怪盗るぽんの回答 19
「おじいさまが大切にしておられたのはこころでした」
武者小路はいう。
「こころ?」
「怪盗としてのこころ」武者小路は試すような目でるぽんを見つめた。「わかりますか? 怪盗としてのこころ」
るぽんは静かに自分の考えを告げた。
「わかりません」
他人の前で、怪盗のこころなどわからない、と答えたことで、るぽんは自分のなかで何かが解き放たれたのを感じた。過去に囚われていた自分から、今まさに本当に脱却したのだ、という気がした。
「私には怪盗を名乗る資格がありません。出所したら、ふつうの人間として、生きていこうと思います。そこで私は他人には誠実に、自分には謙虚に生きていこうと思っています」
武者小路はとうめいな目でるぽんをみつめていた。
「あらためてお願いします」るぽんは武者小路に懇願した。「もし祖父のオタカラがあるなら、それは兄たちにお譲りください。私にはそれはまぶしすぎるようです」
パチパチと火が爆ぜる音が聞こえた。窓から炎の舌がベロベロと房内に入り込んできていた。さすがに熱気を感じはじめた。ようやく消火活動が始まったらしく、数台の放水車のポンプがフル回転する音が地響きのように伝わってきた。
武者小路は笑った。快活に笑った。若々しい笑い声で。おそらく若い頃、彼はおじいさまと一仕事終えるたび、こうして若々しく笑ったのだろう。若い二人を想像して、るぽんもつられて笑った。
「おじいさまが大切にしておられたのは、ただひとつです」武者小路はいった。「こころです。他人には誠実に、自分には謙虚に。おじいさまがいっておられた通りです」
武者小路はゆっくりと腰をあげた。
「そろそろ出ましょうか。ここも危なくなってきた」
武者小路が房の戸をあけると、炎の海がひろがっていた。ひるむるぽんを尻目に武者小路が一歩をふみだすと、炎が生き物のようにさっと退いて、武者小路のための道を空けた。
その道を悠然と歩きながら武者小路はいった。
「怪盗とは、勲章ではありません。それは生き方なのです。義をなすこと。義に大小はありません。なるほどおじいさまはたしかに偉大な怪盗ではありました。しかし、それ以上に善良で、やさしく、謙虚な隣人であり、その義をなす手段のひとつとして、トリックを身につけられたにすぎないのです」
るぽんは武者小路の背に祖父のそれを重ね合わせていた。
「人間の本質は、こころなのです」そういうと武者小路は、あの若々しい声で快活に笑った。「これはユウサクさんの受け売りだけどね」
ユウサクとは、その怪盗名でしか世に知られていない祖父の、ほんとうに親しいものしか知らぬ本名だった。
気がつくと刑務所の運動場に出ていた。消防署員たちが懸命に消火をしていた。その周囲で看守と囚人たちが手持ち無沙汰に立って呆然と火炎を眺めていた。
「もうおわかりでしょう、るぽんくん」武者小路の声が背後から聞こえた。「おじいさまの残したオタカラとは、わたしたちのこころなのです。あなただけではない。わたしたちはみな、怪盗であることから逃れられない。自分のうちの怪盗の声に耳をかたむけることです」
やがて声は消えた。ふりかえってもそこに武者小路の姿はないだろうと、るぽんにはわかっていた。