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菓子男異邦箱由来 3

「いや、やばくないか」
奇妙な夢が得体の知れない不安感を男に与えた、というわけではない。
妙な夢を続けてみるからといって、やたらと宿世の因縁を直観したり、宇宙からの秘密のメッセージを受け取ったりするわけにはいかない。因縁といえば会社勤めほどそれにまとわりつかれるものはないし、そもそも宇宙からは公開暗号鍵によって秘匿化されたメッセージが常時降り注いできているのだ。
神秘は科学よりも安易だ。
ものごとには理由がある。経緯がある。やむにやまれぬ事情がある。悪い夢にもしかるべき原因がある。地震の夢を見るから地震が起きるのではない。寝ている時に地震が起きたから地震の夢を見るのだ。
足の裏をありんこが這い回る夢をよく見るとしよう。その理由はいくつか考えられるだろう。男は周囲を見渡した。この場合、蓋然性の高い答えはひとつだ。
「この部屋、アリがおるな」
男は合理的な思考の持ち主だった。

おそらく、というよりもまず間違いなく、この菓子の山が敵の総本山である。おそらく、といったのはこの山のふもとからアリの行列が這い出すところを実際に目撃したわけではないからだ。
とはいえ、まずはこの山を片付けてしまう。尋常の現代人としてはそこからとりくむのがすなおな理路であった。
しかし、と男は考えた。どんどん山を食べ削っていって、そのことによって片付ける、というのも手ではないか。それというのも男は所得のかなりの割合をこの山の維持に費やしていたからだ。追加をしなければ、案外と早いうちに消失してしまうのではないか。
少しく考えて、男は食べて減らすと決断した。

一週間もしないうちに事態は最悪の段階をむかえた。
それまで姿をみなかったはずのアリたちが床といい壁といい、ところかまわず集合して、けっこうな大きさの模様となってうろうろと這い回るようになった。
夕暮れ時、部屋が赤くそまるころには、アリたちは大小さまざまな流れを形成して、さながら心臓をとりまく血管のように脈打つのだった。
「そうか、卵か」
男はその脈拍、個体を超えた群体の類的心臓ともいうべき、外界に露出された臓器の蠢きを観察しながらつぶやいた。
出産と出現とのタイムラグを考慮に入れていなかった。ということは、いま、卵の状態にあるアリはさらに膨大な数ということになる。

男の全身は赤く腫れていた。わがものがおで歩き回るアリが通りがけにちょいと一噛みしていくのだ。そのたびに大きな体をゆすぶって払い落とし、奇声を発しながら手当たり次第につぶしてまわるものの、アリのコロニーはそんな程度の抵抗で影響をあたえうる規模では、すでになかった。

「山を、崩そう」
男は腕をボリボリとかきむしりながらつぶやいた。

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