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魂は戻ってきたのか? その1

以下の文章は3年前にFacebookに書いたものである。
3年前に「20年くらい前」と書いているので、
もう23年以上は前のことについて書かれている文章になる。
冒頭に出てくる「霊能師匠」というのは、
2021年にお亡くなりになった、
山村道子さんという、僕の最初の師匠のことである。

「魂が戻りつつあるのか?」

もう20年くらい前のことである。
霊能師匠のところで、「私の魂、帰って来て」と
呼びかけてみなさいと言われたことがある。

それはしばらくの間、
霊能師匠が訪れる人みんなに言っていたアドバイスで、
僕も半信半疑のまま、自分の魂に呼びかけてみた。
その時はそれだけだったのだが、
それはどういう意味だったかというと、
人間はみんな自分の「魂」というものを持っている。
「魂」とは言い換えれば
「人生の目的」のようなもので、
その目的があるからこそ、人は生まれてきて、
その目的を成し遂げるまで生きている。
ところが人間の中には、
「魂」を誰かに預けてしまって、
「魂」を持たないままに生きている人間もいる。
誰に預けているかというと「神様」にだ。
例えば僕の例で言えば、
僕は前世であまりにも宗教の教義を信じ過ぎて、
「神様」に「魂」を預けちゃったまま、
今回の僕として生まれて来たようなのだ。
僕にとってはこれがデフォルト状態なので、
全く自覚も危機感もなかったのだが、
うちの奥さんのようなノーマルな人から見ると、
かなり異常な状態なのだそうだ。
まあうちの奥さんがノーマルかはわからないが。

それで霊能師匠は
「魂、帰って来て」と言うやり方を教えれば、
それでみんな「魂」を取り戻して、
安定した心で生きてもらえると思っていたようなのだが、
「魂」を誰かに預けてしまった人の
心の中の本来「魂」があるべきの場所には、
「神様の教え」が鎮座してしまっていて、
「魂」が戻って来ても、落ち着く場所がなく、
せっかく戻って来てくれた魂は、
僕の周りをフワフワ飛ぶばかりで、
僕の中には戻って来れなかったようなのだ。

それで今回の僕の大胆な仮説なのだが、
カイロプラクティックの影響で、
正しく生きる方向に向かいつつある僕は、
僕の中に鎮座している「神様の教え」を
外に排出し、「魂」が戻る場所を
確保しつつあるのではないか、
という仮説なのである。
「魂」を取り戻した僕が、
どうなったかはまたご報告します。

ここまでが3年前のFacebookの文章。
次に補足説明を投稿します。


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