20-くみのこと

 2015年、杉浦日向子の「百日紅」がアニメ映画になったので、久し振りに原作を読み返したら、キチガイくみちゃんのことを思い出した。くみは僕の妹と同級生で、彼女が高校生の頃、時々うちに遊びに来ていた。第一印象としては、おとなしくてかわいい感じの子、というような印象であった。

 僕が昭和41年生まれで妹は昭和43年生まれなので、くみも同じ昭和43年生まれである。くみは結構愛嬌のある、可愛いらしい感じの容貌であった。身長も165cmくらいとやや背が高い方で、体形も細身だった。全体的に平均よりも可愛らしい感じの女性ではあった。

 くみは3人兄弟で姉と弟がいた。くみと初めて会ったのは、くみが高校1年生の時だ。その時にはすでにくみのお母さんは亡くなっていて、お父さんは再婚していた。おばあちゃんは入院していて、くみはしょっちゅうおばあちゃんのお見舞いにいっていた。その後、おばあちゃんは亡くなり、お父さんも亡くなった。

 そういう意味では本人の言う通り、家族運に恵まれない、可哀想な子だったのだが、その事実に目を奪われ、本質の問題点には僕もなかなか気付かなかったのだ。

 最初に会った時には、僕はくみのことを、愛嬌のある可愛らしい子だなと思っており、その頃僕の妹は、同じ高校のくみと、千代という子と、仲良し3人組で行動していた。

 千代はとても整った顔立ちの女の子で、芸能人で言えば熊切あさ美のような顔をしていた。熊切あさ美といえば、そんなにたいしたことのないような位置づけのタレントだが、実際に一般人で彼女のような顔をしていたら、群を抜いてきれいな顔だと思う。

 後に千代は僕と同じ大学に進学し、妹の友達ということで、僕も親しくしていただいていたが、学内でも美人と評判の千代と行動を共にできることは僕にとっても誇らしいことだった。僕の同級生もバイト先の仲間も千代が来ると色めきたち「今度千代ちゃんはいつ来るの?」と僕はいつも聞かれていた。

 そしてくみはといえば、ひがみのかたまりのような性格であった。お姉ちゃんの方が私より可愛いとか、千代と一緒にいたら美しさに圧倒されて口がきけなくなるとか、そんな妬み嫉みの話ばかりするので僕はうんざりだった。

 くみはそのように自己評価は低かったが、実は一般的にはそこそこ可愛い方で、特に年上の男性からはすごくモテた。なんともいえない不思議な愛嬌があったのだ。肉は腐る寸前が一番美味しいというアレである。崩れ落ちる寸前の危うい魅力が男をひきつけていたのだ。

 くみは僕の母からもかわいがられ、僕にとってくみは、妹に準ずるような位置づけの存在であった。その頃僕は地元の大学(西南学院大学)に通っていたが、途中で家を出て一人暮らしを始めたので、その後はくみともあまり会うことはなくなった。

 そして妹やくみたちが高校を卒業し、くみは地元の、僕とは違う大学(福岡大学)に進学した。僕はその頃、同じ趣味の仲間を見つけて、自主制作映画を作りたいと思っていたのだが、高校のときも、大学のときも、趣味の合う仲間を見つけられないまま、一歩目を踏み出せずにイライラしていた。

 同じ映画や同じマンガに感動して、語り合える友達がいたら、その人と一緒に映画を作りたい。といつも思っており、機会があれば、好きな映画やマンガの話をしていたのだが、なかなか趣味の合う人とは出会えなかった。

 その頃僕が夢中だった作家の一人が杉浦日向子だった。杉浦日向子は80年代の初頭に「ガロ」でデビューして、僕が「ガロ」を読み始めた頃には、「合葬」という作品を連載していた。僕は杉浦日向子の視点や表現技法にゾッコンであった。

 しかし僕の周りには「ガロ」を読んでいる人はいなかったし、杉浦日向子の名前を知っている人とも出会えなかった。僕は自分でサークルを作るしかないと思い、僕と同じ大学に入ってきた、千代を誘ってサークルを立ち上げた。その頃杉浦日向子は「合葬」の連載を終え、「漫画サンデー」で「百日紅」を連載していた。僕は単行本が出たらすぐに購入して千代にも貸した。

 その頃はあまりくみとは交流がなかったので、「百日紅」の単行本を
くみにも貸したという記憶はないが、千代は「百日紅」をすごく気に入っていたので、もしかしたら千代経由で、くみも「百日紅」を知ったのかもしれないし、あるいはくみはまったく別のルートで、杉浦日向子を知っていたのかもしれない。とにかくくみが杉浦日向子の作品を好きだということは、かなり後になって知ったことだった。

 当時、くみが福岡大学で映研に入っているらしい、という噂も聞いていたのだが、まだ携帯電話などなかった時代で、あまり連絡をとる手段がなく、結局大学在学中はあまりくみとは接触がなかった。

 そして僕は大学を卒業し、映像制作会社に就職して、東京に住むようになったのだが、くみはいつのまにか大学を中退しており、東京の映像制作スクールに入学して、東京に住んでいた。

 僕の妹も短大を出て東京に就職していたので、妹の家で一緒になったりしたのがきっかけで、くみにも時々会うようになった。

 ある日、くみとファミレスで会って話したことがあるのだが、くみはケーキと紅茶のセットみたいなのを頼んで、僕は何かパスタのような軽食を頼んだのだと思う。

 それで、何の用事だったかは思い出せないが、用件について話していたら、くみがチラッ、チラッと、時々僕の様子をうかがうように見るのである。

 何だろう、何を見ているんだろうと、僕はちょっと怪訝に思っていたのだが、僕が自分の分を食べ終わる時に、ピッタリそのタイミングに合わせて、くみも残っていたケーキの、最後のひとかけらを口に入れて、そして紅茶の最後の一口を飲んだのである。

 そしてまた僕をチラッと見て、どうですか、ちょうど一緒に食べ終わりましたよ、というような表情で少し笑ったのである。

 その時僕は背中がゾワッとした。なんか気持ち悪いというか、怖かったのだ。なんだろうこの子は?なんの目的でこんなことをしているんだろう?と、不安になったというか、得体の知れない何かを感じて、それがその後ずっとつきまとっていた。別にくみとおつきあいをしたというわけではないが、でも付かず離れず、それから10年くらい、なんとなくくみと会ったりする状況は続いた。

 あの日に感じた得体の知れない違和感、後頭部のあたりのツボから、
すっと指を入れられて背中がゾワッとしたような、コリをほぐしてもらったのかもしれないけど、もしかしたら何かをインプラントされたかもしれない、そんな不安のような気持は今でも覚えている。もしかしたらオカルトな体験をしていたのかもしれない。

 その後も何度か話をするうちに、だんだんくみに違和感を覚えるようになっていった。たとえば同じ話を何回もするし、その話を何度聞いても、いつもくみの結論は同じだった。

 僕はそのたびに、僕なりの感想とか意見を述べたりしていたのだが、何ヶ月かしたらまた同じ話が繰り返され、以前に僕が言った意見などは、まったくその話に反映されておらず、いつもくみの言うことは同じだったのである。

 まったく進歩しないというか、時が完全に止まっており、一歩も前に進んでいないのである。同じ話を何回もしていることにさえ、気がついていないようにも思えた。

 そんなことをうすうす感じ始めていた頃、くみはいつのまにか福岡に戻っており、僕の大学時代の知人の児玉くんと一緒に自主制作映画を作り始めていた。

 くみはその映画のスタッフの一人だった鮎子と親しくなり、その縁で僕が福岡で自主制作映画を作る時には、鮎子と児玉くんに手伝ってもらうことになり、その後鮎子は僕の最初の奥さん(ハルの母親)になった。というような経緯で、僕と鮎子が結婚した後は、くみはよく我が家に遊びに来るようになった。

 その頃くみは東さんというスチールカメラマンと結婚していたのだが、僕が知っている範囲では、くみは高校時代に、10歳以上年上の小柳さんという男性と付き合っており、大学時代は大学の映研で一緒だった増野くんという人、大学を辞めたあとは映画制作を通じて知り合った児玉くんという人、その後東さんというスチールカメラマンと結婚し、東さんと離婚したあとは、映画の撮影助手の、明夫くんという人と再婚していた。

 つまりくみはくみでその不思議な魅力というか魔力のようなもので、常に男には不自由していなかったのだ。そしてその男たちはすべて、くみに翻弄され、疲弊しきって別れざるを得なかった。

 なぜか相手の男はほとんど全員、映像制作関連の男ばかりで、そして2000年頃に僕が知っていたくみの最後の消息は、映画の撮影助手の明夫くんと再婚し、明夫くんとの間にニイナという娘が生まれたが、その明夫くんとも離婚し、ニイナはくみがひきとったが、くみがアルコール依存症になってしまい、ニイナを里子に出してくみは入院したというものだった。

 僕は増野くん以外はくみがつき合った男全員と会ったことがある。僕が知っている男たちは、みんなおとなしく、温厚で、気が弱い感じの人ばかりだった。そして、くみはその全員と、それぞれに武勇伝を残していた。

 まず最初は小柳さんとの武勇伝。これが僕にとっては一番衝撃的で、ある日、千代から、「くみが手首を切って自殺しました」と僕のバイト先に電話があった。

 小柳さんと口論になって、くみが発作的に包丁で手首を切ったのだった。その知らせを聞いて、すぐに僕の母と妹と千代が、タクシーでくみの家に駆けつけ、僕もバイトが終わった後、バイクでくみの家まで行ったのだが、くみは病院で手当てを受けて無事だった。

 増野くんとの武勇伝は、くみが増野くんを精神的に追い込んで、増野くんが家を飛び出して逃げてしまい、くみはそれを追いかけて、増野くんがあるビルに入っていくのが見えたので、くみもそのビルに入って増野くんを探すと、増野くんはどこからか隣りのビルに移って逃げた。それを見たくみは、自分がいたビルの屋上から、隣りのビルの屋上に飛び移って、増野くんを追いかけた、という、刑事ドラマのようなものである。

 この武勇伝はくみ本人から聞いたもので、「しかも私その時生理中で、
ものすごく身体のキレが悪かったのに、屋上から屋上に飛び移ったとよ」という解説までついていた。

 児玉くんとの武勇伝は、「あの温厚な児玉くんが、とうとうくみにグーでパンチしたらしいよ」というものだった。

 東さんとの武勇伝は、「あの温厚な東さんが、ついにくみを巴投げしたらしいよ」というものだった。東さんは柔道の有段者だった。

 そして明夫くんとの武勇伝は、ある日の夜中、くみがトイレに起きたら、明夫くんが隣りの部屋で、壁に向かって正座して泣いていたというものだった。この話は妹経由で母から聞いた。

 このように、つき合う男全てを、精神的に追い込んでボロボロにして別れる、というのがくみの恋愛スタイルだったのだが、周りの人間はそのようなくみの業の深さに心を痛めていた。ジャン・ジヤック・ベネックス監督の「ベティ・ブルー」という映画があるが、児玉くんはその映画の主人公が、あまりにもくみに似ていたので、耐えられなくなり、途中で映画館を出たと言っていた。僕もくみのことを思い出すのがいやなので、まだその映画は見ていない。

 まだくみが東さんと一緒に暮らしている頃、筑摩書房から、すでにマンガ家としては筆を折っていた杉浦日向子のマンガ作品の全集が刊行され、その全巻を揃えた僕は、「百日紅」全三巻をはじめとして、それまでに買い集めていた杉浦日向子のマンガの単行本のほぼ全てが、ダブってしまったので、結婚祝いを渡していなかったこともあり、この一連の優れた作品を読むことによって、なんとか前向きな気持ちや、未来に対する希望などを持つようになってほしいという願いを込めて、持っていた杉浦日向子のマンガの本を、まとめて東夫妻にプレゼントした。

 でも結局東夫妻は離婚、くみは東さんの家に、杉浦日向子の本を全て置いたまま家を出て、東京の映画の現場で働くようになり、そこで知り合った撮影助手の明夫くんと結婚して、ニイナという娘が生まれたのだった。

 このニイナというのは漫画家の大島弓子の「ダリアの帯」という作品に出てくる、主人公のキイナの流産した娘の名前なのだが、くみにこの「ダリアの帯」を貸したのは僕だった。

 僕も母も妹も、千代も、鮎子も、くみの行く末を心配していたのだが、結局明夫くんとも離婚して、ニイナはくみが引き取って育てることになった。そしてくみはアルコール依存症になってしまい、ニイナを里子に出して、自分は精神病院に入院してしまったらしい、というのが、妹経由で母から聞いた、2000年頃の最後のくみの消息だった。

 その後の消息は知りたくなかったので、妹にも母にも聞いたことはない。しかし2年ほど前にくみが夢に出てきた。「お前、生きてたのか?」と聞くと、ただコクンとうなづいただけだった。不吉な夢のようにも思われ、やはり誰にもくみの消息は聞いていない。

 考えてもしかたがないので、くみや千代や鮎子や、不幸な女たちのことは、なるべく考えないようにしているのだが、こんな機会にふと思い出してしまうことがある。そんな時に限って、連休で時間があって、ちょっと書いてみようかという気になったりして、細部を詳しく思い出してしまい、なんだかやるせない気持ちになる。もちろん杉浦日向子には何の罪もない。

 これは2015年の連休に、時間を持て余して書いてしまった文章だが、つい最近、1年ほど前にくみの消息がわかった。くみはもともと僕の妹の同級生だったので、妹とはつき合いが続いていたのだ。それはうすうす知っていたが、わずらわしいので妹と会ってもくみのことは聞かなかった。もしかしたらもう亡くなっているのかもなと思っていたのだが、くみは元気で関東地方に住んでいるとのことだった。

 同じ1年ほど前、うちの母がだんだん弱ってきて、老人ホームに入れる前提で、デイサービスに通わせようというような話になり、長年音信不通に近かった妹と頻繁に連絡を取るようになった。時には実家に一緒に泊まって一晩語り明かすこともあり、必然的にくみのその後の話も聞くことになったのである。

 くみは精神病院に出たり入ったりを繰り返しており、一時は里子に出されていたニイナは、役所の人からの要請で明夫くんが引き取ることになったそうだ。

 ところが明夫くんもくみに負けず劣らずひどい親で、ニイナはものすごいネグレクトを受け、自閉症のような状態になってしまったらしい。くみはなんとか精神病院を退院し、福祉関係の人と相変わらず怪しい魔力を使って懇ろになり、その人の手引きで大企業の障害者枠で就職し、ニイナのこともひきとったそうだ。

 妬み嫉みや被害妄想は相変わらずで、同級生の間でもああ言ったとか言わないとかの揉め事をしょっちゅう起こしており、同窓会でもブラックリストに載っているそうだ。親友だったはずの僕の妹もなるべく連絡を取りたくないと言っており、千代に至ってはくみの話はしないでくれと言っているらしい。それでも妹には事情をよく知らない同級生経由で時々くみの情報が回って来るらしく、聞きたくもないのに近況を知ってしまうそうだ。

 僕は危険を感じて、もう20年以上、くみとはコンタクトを取っていないが、ニイナは息子のハルと同じ年で、今は23歳になっているはずである。くみは美術系の大学に行かせて、デザイン関係の職に就かせたいとか言っていたらしいが、どうなっていることやら。

 そして多分この話はまだ終わっていないのである。もうくみも50歳を過ぎている。今でもかつての同級生に、超ミニスカートとかで会いに来たりしているらしい。そして最近は昔の同級生に「コロナでお金がない」と連絡してお金をたかったりしているらしい・・・






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?