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#45 頑張った!/くろさわかな

【往復書簡 #45 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈及川恵子さんの30年後にご期待ください〉
水曜日:泖〈いつもありがとうございます〉
金曜日:くろさわかな〈頑張った!って言えること/言えないこと〉

頑張った!って言えること/言えないこと

お2人の書簡を読んで、「頑張った!」について改めて考えることができました。

「頑張った!」って言うことって、その結果ごと現状を受け入れるということだから、自分にはまだその言葉を使えない…というケースもあるのかもしれませんね。実際に頑張ったかどうかとか、他の人の評価がどうとかに関わらず。
結果が良くても悪くても、自分はもっともっと頑張れたはずだと思う。それが、もっともっと進化できると信じるためのお守りにもなっているというような。
及川さんや泖さんが「頑張ったって言えてない」というのも、「もっと成長してやるぞ!」という意気込みの証のように感じました。

かくいうわたしも、「頑張った!」って言えることってそれ以上進歩しようのないこと(現状の頑張りレベルで十分だと思っていること)が多い気がします。それこそ及川さんの言うように「だるくてお風呂入るの本当にしんどかったけどなんとか入った」とか「朝眠くて仕方なかったけど仕事があるから頑張って起きた」とか、一般的には「それは普通にやることでしょ」と言われるようなこと。

最近だと、「嫌なことを言う人の話を否定せずに聞き流した」が一番「頑張った!」と思っていることです。あまりにも酷い内容で、正論でぶん殴りたくてウズウズしつつも耐えきりました。それがいいか悪いかは別として、理性的であったことは確かで、頑張ったのも確かです。

世の中の秩序が保たれているのは、こういう普段意識しないような小さな頑張りの積み重ねのおかげだと思わずにはいられせん。わたしたちはみんなの「頑張った!」のおかげで平和に生活できているんですよね。これが「人」じゃなく「人間」として生きるということかー、なんて思ったり。だから、ときどきふと「わたし頑張ってる、すごい」「みんな頑張ってる、すごい」って意識することで、自分にも他人に優しくなれるかもしれない。

あー、今日も1日、「人間」として生きるの頑張ったーーー!!
おつかれさまでーーーーーす!!

***

……とはいえ。
褒めてればストレスたまらないのかって言えば全然そんなことはないので、たまに理性を開放する=本能に従うことで蓄積されたストレスのリセットが必要ですよね。周りの迷惑を考えずに大声を出したり(カラオケ)、年甲斐もなく全力ダッシュしたり(誰もいない公園)、食べたいものを食べたいだけ食べたり(サイゼリヤ)。

お2人と会っておしゃべりするのもストレスが解消されるので、だいぶ本能的?感情的?に話してしまっているのかも……。すみません。今後ともよろしくおねがいします。


くろさわかな


追伸。

今回のお題で、泖さんからラブレター(!)をいただけると思わず、感激しているくろさわです。なにか人生で辛いことがあったときは読み返します。





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