見出し画像

コミュニケーション中のベクトル

今朝の #こえのブログ

今朝見ていたYouTubeでメンタリストDAIGOさんの言っていた「コミュニケーションが苦手な人は自分にフォーカスが向いている」という話と

昨日のミーティングで話題になった「MCやファシリテーターの経験から感じたこと」の話がリンクして

コミュニケーションのベクトルに注目すると面白いなぁ…と感じたのが今朝の話です。


と、思っていたら
Twitterでも、こんな話題が流れてきたのです。

息子くんの言う「ごめんなさい」

「お母さんに申し訳ない気持ち」と
「自分のやってしまった後悔」と
どちらの気持ちが大きい?

というお話。


“自分”のやってしまったことへの後悔へベクトルが向いていると、
「ごめんなさい」の気持ちが伝わりません。


私は「ごめんなさい」と「ありがとう」をきちんと伝えることを何より大切にしたいと思っています。


でも、殊更「ごめんなさい」については

どうしてもうまく伝えられなかったり

伝えたとしてもわだかまりを残す結果になったり

逆に言われたときに「本当に思っているの?」とモヤモヤしたり。


なぜそうなってしまうのかはわからずに、長いこと気になっている現象でした。


でも、今日このツイートを見て、

「なるほどーーー!」と。
ストンと腑に落ちました。


「こんなことしてしまうなんてだめだー」と後悔するとか、「自分を守らなきゃ」と戦わずへり下るとか。

そういうときの「ごめんなさい」は、自分にめちゃくちゃフォーカス向いていたと思います。

そして、そういう状態の人に「ごめんなさい」を伝えられたとき、納得がいっていないことがよくあるのでした。

Twitter、こういう気づきがよくあるから好き。


「ごめんなさい」に限らず、こういう現象ってたくさんあると思います。

感謝が伝わらない、危機感が伝わらない、熱意が伝わらない、好意が伝わらない……

ありとあらゆるコミュニケーションのなかで、
「なんかイマイチ伝わってない気がする」
という現象。


自分もよく、感じていました。

会社員だった頃は、お客様の人生における大事な決断に関わっていることも多くありましたので、
自分としてはとても丁寧に大切に伝えている“つもり”でした。

そのなかで、なかなか私の意図が伝わらないままことが進んでいった結果

「だから、言ったのに」と思うことが、本当によくありました。


「私はちゃんと伝えたんです」

「それなのに、わかってくれなくて」

「やっぱりそうなっちゃったんです」


お客様との関わりだけでなくて、
後輩指導や部下との関わりなど、
もしかすると多くの方が「だから言ったのに」を経験しているかもしれません。


でも、伝わらなかった本当の理由って、
どこにあったのでしょう?

そのときに、相手の理解力や態度に理由を求めても先には進みません。


その言葉を発しているときの自分のベクトルは、どこに向いていたのか?


振り返ってみると、改善点が見えてくるのかもしれません。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?