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VHSレンタルのお話

僕が高校生の頃、
と言えば1985年くらいの事だ。

その頃はまだ、
一般家庭にビデオデッキが
普及し始めたばかりの頃で、
僕の家にはまだなかったし、
買える家にはVHSかベータか、
という選択が迫られていた頃だった。

その頃音楽ソフトのレンタルはアナログレコードで、
レンタルレコード屋には、
ビデオソフトがほんの何本か
置いてあるだけだった。

ビデオデッキは
ベータでもVHSでも
1台12万円くらいし、
ビデオテープは
1本2~3千円した。
たしかベータの方が高かった。

ちなみにその数年前、
本当にホームビデオが
家庭になかった頃は、
ビデオデッキは一台
40~50万円くらいだった。

僕が通っていた高校の最寄りの駅、
福岡市の西鉄大橋駅前のロータリーのところに
「ガレージ」というレンタルレコード屋があって、
そこに僕の中学の同級生だった子が
アルバイトで店員をしていた。

僕は何かのレコードを探しに
その店に行っていたのだが、
その時偶然一緒に行っていた友達
(と言っても同じ高校ではなかった、
彼は東福岡高校だった)が、
「あ、このビデオあるんだ」
と、その女の子に聞いていた。

それは筒井康隆の原作で、
筒井康隆本人も出ていた、
「俗物図鑑」という映画だった。

ものすごくサブカル臭の強い映画で、
僕にとっては異世界の映画だった。

その映画をレンタルするためには
1泊2日で1.000円くらいし、
さらにその店員は
「ダビングする?」と
僕の友達に聞いていた。

ダビングするならテープ代と、
ダビング手数料とで、
5.000円くらいかかった。
映画一本でその値段である。

個人経営のレンタル屋が
雨後の竹の子のように
あちこちにできていた頃で、
高校生の間で
「あのレコード聞いた?」と、
話題になっていたのは
カルチャークラブだった。

ボーカルのボーイ・ジョージが
男だか女だかわからない服装で
「カマカマカマカマ」と唄うので、
「オカマの唄」と呼ばれていた。

そしてその頃ブランドだったSONYは、
VHSベータ戦争に破れて、
のちにはウォークマンiPod戦争にも破れ、
徐々に凋落していったのである。

著作権も何もあったものじゃない、
当時の出鱈目なレンタル事情でした。



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