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最後から二番目の男

男は川岸にたおれて
半身を流れる水にひたしていた
やがて明るい月が天頂に達したころ
男はゆっくりと両手をついて起き上がった
川砂が男のくちびるからパラパラと落ちていく
疲労のあまり眠り込んでいたのだ
男には果たさなければならない任務があった

男はチガヤのむれをかきわけて歩いた
血はすでに止まっていたが
腐りかけた肉にはウジがわいていた
ハエが体のまわりをとんだ
生きているうちにウジがわけば命は助かる
男はかつての上官の言葉を思い出していた
太い首をもつ立派な兵士だった

男はどこまでも川をさかのぼっていく

しばらくいくと開けた場所にでた
中心には立派な台座があり
そこには長い歳月に上半分を砕かれてた
すばらしい男性像があった
それはまばゆいばかりの月光に照らされていた

すこし離れたところに小屋があった
男はふところからナイフを抜いて近づく

「裏切り者に死を与えよ」
上官の言葉を思い出した。
男はさっきまでの疲労と傷の痛みとを忘れて
足音をころして小屋の戸をゆっくりと開けた
ドアに背をむけて椅子がおいてあり
果たせるかな
そこには小ずるい情報屋が漏らしたとおり
一人の男がむこうを向いて
しずかに腰掛けていた

「お前が来るのはわかっていた」
と、椅子の男はドアを開けた男に語りかけた。
「次の満月の夜、お前が私に逢いにくるのはわかっていたのだ」
男は夢見るような調子で続けた。
「しかし逃げようとは思わなかった。運命を完成させることが私の最後の任務なのだ」
「お前は嘘つきだ、裏切り者め」
ドアを開けた男はナイフを腰だめにして体当たりをした。ナイフのするどい先端は夢に突き刺さるように椅子の男の体に吸い込まれた。死ぬ間際、男はこちらをふりかえり、苦しみの影のないはっきりとした言葉でいった。
「そうだ。運命は人間の目にはねじれて見える。祖国を裏切ったお前こそが英雄であり、祖国に殉じたオレこそが裏切りものだったのかもしれない。最後の忠臣であるオレの死によって祖国の歴史は幕を閉じるだろう」
かつての上官はそれっきり何もいわなかった。
まるですべてが夢であったような気がした。足下にひろがっていく血だけがそうでないことを告げていた。

男はナイフをその場に捨てて、広場にでた。
いまやどこへも行くところがないことに気づいた。
月光の加減で、あの彫像の上半身のかつての姿が見えた気がした。その男はたしかに雄牛の頭部をもっていた。

人間の目に運命はねじれて見える。
と、上官の声が聞こえた気がした。
オレはいま、迷宮の中心にいるのだ、と男は考えた。

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