三つ子の魂百まで 趣味の見出し方

 「趣味はなんですか。」とりあえず世間話が弾んで、仲良くなる一歩を踏み出す時に、よく聞かれる質問である。
「庭園めぐりです、日本庭園めぐり。」答えると多くの人は「そうなんですね。」とりあえず応答し、別の話題にすっとずらしていくのである。
好きな庭園はどこかと踏み込んでくれることもあるが、一致しないとなると
話をずらされていくのである。

 日本庭園好きだと、趣味を言うたびに寂しい気持ちになっているのである。打開案として、日本庭園について自分から良さを伝え興味を持ってもらうこと、日本庭園にとどまらず相手に話題をパスしてを話をしてもらうきっかけとすることを考えた。
そのために、日本庭園が好きな理由とそのきっかけ、庭園巡りから得たことを整理してみた。この春、日本三名園を鑑賞し整理されたように思う。整理する中で、庭園鑑賞の楽しみ方に、幼少期の癖や趣味と通ずるものがあることに気付いた。

 私は記憶にないのだが①幼少期にのぞき癖があったようだ。幼稚園にすら通わない幼いころ、家のふすまやらドアを見つけ次第開けてのぞきまわり、重要書類も見ようとしたようだ。恐怖を感じた親は、あらゆるふすま・ドアに簡易的なロックをつけるようにしていたという。
 小学校に入り同世代の子たちに囲まれるも、本と向き合うことにより楽しみを感じていた。特に、日本の家屋の歴史を紹介する本がお気に入りだった。カラフルで写実的なイラストであり、子供部屋の様子やバルコニーがある家に住む姿の妄想に浸りやすい本であった。同時期、シルバニアファミリーを買ってもらい、妄想したストーリーに合わせ、家具の配置をとっかえひっかえすることにはまっていた。

 中学校に進学し、図書館で日本の四季を収めた写真集を手に取り、日本庭園を知った。その当時は言葉にできなかったが、日本庭園に惹かれた私は駒込の六義園を鑑賞した。ちなみに六義園は、江戸時代前期1695年に大名柳澤吉保が設計、造設した回遊式築山泉水庭園である。大きな池の周りに、名所になぞらえた橋や築山が結ばれている。以降四季の折には六義園を訪問している。
 中学生以来、庭園巡りが趣味であると迷いなく答えていたが、ふと日本の庭園の中でも名所である日本三名園を訪れていないのに趣味といっていいのかと迷いが生じた。

 今年の3月、偕楽園・後楽園・兼六園を訪問した。各庭園の構造の違い・造園された時代背景・目的を比べることで自分が日本庭園と認識するものが明確となり、好きな理由が分かった。

 最初に訪れた偕楽園は3月上旬梅まつりの最中であった。だだっ広い芝生の一角に全国津々浦々の梅の木がひしめき花を咲かせていた。灯篭やら池谷ら築山を目指すも見当たらず、園内マップにも載っていない。これは庭園なのかと、疑問がよぎった。梅まつりに満足したその足で、弘道館に向かった。弘道館の創設・偕楽園の造園は、江戸時代後期に水戸藩第9藩主徳川斉昭のなしたものである。偕楽園は領内の民と偕(とも)に楽しむ場とするコンセプトで造園され、3と8のつく日は領民に解放され憩いの場となっていたようである。都民の日に無料で入れる都立公園・庭園と似たものを感じる。弘道館は藩校、藩士の教育施設として創設された。藩士が学問や武芸を学ぶのみならず、医学館として医師の養成をしていた。資料館には天然痘に対する種痘の接種を領民に呼びかける取り組みの記録が展示されていた。
 偕楽園・弘道館を訪問し、徳川斉昭の領民に対する福祉・公衆衛生を提供する思いが伝わってきた。偕楽園は私の思う日本庭園ではなかった、けれど斉昭の領民への社会的サービスを提供する熱い思いは伝わってきたよ。

 3月中旬、晴れの国岡山にある岡山後楽園を訪れた。岡山城の横にたたずむ、藩主の安らぎの場として作られた庭園である。江戸時代前期岡山藩2代藩主池田綱政の命により造園された回遊式庭園である。平坦で広大な芝生の中央に池があり、そのほとりに茶室・能舞台が並び、一角には藩主好みの田園・畑もある。平坦な中にも築山を作り、見る角度によって平坦ながらも異なる情景が楽しめる趣向を凝らした庭園である。
藩主の秘密基地を、仕事にいそしむ平民ながらも藩主の気分で楽しむことができた。
 
 3月下旬、金沢の兼六園を訪問した。北風吹く、曇天の下での庭園鑑賞となった。江戸時代前期加賀藩第5代藩主前田綱紀により作庭され、江戸時代中期に焼失するも、江戸時代後期12-13代藩主の指示で現在の形に作庭された。蓮池門より中に進むと、噴水が見えた。この噴水は日本最古の噴水であり、金沢城内の噴水の試作品であったようだ。当時の最新技術に出迎えられ、桜の丘・梅林を抜けると、趣向を凝らした橋が池の周りに渡っていた。
池の周りの橋や木々にに全て名前が付いているのである。宋の詩人・李格非の「洛陽名園記」文中の、宏大・幽邃、人力・蒼古、水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で兼六園と名付けられた。欲張りな庭園である。
三名園のうち、六義園に最も似ていると感じた。

 私の思う日本庭園とは、日本各地の名勝の面影を随所にちりばめた庭園であった。名勝を模倣して作られた風景は、ミニチュアの中にいる没入感があり、築山から眺めることで②ミニチュアで全体像をみて楽しむ趣味に通ずる楽しみを感じていたのだ。
西洋式庭園は左右対称に整然としたものである。しかし、日本庭園は左右非対称で遠近、高低からの異なる景色鑑賞を意図に設計され、見る視点の違いから見えるもの見えないものがある点は①のぞき癖をくすぐられるのである。

 三名園の造園時期やコンセプトを理解し、自分にとっての日本庭園像と照らし合わせることで、日本庭園が好きな理由を明確にすることができた。
 
 三つ子の魂百まで 楽しみの見出し方とその癖は老いても変わらないようである。
 今後私は趣味を作りたければ、①幼少期からあるのぞき癖、没入感と②ミニチュアで全体像をみて楽しむ、この両者が見いだせるものを探せばいいのだ。

 

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