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最終話:2020年5月14日。新型コロナ真っ只中、51歳で生まれて初めて起業した。

・・・つづき。最終話です。

2020年4月30日。18年勤めた 外資系広告会社を退社した。
振り返れば、自分のキャラと立ち位置をカタチ作ってくれた、晩年に振り返った時に、間違いなく「自分の一番派手だった時代」と言えるであろう(笑)時代を締めくくる最後の日は、6人しか出社していなかった。

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出社6人でも、一人の後輩が花束と、寄せ書きを作ってくれていて感動。しかも夜は、ZOOMで「送別会」を開催してもらうという、まさに今いう「ニューノーマル」ってやつで、あまりにもあっさり僕の28年間の会社員生活は終了した。

そして、5月14日の起業へ。
・会社の名前を決める。
・実印と社員と銀行印を作る。
・資本金を決める。
・定款を作る
・・・みたいな話は「会社の作り方」的なネットや本を参照していただくとして、僕の感想的には、初めて会社を作ることも、あまりにあっさりだった。先輩にご紹介いただいた、優しい司法書士さんの言う通りにしてたら、何も困ることはなかった。51歳にして初めて体験する「登記の瞬間」も、さぞ感動的かとおもいきや、司法書士事務所で「クリック」するだけだった:笑。

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↑この所在なげな、登記登録の瞬間写真・・・

こうして、50歳の誕生日の次の日の朝、自分を襲った「このままでは、オワコンおじさんになってしまう・・」という恐怖から1年と23日後、私は会社を立ち上げた

商号:株式会社クロマニヨン
業種:ビジネスブランディングカンパニー
商標は、

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で、商標登録を出願中だ。

オフィスは、某有名プランニングファームさんの福岡オフィスに、シェアさせてもらうことで決定。メインバンクは、独立後すぐにお仕事の相談をいただいた銀行さんに決定。開業のお知らせはSNSのみ。資本金は出せるだけで決定。全ては「決めれば決まるのだ」という実感。
そしてお祝いは、お花をもらっても枯らすだけなので、アマゾンの「欲しいものリスト」を公表し、厚かましくも「これください!」と、怒られるの覚悟でお願いしたら、とんでもない位、送って頂いた!

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こういうのって、一生忘れられないと思う。送ってくださった方々のリストは、常に「クロマニヨン」のクラウド上に存在しており、この先に自分を鼓舞するときも、または自戒する時にも使わせていただきます!

これを書いている今は、2020年12月26日。
2020年は、何もできなかった・・と嘆く方にたまにお会いするが、僕にとっては、こんなに決断し、色々考えて行動した1年は、人生でなかった
そんな一年を忘れまいと、51歳の起業の思い出を書いてみた。

2019年4月21日の朝に自分がオワコンになることに恐怖
「動くこと」を決意した。
2019年12月25日に元の会社に辞意を表明し、
2020年1月15日に会社に退社を認められた。
しかし、その直後にコロナウイルス パンデミック。
2020年4月30日に退社する時には、
世の中は緊急事態宣言に完全突入。
2020年5月14日に起業することを決めたはいいが、
仕事なんかあるのか?
そもそもオワコンか?
と焦りと恐怖が日々積み重なっていったのを覚えている。

しかし、今、楽しく生きている。

楽しい。
こうなってくると、これ以上の価値は人生にない。
仕事も大変だし、プレッシャーは毎日ある。けど、楽しい。
その状態が、続くように努力しまくり、考えねばならない!という切迫感すら楽しい。

これは、もしかすると、自分が時代に添った判断と行動をできているのかもしれないという、ささやかな自信からきているのかもしれない。
それは、自分に素直に、変化する時代を受け入れて、本当に行動するしかないということ。

元々自分で事業されている方々が読めば、あまっちょろいと思われることは百も承知ですが、モヤモヤと動けない状況の中で、毎日自分に問いかけている方々の応援になればと思って書きました

ここまでの8ヶ月。前職を辞めたら無縁になちゃう人もいて寂しかったり、突然不条理なことを言われて失望するようなこともありましたが、その数百倍の嬉しい応援の言葉とか、友人や先輩経営者の方々からのアドバイスなど、その泣けるような気持ちを感じられたことが、何より宝物のような体験。これは今までなかった。
この場をかりて、皆様にひとまず感謝をさせてください!

辞めなくても独立しなくてもいい。
大事なのは、皆さんらしく踏み出すこと。
MOVE ANYWAY・・すね。

長々とありがとうございました!!

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