見出し画像

山野一の「四丁目の夕日」

ここ3年くらいの間、熊本のマンガ関係のNPO法人でマンガのデータベース作成の仕事をしていたのだが、ある時、東京で国立国会図書館などのマンガのデータベース作成の仕事をしている専門家の方が来られて懇親会が行われた。


その方は大変博学な方で、とはいってもマンガの知識に限る「博学」で、こんなことを知っていたところでこれといって役には立たないし、飲み会の席で熱く語られても、周りの人はポカンとして、場合によって敬遠されかねない「オタク」な知識である。

例えば「日出処の天子」の作者、山岸凉子の「凉」という字はサンズイの「涼」ではなくニスイの「凉」なので打ち間違えないように、などという豆知識とか。


しかし僕にとっては、何よりも大切で重要な知識、尊敬に値する「知の巨人」であった。例えば国会図書館は現代日本のありとあらゆる出版物を可能な限り網羅している図書館だが、国会議員の立法行為を補佐する目的で作られた建物なので、国会議事堂の近くにあり、地下通路で国会議事堂とつながっているらしい。そして議事堂の近くに議事堂より高い建物を建てると、議員を狙撃するために使われたりする恐れがあるので、日々増え続ける蔵書を収蔵するために、どんどん地下に向かって増築されていて、現在は地下9階くらいまであり、各階にはサッカーコートくらいの広さの巨大な収蔵棚があって、ありとあらゆる出版物が収蔵されている。それを管理する職員も数百人いるそうである。


そんな中でマンガは、大雑把に「娯楽」というジャンルに分類されており、そのコーナーには例えば「SMスナイパー」のような、えげつないエロ本も収蔵されているそうである。マンガをあまりお上品な、お行儀の良いものと分類されるのも、正当な評価ではないと思うが、エログロ雑誌と同じ扱いでは、マンガに関る仕事をしていても、あまり尊敬されないのも無理はない。

でも元々僕は、人から一目置かれるとか、社会的に尊敬されるとかいうこととは別の領域で生きていきたいと熱望しているところの者ですので、それはそれで居心地のいい場所ではあります。


図版は僕のヒーロー山野一さんの、「四丁目の夕日」の扉だが、この作品は1985年の7月から1986年の7月まで、一年間「ガロ」に連載された。僕はこの作品をリアルタイムで読んでいて、毎月次の「ガロ」が発売されるのを心待ちにしていた。僕はこの作品を、日本のマンガ史のみならず、思想史までを大きく変えるようなエポックな作品だと信じて疑わなかった。


ウィキペディアでは「下町の懐かしい風景の中に潜む格差、貧困、家族の絆や友情の崩壊といった悲劇を、漫画史上に残る過激な表現を織り交ぜて執拗に描き、人間を狂気に至らしめる「不幸のどん底」を、滑稽さの混じった入念な表現で余すことなく徹底的に描き切った作品である。SF色が強い前作『夢の島で逢いましょう』とは一転して、本作では非現実的な要素は極力排除されており、現実でも起こりうる不幸の極限を描いている。現在に至るまで本作はトラウマ漫画の王道としてカルト的な人気があり、読者の心をえぐり続けている。タイトルは西岸良平の漫画『三丁目の夕日』のパロディであり「三丁目」と間違えて「四丁目」を読んでしまった被害者も存在する。2015年にはKindleから無修正で電子書籍化された。」と紹介されている。


ある意味ヴォルテールの「カンディード」に通ずる部分もあるではないか。
僕はこの作品が「ガロ」という、マイナーな雑誌に掲載されていたため、いまいち認知度が低いのだろうと、大学の同級生や、職場の同僚、先輩などにこの作品を薦め、啓蒙活動に余念がなかったのだが、感想はおおむね不評で、もしかしたら自分は、世間の感覚とどこかズレているのかな?と薄々思うようになっていった。それが不幸の始まりだったのだが、というか、けして不幸だとは思わなかったが、自分は社会で孤立してるのかな、と、それ以来徐々に思うようにはなっていったのである。あの頃は孤独だったなあ。今でも孤独ですが、人間というのは本来孤独なものなんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?