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こんばんは。

今回は前回のお蕎麦の話から、また長野県松本周辺に戻り、回顧しつつ書いて参りたいと思います。

歴史好きでないと興味が沸かない話題の上に文章的にお見苦しい点多々ございますがお許しくださいませ。

さて、ワタシ勝手なものでありまして、歴史好きとは言え、好きな城主が400有余年前に確かにココにいた。という経歴がないと、城は城でもまったく興味が湧かないという偏屈ミーハー中年でございます。

ゆえに、25年前、最初に松本城(もと深志城)に来て歴代の城主の名前を見た時も、???。

きっとすごい方達なんだと思いますが・・すいませんが分かりません。・・       スルーしようかと思って、「んっ?!」       初代・石川・・数正・じゃないですか! 

皆様ご存知のあのカズマサです!。?

この方、戦国期ファンならば「ホォー、ハイハイあの、石川さんね!」となるはず?の知る人ぞ知るかなりクセのある経歴でございます。

生まれはたぶん三河(愛知)で、家康さんが松平元康と名乗っていた頃から側近として使えていたシブーい大物です。

若い頃のイエヤスさんは今川商事やら織田重工という圧倒的に弱みを握られてるライバル会社に、研修(人質)名目?でたらい回しにされ、非常に苦労をしたようでございまして 三河に戻る事が出来た時には待ち侘びた社員(数正)たちと鉄の結束を誓った。というオナミダ必定の流れ。

時はたち、戦国ではあるけれども徳川精機も安定期に入って二人共いい歳になり、いい感じになってきたんじゃない?

ところ〜が〜・・・

そこでまさかのヘッドハンティング!

引き抜いたのは目の上のタンコブ自動車(以下目タン社)社長のヒデヨシです。  

キッカケは斥候、調整役としてカズマサを目タン社社長ヒデヨシの元へ、しょっちゅう大阪出張させていたコトからです。

人たらしヒデヨシはカズマサと会ううちにどんどん好きになっちゃった。  

口説きに口説いてたらしいです。

そしてある時コロリと・・

その後カズマサはヒデヨシから松本10万石をもらい建てたのが松本城でございます。

一方側近中の側近、カズマサを取られちゃった徳川精機社内は社内秘、防衛が筒抜けになってしまう恐れからてんやわんや。大変な大変革を余儀なくされた。     という、かなりエッジの効いたお話しでございます。

いずれにせよ誰もが知る二大社長を虜にするなんて、よ〜っぽど魅力的な侍だったにチガイナイと思っちゃいます、ワタシ。

このお話しには余談がありまして、実はカズマサ二重産業スパイ説です。     イエヤスが目タン社の内情を探るためにワザとヒデヨシの誘いに乗ったとみせて、機密を送らせる為に送り込んだ。という説。

なんかザワザワします〜。       

あ、すみません。今回は友人から水の話もリクエストされていました。

湧水で1番有名なのは松本市内でも源智の井戸かもしれません。         雰囲気のある趣の水の名所ですね。 

周りには少し歩くだけで、有名な蕎麦屋さんがあって、落ち着いた感じがサイコーです。 お水がうまいから蕎麦も美味い! 蕎麦がきも、うまいのよー。

そう言えばお城の右側の住宅街にあった映画館は、まだあるのかしら?      15年位前、仕事休みの日になんかスタローンのやつ見た気がします。

さておき・・

確か近くに鰻のおいしー店があったな。と思い出して、"山嘉"さん調べ。     ○べ○グさん調べたら堂々の一位になってました。               マチガイナイ美味さ柔らかさ。ご飯が少し多めで、そこがまたイイんですよね。松本らしさが。

というわけで今回はこれで終わらせていただきます。


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