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自分に誠実であること

今朝の #こえのブログ


書芸家kopa.さんがTwitterでやっている企画に参加しまして、書を書いて頂きました。


スマホに眠っている画像、片っ端から掘り起こして拾ってきた1枚を送りました!

そして、頂いたのがこちらのメッセージ。



私は私に誠実でいたい。

それだけで花ひらくから。



これは今まさに、自分が最も大切にしていることです。



母になって、生活時間のほとんどが、子どものリズムによって変わりました。

良い変化もあれば、もちろん対応するのが大変なこともあります。


寝るのも起きるのも食事も遊びも、全ての行動に「私」を必要とする命が目の前にあって、
放っておけばいつどんな危険があるのかもわからない小さくて大きなエネルギーをもつ存在。


この子の存在が、私を縛りつけるものになるのであれば、それは苦しみも伴うのかもしれません。

実際、Twitter上で見かけるママさんの苦しみツイートの多くは、「自由がない」ことから生まれています。


ママさんの多くは、産後はほぼ無意識的に、自宅に篭って生活をすることが当たり前のようになっていると思います。

少なくとも、日本においては。


その生活のなかで生まれる苦しさや憤り。


産後はホルモンバランスが崩れるとか、産後うつで落ち込みやすくなるとか、色々言われてきました。


けれども…

こちらのツイートにあるとおり。

実は、人として当たり前にしんどいことだったのだと、このコロナショックでわかりました。


感染予防として、多くの方が半強制的に自宅生活を送ることになり、その窮屈さを口にしています。


5月に自粛期間が終わったら、あれをやりたい

事態が落ち着いたら、これをやりたい


この声って、今までママさんたちが放ち続けてきた

「自由な時間があれば」

「自分一人の時間が取れれば」

という叫びと、全く同じなのです。



ところで、この声が「不満」として聞こえてくるのは、どのようなときでしょうか。


「私の本当の望み」を押し殺して、見ないふりして、世の中がいう「正義」に従っているとき、

その「正義」に従っていない人を、物凄い悪人のように思えると思います。


でも、その真意は「あの人はずるい」です。

「あの人はずるい」という言葉が出てくるときは往々にして、「私は我慢しているのに」が隠れています。


自分の「我慢」という努力を汲んでくれない相手に対する怒り。


でも、その矛先を相手に向け続けたとして、
本当に得たい喜びは手に入るのでしょうか?


おそらく、それで相手が屈したとしても充実感は生まれないでしょう。


旦那さんにお願いしてもぎ取った自分の時間を、ソワソワして、楽しみきれないママさんがいます。


子どもは大丈夫だろうか?

旦那さんは大丈夫だろうか?

ちゃんとお世話できているだろうか?

イライラしていないだろうか?


そして、せっかく手に入れた自分の時間を楽しみきることもなく、帰ってしまうのです。


人はこれを、「子どもが大切だから」と正当化します。


でも、本当にそれが正当ですか?



恐らくこの人は、次の日旦那さんが飲み会に出かけて遅くなるのであれば、

「私は早く帰ってきたのに」

「なんでこの子と過ごしたくないのだろう」

と、不満が生まれ続けるでしょう。


私が我慢した先で、良い環境は生まれません。

私さえ我慢すれば…は、勘違いです。


譲歩はもちろん必要です。

社会は人と人との関係のなかで成り立っているのですから。

譲歩は辛抱だと思います。我慢ではありません。辛抱の先には前進があります。

でも、自分の声を無視して我慢し続けた先に、良い結果は絶対に待っていません。


だから、
私は私自身に対して誠実でいたいのです。


私の声を無視せず、拾い上げて掬い上げて、
どうしたら叶えられるのか、
どうしたら譲歩できるのかを考えます。

押し殺すことは絶対にしません。


人の感情はGよりよっぽどしつこいのです。

形を変え、品を変え、手法を変え、
ねじ曲がりながら必ず日の目をみようと
表に現れるのが人の感情です。

歪みきった感情は、手の施しようがなくなります。

その先で、充実を得るのは至難の業です。


だから私は、ねじ曲がる前に、一度外に出してあげることが大切だと思います。


私はどうしたいのか。

見つめる、見直す。


もしかすると、譲歩する手段があるのかもしれない。

そう思ったら、まずは環境に相談をするべきです。どうしたら未来への前進に繋がる辛抱をできるのか、考えます。


譲歩することができないのであれば、それはもう環境を変えるしかありません。

世間的な「正しい」は、あくまでそのコミュニティにおける「正しい」です。

そのなかで生きていくことが苦しいなら、それは捨てればいいだけです。


自分に対して誠実である

ということは、ただただ望みを叶えるだけではありません。

なにが本当に必要なことなのか、考えつづける。

見つめつづける。


その挑戦を重ねていれば、周りの言動よりも大切にするべきものが、見えてくるような気がします。


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