息子とコーヒーの名店を訪ねた話

これは8年も前の話。
ちょっとした知り合いのコーヒー屋さんがいるのだが、
その人に教えていただいた福岡屈指のコーヒーの名店に、
子供と一緒に行った時の話。
当時息子のハルは12歳。カフェやコーヒーに興味を持っていた。

店は常連客でいっぱいで、
みんな小声で会話しながらコーヒーを楽しんでいる。
店内にはクラシック音楽が流れていて、
メニューには何種類かのコーヒーと、
フルーツケーキしか載っていない、
いわゆる昔ながらの「純喫茶」である。

子供はその雰囲気にのまれて、
グアテマラというコーヒーを注文し、
カウンターでカチカチに緊張している。
僕はコーヒーの味はあまりわからないので、
カフェオレを注文した。

子供が砂糖も入れずに飲んでいるので、
「砂糖を入れてもいいんだよ」と言うと、
目の前にある砂糖壺の存在にも気付いていなかった。

こういう超一流のものに触れてみるというのも、
いい経験かもしれないが、
しかし、そこまで緊張することもない。
そもそもコーヒーというのは、
リラックスした時間を楽しむためのものなのだから。

「何か話をしてみろよ」
「えっ?」
「なんでもいいから、思いついたことを話してみな」
子供は少し考えて、
「イランで『おしん』っていうドラマが放送されたんだけど、
それを見たイランの人たちがNHKに食べ物とか着るものを
おしんにあげてくれと言って送ってきたんだって・・・」
うーん、微妙な話題だ。

日本でも一時期イラン映画がブームになって、
アッバス・キアロスタミ監督や、
マジッド・マジディー監督なんかは、
世界的にも評価されていたんだ・・・・
というような話でもしようか、あるいは、
日本はキリスト教文化圏の末端に属しているので、
イスラム圏の文化に対してはまだまだ不寛容な部分が多いけど、
そういう理屈を超えて「おしん」みたいなものをきっかけに、
人の心と心みたいな部分で交流できたらいいよね、
というような話でもしようか・・・・

どちらもちょっと話題が堅過ぎて、
いかにも「純喫茶」という感じの、
スノッブな会話になりかねない。
もうちょっと軽い、
「花見に行った?」
「そろそろ散っちゃうよね」というような、
とりとめのない会話をしたかったのだが、
どうも僕も雰囲気にのまれているようだ。

カウンターの中では店の人が、
アイスピックで氷を割りはじめた。
最近ではあまり見かけなくなった光景だ。

そわそわと席を立とうとしていた子供に、
「せっかくだから氷を割るところを見ていけよ」
と言って、しばらく見学させた。
こういう、さりげないけど非日常な行為の中に、
洗練された技術やこだわりを感じてもらえれば、
こうして2人してガチガチに緊張した甲斐もあると思った。

子供と一緒に、オシャレで洗練された、
午後のひとときを過ごせないかと思ったのだが、
なかなかイメージ通りには行かないものである。
しかし、それはそれで楽しいのだ。

ガチガチに緊張した、
コーヒーの名店での時間を過ごしたあと、
近くにある神社の境内で、桜の下を歩きながら、
とりとめのない会話をした。

「どうだった、店の人の人柄を味わえた?」
「え、どういうこと?」
「あの店を教えてくれた後藤さんは、
あの店のコーヒーにはマスターの人柄が表れていると言ってたよ」
「いや、そこまではわからなかった」
「そういうのがわからないんじゃ、
カフェなんて開店できないね」
「そういう自分はどうだったの?」
「俺はもともとコーヒーの味はわからないから、
だからカフェオレを注文してたでしょ?」
「それじゃ駄目じゃない」
「いいんだよ、俺はカフェやっても、
客には缶コーヒー出すから」
「缶コーヒー?そんなんでいいの?」
「いいよ、最初からうちのコーヒーは缶コーヒーですから
って言って出すから」
というような、くだらない会話をしながら歩いていた。

神社の鳥居の近くを通った時、子供が、
「あのね、鳥居から御宮に続く道があるでしょ」
「うん、参道だろ」
「そう、その参道の真ん中を歩いちゃいけないって知ってた?」
知っていたが知らないふりをして「なんで?」と聞くと、
「参道の真ん中は神様の通り道なんで、
空けておかなければならないんだって」と言う。
確かにそういう説もあるのだが、
それはかなり高等な参拝テクニックである。
よくそんなことを知ってるなと思った。

「それから手を合わせる時は
手と手をピッタリくっつけちゃいけないんだよ」
そのことは知らなかった。「なんで?」と聞くと、
「指の節と節がくっつくと、節合わせっていって、
不幸せに通じると言われているから。」
さてはお前はウンチク王だな、と思った。

きっとなにかの本で読んだ知識が面白くて、
それを覚えていたのだろう。
うちの子供は特定の宗教を持っているわけではない。
しかし、たまに子供と話すと、
いつのまにか成長していて面白い。

神社を抜けると子供が通っていた保育園がある。
僕もよく送り迎えをしたものである。
今でも時々この保育園の近くを子供と一緒に通ることはあるのだが、
何度誘っても子供は保育園に寄ってみようとはしなかった。
「なぜ?」と聞くと「なんとなく恥ずかしいから」という答えだった。

しかしこの日は保育園の入口の前に出たので、
そのまま保育園に入ってみた。
その保育園の壁や柱には、毎年卒園する園児が、
記念に絵を書いているのだが、
「このオレンジの魚は僕が書いたんだよ」と子供が言った。
僕はそのことは知らなかった。

あの頃は小さかったので、この高さに書いたのなら、
なにかの台の上に乗って書いたのだろうと思った。
保育園の先生が「卒園生の方ですか」と声をかけてきた。
「そうです」と答えて少し話していたら
その保育園にはうちの子供の世話をしてくださった先生が、
まだいらっしゃることがわかり、その先生を呼んでくれた。

「あら、久し振り、上がって中を見ていきなさいよ」
と言われて、子供は靴を脱いで保育園に入っていった。
僕は、すぐ戻ってくるだろうと思って玄関で待っていたのだが、
なかなか子供は戻って来ない。先生だけが戻って来て、
「お父さんもどうぞ、上がってください」と言われた。

中に入ると、うちの子供が一人で園庭を見ていた。
「どうした、なつかしいのか」と聞くと、
「うん、なつかしいねえ」と言う。
そうか、中学生のこいつにも、
もう振り返る思い出があるのか、と思う。

俺だってなつかしいよ、ここには、
何十回も何百回も、お前を連れて来たり、
迎えに来たりしていたんだよ。

この保育園はあと一年したら取り壊されて、
新しく建て替えられるのだそうである。
園児はほとんど帰った後だったが、
園内には小さな子供特有の、
ミルクのような匂いが漂っていた。

これが8年前の思い出、息子のハルは来月には大学4年生になる。就活についての相談を先日受けたばかりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?