記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

アビドス3章を読んで"信頼"とピカおじについて思うなど

ブルーアーカイブ、アビドス3章について思ったことを少しばかり。
まず予め言っておくと、全部主観と妄想です。ある程度事実に立脚した妄想もあるけれど、そうでない妄想もある。それを理解してもらったうえで
ネタバレ満載なので、未読の方は今すぐシナリオ読もう!!!!!!










アビドス3章、読んで思うのが、

「ユーザーへの信頼がすごいな…」

ってこと。ちょくちょく謎に思える描写が出てくるのですが、ちゃんと登場人物各々の視点・思考や背景を追っていくと、謎だった描写がしっかりはまって気持ちよくなれる作りになっている(まあ一部、布石として明らかに説明せずに〆めた部分もある手触りだけど)。
でも、その導線のとっかかりは本当に最小限で、ボルダリングでいえば上級者コースのようなもの。
要するにアビドス3章のシナリオからは「ここまで来てくれた先生ならきっと読解してくれる」という信頼が感じられた。
一方でエンタメとして重要な「どんな読み手にとっても面白い作りになってるか?」ってのは意見が分かれるところで、不満点がない訳でもない。


ところで唐突に、シナリオ-ユーザーの関係性妄想から離れて、シナリオの中身について改めて思いを馳せてみる。
アビドス3章のテーマは、最初に提示された6番目の古則である
「非有の真実は真実であるか?」
という問いと、それに対しての回答。
劇中の先生の回答は「事実は分からないけど、信じるならそこに真実はある。」というものだった。

初期からメタ構造を多用してきたブルアカが、このテーマをぶつけてきた。
であれば、逆にシナリオ内でのテーマをシナリオ-ユーザーの関係性に適用することもまた、出来るのではなかろうか。
自分はこう思う。
ユーザーを信じているからこそ、信じるユーザーに真っすぐぶつけるためのシナリオを書き切ったのだ、と。
これだけ信頼されてしまったら、応えるしかない。そして信じて読み返してみると、ああ、ここはこうなのかも! という新たな発見(妄想の種!)がある。



ピカおじことisakusan退社について

ただ、ひとつ引っ掛かっていた箇所があって、最後のスタッフロール表示に大きく書かれた「isakusan」の文字。
以前からisakusanは「IPは会社のもの、自分はただの会社員」と主張していて、こんなにデカデカと主張することに違和感があって。

けれど、先日のisakusanのブルアカチーム卒業の報を聞いて、納得。
あれはブルアカからisakusanへのはなむけだったんだなと。
「ありがとう」と、多分製作チームも伝えたかったんじゃないかな?
isakusanやキム・ヨンハ統括Pの言うように「明確に誰のおかげかと言えないぐらい、様々な人たちが製作に関わっている」というのはその通りだと思っているし、チーム製作で特定の誰かにのみ功労を背負わせがちな風潮はあまり良いとは言えないとも思う。
しかしそれでもなお、isakusanは彼自身が語るよりもずっと大きな役目を果たしていたのだろう。だからこそ、ノーグッドな風潮であるとは認識しつつも、はなむけを送りたかったのだと、解釈した。

そこでまた思う。
きっとアビドス3章で「ブルアカが信頼している」のはユーザーだけじゃなくて。

作り手のことを、すごく信頼してる。バトンを渡す人、渡される人、関わる人。それらの信頼関係と、そこから立ち昇る感謝の念を、今はひしひしと感じて、すごく眩しいものを見たモモンガの気分に勝手になっている。(勿論実情がどうかは分からんよ!)

ここで自分の中の悪い読者が首をもたげてきて
(ンン? 先生、仮にその妄想が事実だとして、エンドロに私信めいたメッセージを入れるゥ~? そんなのエンタメとしちゃ興ざめ甚だしい愚策じゃあありませんか? ソシャゲ製作は仲良しごっこじゃあねェんだぞッ!!)
と思ったりもしつつ、でも自分は先生なので、何度でも理想的な妄想を言います。

"ブルアカはユーザーと作り手を信頼しているんだと思う"
"だからこそ、isakusanに感謝を伝えたかったんじゃないかな"
”感謝を伝えることは、おかしいことじゃない。そう信じてる”


そして旅立つスタッフの方々とブルアカに、心よりの
「ありがとう」と「これからもよろしくお願いします。」を伝えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?