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失われたカッパを求めて 7

まずはモツゴマルに私の居場所を知らせなければならない。
そのためにはどうすればいいだろうか。私は血走った目でそう考えた。モツゴマルをおびき寄せ、拿捕するという危険なアイデアの、現実性というよりもその大胆さ、向こう見ずさそのものにこのときは心底酩酊していた。
モツゴマルはこのクリニックの場所を知らないはずだ。どうにか知らせなければならない。

私は病室のベッドのうえにあぐらをかいたまま、テレビを食い入るように見つめていた。天気予報のコーナーを心待ちにしていたのだ。
それは月齢を確かめるためだった。
私には勝算があった。あの汚辱の洞窟のなかでモツゴマルの腕枕に聞いたことがあったからだ。
「私たちカッパは、兄弟(ソウル・ブラウ)の尻こだまの位置を感じ取ることができる」と、モツゴマルは私の尻こだまをまるで安価なおもちゃのように指先であらっぽく扱った。私は屈辱を覚えながらも、つい声をあげてしまう。それをみて満足げな様子でモツゴマルは続けた。「尻こだまは満月の光をあびると芳香を発する。このにおいは何キロ離れていても私たちの嗅覚を刺激せずには揮発しない」

果たせるかな。私の記憶は正しく、この夜はまさに満月だった。
私は興奮して寝付かれぬまま、しかしベッドのなかで眠ったふりだけはしながら、ふとんのなかの闇に隠した電子時計で何度も時間を確認した。そして深夜、欠けるところのない月が天頂を通過する瞬間を見定めて、音をたてずに窓辺に寄り、そっと鍵を解き、開け放った。すずしい風が金色の月光と一緒になだれ込んできて、白い壁にかこまれた病室を満たした。
私は震える手でパジャマのズボンを下ろし、下半身裸になって窓枠にのりだした。睾丸の裏側をかわいた風がながれた。
私はみずからの尻こだまを月面の方に向けた。凍り付いた光をあびた尻こだまが発熱するのを感じた。
ふわり、と沈丁花によく似たかおりがした。

数分間、そのままでいた。いや、ほんとうはほんの数秒だったかもしれない。しかしそのときの私にとって、その時間は永遠のように感じられた。
私は窓を閉じ、鍵をしめた。ガラス越しにみると。窓下の駐車場は街灯がついていて、人の気配はなかったが、もしかすると誰かに見られていたかもしれないというおそれが急に芽生えた。私は耳が熱くなるのを感じた。

誰もいない、ひろい駐車場の真ん中にぽつんとひとつだけ孤立した感じで街灯がたっていた。私はそれが自分自身であるような気がした。たった一人で、私はあの怪物と戦わなければならない。ふるえる息をおちつかせることはできなかった。滑稽なほどぶるぶる震える膝を自分自身にごまかすため、両肘を窓枠にのせて、わざとのようにラフにふるまった。キャンと言わせてやるよ、あんなやつ。と声にだした。
そのとき、その孤立した街灯の下に誰かの影があるのに気づいた。

モツゴマルが街灯にもたれた姿で、こちらをまっすぐに見つめていた。

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