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自分は一体何が書きたいのか。

自分が一番書きたいことは一体何なのか。noteを始めたばかりの頃はいまいち分からなかった。

漠然と自分の考えを書きたいとは思っていたが、それはあまりに不明瞭で気持ちが悪かった。

以前、noteを書く理由を記事にしたことがあるが、そこで書けたのが自分の思いの全てだとは思えていない。

しかし最近自分が何を本当に書きたいのかが明確になった気がする。



自分が書きたいと思う記事を分類できたのも最近のことだ。

それらは大きく分けて三種類ある。


一つは実用的な情報だ。

勉強方法であったり、おすすめの映画だったり様々なジャンルがある。

自分が体験してみて「いいな」と感じたものを人に伝いたいという思いが高まり書き始めた。

有益な情報を共有したいという欲求を僕は強く持っているようだ。


二つ目は読書感想文だ。

僕は割と読者が好きな方である。

読破後はその本に対し、感想だったり疑問だったり、何かしらの思いが生まれるはず。でも、それらを頭の中に放置しておけば、短期間で消え失せてしまうだろう。

それはもったいない。

だからnoteに保存しておく。

わざわざnoteに書く必要はないんじゃないか、と思うかもしれない。

しかしnoteに書き記すことで多くの読書好きと繋がることができ、加えて多くの読書家の思いをうかがい知れるというメリットを享受できるのだ。


三つ目はエッセイである。

自分が思ったことを自由な文体で書いた文章のことをエッセイと言うらしい。

今まで文章を書くことが習慣ではなかったということもあり、エッセイを書く、というものに自分はあまり馴染みがない。

しかし、これが案外楽しい。

心に浮かんだことを文章にしていく、言語化していく、この過程そのものが楽しいのだ。



以上三つの中で一番書きたいと思うことは、やはりエッセイだ。

なぜエッセイなのか。

それは文章がとても自由なものだからだ。


実用的な情報や読書感想文を発信することは確かに面白い。

だがこれらの文章を書くときどこか息苦しく感じるときがある。それは恐らく外的なものに従って書いている部分が大きいからだろう。

情報や読書感想文を記事にする場合、自分の外から得られた内容に従ってそれらを書いていく。

どうも自分の意見を発信する機会が少ないように感じるのだ。

特に情報については誰かのためになることを目的としている節が強く、これも情報を書くことが大好きになれない理由の一つだ。

読書感想文は自分の意見を発しているようだが、それは飽くまで本の中の世界観を基盤にした自分の意見だ。いまいち自由じゃない。


それに比べてエッセイはどうだろう。

確かに外的な体験は心に考えを浮かばせるトリガーとなる。

しかし、外の比重は小さく内の比重が大きい。

つまりは自分の考え、思いが文章の大半を占めるのだ。

文章を書く習慣があまりなかった僕がエッセイを語るのはおこがましい気もするが、この記事にはとにかくエッセイが好きだということを記したかった。

これからもエッセイを中心に記事を書いていこう。

いつか文章コンテストにも参加してみたい。



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