本多精六 私の財産告白

 親戚に薦められた本である。
著者の本田清六は苦学し東京山林学校に進学、一度は落第するも勉学に励み東大農学部の教授となった。独自の蓄財法で財をなし、晩年は多方面への投資、財団設立、寄付をした。
 
 本多精六は多数の著書があるが、その一つ「私の財産告白」では
独自の財産管理と考え方を記している。
まずすべきは①節約、そして②投資による資金調達、③その資金を使うことである。近年、若くして財を成しその後は隠居生活するFIREが注目されているが本多清六はFIREしたのではない。彼は「四十までは勤倹貯蓄、六十までは便勉学著述、七十まではお礼奉公、幸い七十まで生きれたら、居を山紫水明の温泉郷に朴し、晴耕雨読の生活を楽しむこと」と言っている。
七十以降は隠居ではないかと見受けれるが、本の中で財を成した後子孫は休むよう言うが働いている、働くことは道楽なのであるとして七十以降も本を執筆し働いていたのである。また、世渡りと金銭・貯蓄は密接に関係しているとして①~③各段階での心得が述べられている。

①節約
 本田清六(以下、著者)の財産管理方法は完全に独自の物でなく、ドイツ留学時にブレンタノ博士から進言され始めたものである。いつまでも貧乏生活を続けてはいけない、学者でも独立生活ができるだけの財産をこしらえるべきだと教わったのである。まず、著者は四分の一天引き貯金を始めたのである。月給の四分の一を貯蓄、賞与を全額貯蓄するのである。家族が不平を言おうと、情に負けず貯蓄し節約するのである。次第に貯蓄額が増えていく。
著者が強調するのは節約であり、払うべきは払い無駄な出費は慎むというものであり、せこくなってはいけないという。出費の管理に家族に家計簿をつけさせることもよしとしている。

②投資による資金調達
 著者は株式投資と山林投資で資金調達をした。まず株式投資は、インフラ系含め様々の株を買い、リスク分散をする。また、持ち株が+2割の値上がりをしたら売り、2倍に値上がりしたら半分を売った。また、不景気に値下がりした株を買うことで後に値上がりすることもあり、購入したという。
そして、「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄」「不景気、悲観時代には思い切った投資」という鉄則を打ち立てている。
そして、専門分野である山林に投資を行った。関東の荒れた安値の産地を点々と買い取り次第には広大な山林を買い取った。その後、山林開発・事業出資によって財を成した。
 財を成したところで、生活水準をむやみに挙げるべきでない。質素倹約が大事と述べる。著者自身の体験として貧乏生活したころ一杯の天丼があまりにおいしく、2杯食べたくなった。いつか2杯食べたいと書き記したのである。その後独立生活ができるようになり、2杯の天丼を食べたが全くありがたみを感じなくなっていた。幸せなのはお金を持っているからではない、一度上げた生活水準は戻らない、今後生活か上向くか・下向くかという自身の心持に依存するとしている。財と生活水準に対する考えを「天丼哲学」と著者は述べている。

③その資金を使うこと
 貯蓄、投資により得た資金は公に使うべきとしている。莫大な遺産を残すことは、税金や国の制度の変更に伴う没収などにより子孫に負担を強いてしまうと考えている。資金は財団としての利用や寄付をすべきとしている。
また、無心してきた人にむやみに貸し与えるのはよくないが、理屈が通ることであれば多少の失敗には目をつぶり援助すべきとも述べている。ベストセラー本の言葉を借りるなら、ギバーであれということでしょうか。

この本の前半に記される、著者の蓄財法と哲学についてまとめた。後半には①~③にかけての著者の体験談が記されている。

この財産管理方法は言われてみればわかる事だが、なかなか徹底してできないことである。当時の日本のインフラ、金利を考えると現代では難しい物もあるが、大枠は現代でも参考にできる財産管理方法である。

 後半で印象的なことは、平凡人はひたむきな、一か所に向けられた努力が大切である。職業を道楽化するには、勉強をするのみである。
道楽化とは、全身全霊で打ち込み日々の務めが面白くてたまらない状態になることである。道楽化することで、金・地位・名誉が付いてくると述べている。職業上の成功を得るための格言として「人生即努力、努力即幸福」と打ち出している。

 納得はできても、本多清六の述べる格言のような生き方がはできていないと痛感する。努力の方向を、周囲との対話から客観的に判断し、実行するのみである。本多清六はこの財産管理と努力を実行できているからセット億力があるのだ。

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