喜びも悲しみも幾年月
2016年の1月10日には、朝から、
久留米の石橋美術館に行っていた。
そこで福岡県新春書道展というのがやっていて、
当時高校生だった息子のハルが書いた書が展示されていたからだ。
ハルは福岡市教育委員会なんとか賞というのをもらっていた。
前の日、実家で食事をしていて、
「明日、表彰式があるから、
ぴーやん(僕の愛称)も来てくれないかな?」
と言われたのだが、会場に行けば、
前の奥さんに会うかもしれないので、
「なんか面倒くさいんで、
俺は行かなくていいかな?
書いた書は返ってくるんだろ?」と聞いたら、
ハルは淋しそうな顔をして、
「まあ、いいけど」と言った。
前の奥さんとあまりうまく行ってなかったので、ハルの細かい情報は伝わって来ず、ハルには、運動会も、卒業式も、入学式にも、ほとんど行ってやったことがない。
僕の同級生に話を聞くと、子供がサッカーをやっていて、
毎週練習だの試合だので、送り迎えをしてやって、
子供が中学を卒業した後は、
週末にやることが無くなって、手持ち無沙汰になった、
なんていう話もあった。
父と前の奥さんは細かく連絡を取り合っていたから、僕のかわりに僕の父がハルのほとんどの行事に出席し、元カメラマンだった父が、過剰な枚数の写真を撮ってやり、ハルのクラスメートの分までプリンターで印刷して毎回ハルに手渡していた。
だからといって、僕が行かなくてもいいというものでもない。
僕は僕なりにできる範囲で、
子供のことを気にかけているつもりだが、
子供が望んでいるものを
全て与えられているわけではないのはわかっている。
ハルは12時に書道部のみんなと西鉄久留米駅で待ち合わせて、
それから会場に移動するということだったので、
僕は父と11時に久留米駅で待ち合わせて、
早めに会場に行き、先にハルの書を見て、
ハルが会場に着く頃に、軽く挨拶して、
入れ替わりに帰ることにした。
久留米の駅から石橋美術館までは意外と近く、
タクシーですぐに着いてしまった。
会場もまだガラガラで、ハルの書はすぐに見つかり、
11時30分くらいには、何もすることが無くなった。
父は表彰式が終わるまで会場にいるつもりだから、
僕は「ハルに一目会ったら先に帰るよ」と言って父と別れた。
石橋美術館の周りは公園のようになっている。
僕は噴水のそばのベンチに座って、
これまでの人生を思い返していた。
一時間ほど懺悔の時間が続き、12時20分頃になって、
身体も冷えてきたので、ハルの携帯に電話してみた。
「あ、ぴーやん!!」意外に明るい声であった。
「お前今何してるの?」
「ラーメン屋でみんなと食事してる」
たしかに周りはガヤガヤとしていた。
「もうお前の書は見たから、俺は先に帰ってもいいかな?」
「うん、いいよ」
このままハルを待って、
バスから降りてくるハルの姿を見たら、
泣いてしまいそうであった。
電話を切ったあと、
いたたまれなくなって、
熊本の奥さんに電話してみた。
僕「何してた?」
妻「まだ寝てたっていうか、今起きたところ、
昨日の『すべらない話』見た?」
僕「昨日は実家に行ってて、
帰ったら半分くらい終わってた」
妻「中居くんが出ててね、
ちゃんとしゃべれるのかなと思ってたけど、
意外に面白かったよ」
僕「中居の話のところは見てない」
妻「ジャニーさんの誕生日っていう話でね・・・・」
うちの奥さんは徹底的に脳天気だが、
その無神経さに救われる時もある。
適当に話を切り上げて、
僕は久留米駅まで歩いて帰った。
その時に会場に展示されていたハルの書は、後に僕がもらいうけ、今でも僕の部屋に飾ってある。
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