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43-山地悠紀夫について

 今回のお勉強に使用したテキストは、松原タニシ「怖い間取り」、池谷孝司「死刑でいいです」、小川善照「我思うゆえに我あり」、別冊宝島編集部「昭和・平成 日本の凶悪犯罪100」の4冊、そして、今回はあらためて読みはしなかったが小野不由美「残穢」も大きな影響を与えている。

 まず松原タニシの著作を読み、タニシが最初に住んだ事故物件が、「大阪美人姉妹殺害事件」の現場マンションであったことを知る。ところがこのマンションはその事件が起きて事故物件になったわけではなく、その数年前から色々な現象が起きていたのだ。

 よしもとクリエイティブエージェンシー所属のチャド・マレーンの加藤貴博がかつてこのマンションに住んでいたことがあり、その加藤の部屋に彼女が遊びに来る度に、実家に帰った時に霊感のある母親から「あんた幽霊連れて帰ってくるのやめなさい」と言われていたそうだ。

 そして加藤は3年連続でM-1グランプリで準決勝に残ったそうだが、3年連続で準決勝で敗退し、決勝戦の当日には敗者復活戦に出ていたらしい。その敗者復活戦の直前にマンションの前で3年連続でひき逃げに遭っているのだ。

 それでこのままこのマンションに住み続けたらまたM-1前にひき逃げに遭ってしまうと思い、別のマンションに引っ越した。そしてある日テレビを見ていたら、自分が住んでいたマンションが写し出され、そこで残虐な殺人事件が起きたことを知ったのである。

 これが「大阪美人姉妹殺害事件」で、つまりこの事件が起きる3年以上前からそのマンションでは奇怪なことが起きていたことになる。そして松原タニシ自身もそのマンションに住んでいる時にひき逃げに遭っている。マンションに住み始めて一週間目に、マンションの前で自転車にまたがった瞬間、黒いスポーツカーに跳ね飛ばされたのである。

 僕はそれを読んで小野不由美の「残穢」を思い出した。「残穢」というのは、その土地が感染している「穢れ」の影響で、その土地に建っている建物に住む人間になにがしかの不幸がおこっているのではないか、というような内容のドキュメンタリー形式の小説だ。

 「大阪美人姉妹殺害事件」を起こしたのは山地悠紀夫という男だ。僕はこの山地悠紀夫のことが気になり、池谷孝司という共同通信社の記者が編著した「死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人」という本をアマゾンで注文して取り寄せた。

 その本を読みかけている時、偶然ブックオフで、別冊宝島編集部が編著した「昭和・平成 日本の凶悪事件100」という本を見つけて購入した。その中には山地悠紀夫についても書かれていて、その記事を書いた小川善照の
「我思うゆえに我あり 山地悠紀夫の二度の殺人」という本もアマゾンで取り寄せた。

 山地悠紀夫の生い立ちや起こした事件についての記述は、読んでいてそんなに楽しいものではなく、途中何度も頭痛がして、何度も中断してマンガに逃避した。それで2冊のドキュメンタリーを読むのにほぼ2ヶ月かかったのである。

 山地悠紀夫は1983年(昭和58年)8月21日山口市生まれ。父親はアル中で母親や山地に暴力をふるい、山地が小学5年の時に血を吐いて亡くなった。母親は「死んでせいせいした」と言ったそうである。父方の祖母は母親の悪口をいつも言っていた。

 その影響もあって山地はこの父親を慕っており、母親のことは憎んでいたと取り調べや裁判で語っている。母親はスーパーでパートをしていたが、家計は極貧で母親はあちこちから借金をしていた。

 元々偏屈で同級生を見下すようなところがあり、クラスでも浮いていた山地は、中学二年から不登校気味になり、中三の時は一日も授業に出ていない。中学を卒業する時、岡山県の縫製工場の就職試験を受けたが採用されず、友人の紹介で新聞配達の仕事を始める。

 山地家の窮乏は続き、母親は時折山地の財布からもアルバイトの給料を抜いたりしていた。実は母親には浪費癖があり、服やバッグをローンで買い、消費者金融などに多額の借金をしていた。

 ついに山地家は電気もガスも水道も止まり、母親は息子に相談せずに自己破産の準備を進めていた。山地は新聞配達の仕事をしながら近所のゲームショップに出入りして、トレーディングカードゲームに熱中していた。

 そのゲームショップに山地より7歳年上のアルバイトの女性(仮名美幸)がいた。ゲーム仲間と一緒に食事に行ったりするうちにだんだん美幸と親しくなっていったが、美幸にはつきあっている彼氏がいた。美幸はゲームショップの近くのアパートで一人暮らしをしていたが、最近彼氏とはあまりうまくいっていないようだった。

 その日山地は新聞配達を無断欠勤し、美幸の部屋に泊まった。おそらくそれは山地の初体験だったであろうが、美幸の部屋にはコンドームがなく、美幸は、「妊娠しとったら責任とってね」と言った。山地は「彼氏と別れてくれ」と言って、美幸のアパートをあとにした。それから友人の家に行きパソコンを借りて、そのパソコンから美幸の携帯にメールした。彼氏との話し合いがどうなったか知りたかったのだ。

 彼氏は「別れない」と言ったらしく、山地も彼氏と戦う決意をし、結局その日も新聞配達を無断欠勤してしまった。次の日山地は新聞配達の上司にもっと軒数を増やしてくれとかけあった。そのためにはバイクの免許を取って、バイクも買うと宣言し、バイクの下見にも行った。金を稼いで美幸を養うつもりでいた。ゲームショップに美幸に会いに行った。

 また美幸のアパートへ行き、バイクを買って軒数を増やし、お金を稼ぐつもりだと報告した。そんな時、美幸の携帯が鳴った、無言電話だった。一時間ほどしてまた無言電話がかかった。携帯の着信履歴を見て山地は自分の家の番号ではないかと思った。美幸は彼氏と話すために外出し、山地は新聞配達に出かけた。次の日の早朝、また美幸の携帯に無言電話がかかった。山地は新聞配達でいなかった。

 その日ゲームショップに山地が美幸に会いに行くと、また無言電話があったと聞かされた。着信履歴を見たら同じ番号だった。山地は一度家に帰り、自宅の電話から美幸にかけてみた。やはり残っていた着信履歴は
その電話からかかっていたものだった。

 おそらく山地の財布から母親が金を抜いた時、一緒に入っていた美幸の名刺をこっそり見ていたようだった。帰ってきた母親を問い詰め激昂した山地は最初は素手で殴りつけ、そして金属バットを持ち出して母親を殴り殺した。すぐにとどめをささないように頭部を避けて殴り続けたという。

 そしてそれから新聞配達に行き、午後からはゲームショップに行って
美幸を食事に誘った。家に帰ったら母親の死体が横たわっており、毛布にくるんでみたがどうしようもなく、山地は自分で警察に電話した。山地は少年院に収容された。同級生の保護者を中心に嘆願書が集められ、裁判所に提出された。

 山地は少年院で月に一回、精神科の医師によるカウンセリングを受けていた。結果「アスペルガー症候群の疑いあり」と診断されたが、元来アスペルガー症候群というのは、犯罪の要因となるようなものではなく、当時はアスペルガーという概念自体、一般的にはあまり知られておらず、アスペルガーに対するケアは特に行われなかった。

 3年程度で少年院を出た山地は、唯一の親族である伯父(母の兄)から引き取りを断られ、引き取り手がいなかったため、更生施設で暮らすことになった。その更生施設で出会った人が、山地の父親のことを知っていた。その人(仮名村川)はテキ屋で、今度家に遊びに来いと言われた。そして山地は面接を受けてパチンコ屋で住み込みで働くことになった。

 仕事が休みの日には村川の屋台に会いに行った。村川の自宅にも遊びに行った。ある日山地が勤めるパチンコ屋に少年院で一緒だった男が訪ねて来た。その男は何回か訪ねて来るようになって、山地は避けるために勤め先を変わった。

 新しい店では上司からいじめを受けた。山地は村川を訪ね、知り合いのゴト師の紹介を依頼した。ゴト師というのは、パチンコでイカサマをやってもうけるのを生業としている人たちのことである。

 山地の店に以前の店に出入りしていた、少年院時代の知り合いがまた訪ねて来るようになった。山地は逃げ切れなくなり、ついに店を辞めてしまった。そして村川に紹介してもらった、ゴト師の村岡(仮名)のもとで働くことになった。

 村岡の本拠地は博多区の月隈にあった。村岡の元で山地はゴト師として、
イカサマに使う体感器の販売、体感器を使用しての打ち子、体感器の販売のためのデモンストレーション、などの業務をこなしていた。

 村岡が製造販売していた体感器は、ニューパルサーRXとニューパルサーXという、パチスロを攻略するためのものだった。メーカーが新しい台を出す、ゴト師が改良した体感器を製作する、パチンコ屋がそれを取り締まる、というようなイタチごっこが延々繰り返されていて、ゴト師もあちこちの都市に遠征して古い機種を置いているパチンコ屋や、取り締まりの緩いパチンコ屋を探して稼いで回るということもしていた。

 山地たちも博多から、広島、岡山、大阪などに遠征していた。そして山地は岡山で体感器使用の窃盗容疑で逮捕された。結局山地は起訴猶予で釈放され、博多のアジトに帰ってきた。

 その頃村岡は大阪に遠征した時に滞在するためのマンションを借りた。それが事件現場となったマンションだ。これまでは遠征にはビジネスホテルを使っていたが、パチンコ屋の取り締まりが厳しくなり、遠征してもあまり稼げなくなったため、経費削減のためにマンションを借りたのだ。

 しかしメーカーが開発した、ベースチェックアダプターという、ゴト師対策の機械のせいで、ゴト師はより稼げなくなっていった。村岡の機嫌は悪くなり、打ち子たちにもきつくあたるようになっていった。山地の仲間の打ち子が店に捕まり、店員たちから袋叩きにあった。それでも村岡は「お前らの腕が悪いんじゃ」と山地を強く叱責した。山地は村岡のところを辞めると言った。

 山地は自暴自棄になり、近くの公園で過ごしたあと、同じマンションの別の階に住む姉妹の部屋に押し入って二人を殺害し、強姦して放火して逃走した。その様子はあまりに残虐で詳しく書く事はできない。

 山地は裁判で姉妹を殺害した理由を「母親を殺した時の快感が忘れられず、もう一度人を殺したかった、あの二人ではなくても相手は誰でもよかった」と語っている。また「村岡に対して復讐するために、あのマンションで事件を起こせばアジトが使えなくなると思ってやった」とも語っている。どちらもつじつまの合わないあやふやな主張だ。

 小川善照は姉妹の姉の方が美幸に雰囲気が似ていたので、計画的に狙ったのではないかと推理して書いている。山地は計画性を頑なに否定している。当然ながらどちらの本でも、現場マンションに何かの「残穢」があったのではなかろうか、というような視点のアプローチは一切なかった。

 僕は山地が「切れる17歳」といわれていた世代、昭和56年から60年の間の生まれだったということと、現場マンションでは事件以前から怪異が頻発していたという、松原タニシの著作の記述に興味を持ち、今回の「お勉強」に取り組んだ。

 約2ヶ月にわたるつらい作業だった。それも対価が支払われることのない一見不毛にも見える作業だ。しかしこうしてネットにアップすることによって、人工知能の膨大な知の体系の中には僕の思考は登録された。siriが前澤社長あたりに進言して、僕にボーナスが支払われるようなことも起こらないとも言えないのである。

 これが一見不毛な僕の「お勉強」の報告だ。これ以降あった新たな動きで言えば小野不由美の「残穢」が映画化されて、小野不由美にあたる役を演じたのは竹内結子だったが、その竹内結子が謎の自殺を遂げた。そして松原タニシの「怖い間取り」も映画化されたが、その主演の亀梨和也も、ちょっとしたスキャンダルに巻き込まれそうになっていた。本当に「穢れ」は伝染するのだろうか? 

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