事に成功しました。

でもそれではまだ、終わりじゃないんです。

今から約15時間後、あなたには地獄を経験してもらう必要があるんです。

地獄というとまた定義が広過ぎますが、意識体になってもあなたはあの次元と同じように、その肉体があり、あらゆる痛みを感じるわけですが、

この後に経験してもらう地獄というのは、つまり人間が経験し得る、ありとあらゆる肉体的な痛みのことです。

数百種に及ぶ拷問、と、考えていただければ。

私もこんなことはしたくないんです。

多少なり、あなたと同じように、感情、心、そのようなものがありますし、あなたに恨みがあるわけでもないですから……。

ただまあ、これをしないわけにはいかないんです。

しなければ、すべての宇宙が、失われてしまうので。」

まず。僕にはわかった。

絶対に逃げられないし、
虹色爪が言うことはすべて本当で、15時間後から僕は、気が狂っても狂っても終わらない、痛覚の無限を味わうことになるわけだ。

いつか終わるのかもしれないが、
終わった頃にはもう、正気など残っていないだろう。

圧縮され粉々になった僕の体。

なのに、意識体とやらになっても、
わざわざ痛みを無限に味わうという。

なぜ僕が、とか、疑問や泣き言をどれだけ言っても無駄なことがわかる。

伝わって来る、虹色爪から、
それが無駄という、圧倒的な説得力が。

涙が流れ続けているし、恐怖で全身に、冷や汗とも脂汗ともわからぬものがびっしょりと溢れていて、鼓動は爆発するほどに激しい。

1時間ほどの沈黙後、僕は静かに、言った。

「時間までの間、一緒にいてくれる?」

虹色爪は優しく微笑む。菩薩のように。

「もちろんです。もちろんです。あなたの望むことすべてを叶えます、時間までの間。それまではあなたのものです、私と、私にできるすべてが。」

瞳が無いので不気味ではあるが、虹色爪は美しかった。生前にも見たことが無い、これほどの美形は。

僕は15時間後に訪れる、究極的絶望を意識しながら、虹色爪と過ごそうと思った。

甘い、甘い、恋人の時間を。

幸せな、幸せな、地獄の前の、天国を。

僕は虹色爪を抱く。

バニラのような香りに包まれる。
お互いにスウェットじゃあ味気ない。
オシャレな服に着替えて、まずはランチでもどうだろうか。

虹色爪は僕を見上げながら、微笑む。

その唇は温かく。

僕は号泣しながら、
存在というものについて、思考していた。

虹色爪の髪は、絹糸のように心地良い手触りで、

僕の腕を、さらさらと、撫でていた。

さらさらと、優しく、優しく、撫でていた。

-了-

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