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祝福されたいと願うこと、祝福したいと願うこと。

結婚って身近であるがゆえに、いろいろと考えさせられますよね、という話。うまくいけばいいけれど…周囲との関係性って面倒なところあります。



身近になって

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

日本国憲法

結婚。

幼稚園児、小中学生の時には、遠い将来のこと。

「先生が結婚した」

「両親は結婚して、私は生まれた」

くらいからしか、身近に結婚というイベントを知る機会はなかった。

歳の離れた兄弟姉妹、親戚、両親の友人の結婚式に出たことがある方もいるかもしれないが、私にはそういう経験もあまりなかった。

芸能人が結婚したニュースなどは、耳にする機会があってもなかなか身近ではない。(そういえば、星野源と新垣結衣が結婚してから、もうすぐ3年になりますね。当時は結構なビックニュースだったと記憶しています。参照:https://www.oricon.co.jp/news/2193912/full/

とにかく、遠い将来のことだと思っていた。


第七百三十一条 婚姻は、十八歳にならなければ、することができない。

民法

高校を卒業してから、自分は結婚することが出来る年齢になったという実感が少しだけある。成人になったこと、二十歳を迎えることも大きいだろう。

そして最近になって、兄弟や知り合いが結婚するようになり始めた。

馴れ初めを聞いたり、結婚生活の話も聞こえてくることが増えた。

急に、結婚は身近なものになる。

ピントが合うというか、ぼんやりとしていた輪郭が、ハッキリとしてくる。

これから、同級生や知り合いが結婚するという機会も増えていくのだろう。


そこまで多く結婚をみている訳ではないが、幸せを周囲と共有できる結婚がある一方で、残念なことに周囲と不和を生じている結婚もみた。

お互いの両親と、結婚したい二人とがコミュニケーションがうまく取れなくなって話が無くなる…みたいなことを聞いた。

「両性の合意のみに基いて成立」ってことなら、周りとうまくいかなくてもいいとも思える。

そういう意味か、「二人が幸せならそれでいい」、「どんなに反対されても…。」なんて言うけれど、これに対してはやはり

本当に?

そう思わずにはいられない。

ふたりとまわり

祝福されたいと願う二人、祝福したいと願う周囲。

これらがうまく調和しているとき、幸せが共有されていると感じる。

素敵な結婚、理想的だ。

恐らくしばらくは、私はどちらかというと祝福する側の人間ではあるものの比較的傍観者に近い立場である。(直接的に二人とは関わる機会が少ないからという意味で。)

そんな私から見ても、祝福されたいにも関わらず祝福されないことや、祝福したいにも関わらず祝福できないことが、どれだけ辛いことか理解できる。

文化、考え方、あらゆる違いが幸せを分かち合うことを阻む要因になり得る。

言葉では「理解されなくともいい」「二人が幸せならいい」というけれど、強がりというか本当のところは違うんだろうなあなんて思う。

どんどん周りとの溝が生じていって、普段のコミュニケーションが取れなくなっていく、寂しさ。

二人がどんどん落ち込んでいくと同時に、周りまで暗くなっていく。

二人の自由で結婚できるはずだけれど、結局周りが縛ってしまっている状況…

みんなの「私が幸せになりたい」がぶつかって、ぶつかるうちにどんどん大きくなって、固くなって、離れていって。

柔らかく受け止められたらなあ、いいのになあ。

幸せという名の枷をはめられてしまっているのかもしれないなんて思う、振替休日の夕方でございました。


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