若者の成長は早い。 やはり仕事は人を成長させる。 劣悪な環境ほど良い。 男性は男の顔になっていく。 女性は色気と凄みが出てくる。 ただし本気な奴らだけだ。 毎日ボーっと他責で生きている奴らは太っていくだけだ。 本気で生きている奴は、 時間の経過に意味がある。 息子の誕生日にそんなことを感じた。 彼も男になっていくのだろう。
世の中には空気を読めない人がいる。 飛び抜けた天才なら許される。 愛嬌があり天然キャラで勝負できるなら許される。 しかし許されない人種がいる。 勘違い野郎だ。 デキるスタンスと言うべきか。 一番痛いのが、 対して人気もないのに自分が可愛いと思い込んでいる奴だ。 何ひとつ尖った武器がないのに、 自分が尖ったタイプと勘違いしている奴だ。 その時点で空気を読めていないのだが、 そこに言葉が入ると目も当てられない。 相手の都合を考えず、 平気で話しかけてくる。 ブスなの
プライドが高く他責思考のデキるスタンス。 このタイプの無能が一番タチが悪い。 その中でも、 言われたことはデキる奴と言われたことすらできない奴がいる。 前者は鬱になって悲劇のヒロインになりやすい。 要はプライドが高く引くに引けない状況を自ら作り出し破滅するのだ。 一方後者は、 あまりに馬鹿で鬱にはならない。 そして逃げるという選択肢、というかゲームでいうリセットを持っている。 元々希薄な人間関係しか築けないため、 平気で人を裏切るし、責任転換をする。 だからヤバくなる前
若い頃は出世欲があったが今は皆無だ。 むしろ役職なんて不要だと思っている。 お飾りの主任がいれば結局優秀な一般職が尻拭いするし、無能な部長がいれば課長がマネジメントする。 勢いのある企業の主任は潰れかけの企業の課長を上回る。 転職経験のない踊り場部長は他企業ではまず通用しない。 息子にパパは偉いの?と聞かれた。 全く偉くないよ、と答える。 出世すると何が変わるの?と聞かれ、 給料は上がるよ、と答える。 いいじゃなん!と興奮する。 ただ遊べなくなるよ、と言うと、 じゃあい
食事ほど本性が出るシチュエーションはないと思う。 私が信頼を置く人間は基本食事に行ってもあまり食べない。 ましてや団体ではほぼ食べない。 絶対側に回る。 促されてようやく口にする程度だ。 もちろん酒も飲まない。 昔からそういう人しか身近にはいない。 しかし驚くことに主催側でもてんこ盛りで食べようとする人もいる。 不思議で仕方ない。 せっかくだから食べたいのだろう。 これは育った環境も少なからずあるかも知れない。 もちろん本人の意識の低さもあるだろう。 私があまり食
自己責任で生きている人からすると、 他責で生きている人はすぐわかる。 あり得ないくらい他人のせいにする。 会社のせい、景気のせい、政治のせい、天気のせい。 あげたらキリがない。 例えば、 営業の電話を指示される。 言われた件数、電話をする。 他責の人はそれで働いた気になる。 しかし契約が一件も取れなければ話にならない。 当然上司は説明を求める。 他責の回答は客が悪いか、説明はちゃんとしました!私はやっていると反論する。 この時点で自責の人からすると意味不明だ。 お前の営
尊敬できる人、慕われる人、魅力的な人、 得てして謙虚だ。 どうやっても人間性は問われる。 謙虚な人は当たり前のことを当たり前にやる。 ゴミが落ちていたら拾う。 偏見もない。 挨拶も気配りもできる。 シンプルだ。 一方で、 尊敬されない人、嫌われる人、ダサい人、 得てして傲慢だ。 なぜなら自分のことしか考えていないからだ。 どれだけ繕っても不誠実な感じが垣間見える。 不貞腐れたり、愚痴を言う。 自業自得に気づかず。 傲慢な人は自業自得という言葉を知らない気がする。
自分が何者であるのか。 この問いと向き合い続けない限り、 自己分析はできない。 己の醜さを受け入れることができるか。 奥底に潜む醜い自分だ。 そこに蓋をして生きてもボロがでる。 よく見られたい? 無理だ。 人間は醜いのだ。 だからこそ美しい。 醜さを隠して生きて得たものは、 全て嘘だ。 無理矢理相手に、 愛していると言わせて満足だろうか。 全てを受け入れて愛が成立する。 自分に嘘をついて生きる精神力がないなら、 素直になったほうがマシだ。 浅い思考の奴らは、
物事が思い通りにいかず癇癪を起こす人は大抵傲慢だ。 なぜなら自分のルールにそぐわない人の対応ができないのだ。 もっと言うと、 自分の正義が相手に通用しないことに耐えられないのだ。 例えば、 文化部とスポーツ部では挨拶の仕方も違うだろう。 スポ根さながらのお疲れ様です!は文化部にしたらウザいのだ。 学生ならともかく社会に出れば色んな価値観が渦巻いている。 同じ会社でも色んな人がいる。 自分も他人も受け入れる前提を忘れると取り残される。 謙虚な人は気づく。 しかし傲慢な人は気
配慮とは、手落ちのない、または、よい結果になるように、あれこれと心をくばること。 と定義されている。 配慮を欠いた人間は残念ながら、 評価をされない。 得てして品のない人間に多い。 例えば同じ内容を誰かに依頼したとしよう。 配慮ある人間が依頼すると非常にスムースに快諾いただける。 一方配慮を欠く人間が依頼すると相手を不快にさせ大抵断られる。 後者はなぜ上手くいかないのかがわからない。 むしろ前者を贔屓だと妬む。 その時点で自分に意識が向いており、 配慮はない。 はっ
ビジョンなき組織には停滞感がつきまとう。 欧米のビジネススタイルを取り入れ効率化、数値化を口にするビジネスパーソンが増えたが、変なところで日本の悪しき文化をミックスしてくる。 例えば、忖度。 明らかに上長の考えが古く、数値的にも間違いであるにも関わらず、はっきりものを言えば炎上する。 空気を読め、と。 確かに無能による主観はノイズでしかないが、 効率化を口にしながら承認文化を推奨されても意味がわからない。 老害を省いた方が効率化なのに。 バランス、調和と言えば聞こえは良
文学者は文字だけで物語を読者に描写させる。 音楽家は音。 しかし受け手に感性がなければただの文字であり、音に過ぎない。 感性のある人間はニュアンスを拾う。 そして物語を体感する。 これができない人はコミュニケーション能力が低い。 どれだけ伝えても言葉をなぞるだけで、 全く理解していない。 伝える力も大事だが、 そもそも感性の低い人間は伝えるのも受け取るのも下手だ。 というかできない。 同じ言語、同じ種族で会話が成立しないのは、 感性の問題でしかない。 イメージを
愚直にひとつのことを継続できる人にとって、 馬鹿のひとつ覚えは褒め言葉だ。 一方無自覚に昔そうだったからと、 繰り返す奴は本当に馬鹿のひとつ覚えをする。 後者は最悪だ。 思考をしていないからだ。 こういう奴らが増えると新しい挑戦ができない。 挑戦しても足枷にしかならない。 感性が鈍い、ない奴は絶対にクリエイティブな仕事に向いていない。 かといって思考できない奴は定型業務にも向いていない。 じゃあ何ができる? 何もできない。 存在が邪魔なのだ。 人望もないから誰
偏見だが男は40代で差が出ると思っている。 若い頃は痩せていた自慢をいくらしても、 今腹が出でダサければ意味がない。 目の前の人は20代のあなたを知らないのだから。 昔はモテたといくら強がっても今モテないのであればモテない人だ。 昔話と自慢話をする40代はすでに老害だ。 ある程度経験があり、金銭的にも余裕があり、 本来魅力が出てくる年齢だ。 イタリアではグレーのスーツが似合うようになって一人前だ。 大量生産の無難なネイビーのスーツでは話にならない。 もっと見た目を気にする
お呼びでないのに輪の中に入ろうとする人がいる。 要は空気が読めない人だ。 何かと相手の言葉に被せマウントを取ってくる超嫌な奴だ。 中年の男性に多い。 自分が嫌われていることに気づかず若い女性たちの輪の中に入ろうとする。 存在がセクハラだ。 マネージャークラスほど多い。 既得権益で愛想笑いをされていることに気づかず満足する。 自信満々の鉄板トークがウケていると勘違いする。 当然仕事も雑だ。 しかし本人は自分がデキると本気で思っている。 部下は疲弊する。 とにかくプレゼン
どうしても生理的に無理な環境がある。 多くの人もあると思う。 類は友を呼ぶではないが、 価値観の違い仲間と過ごす方が心が落ち着く。 愛想笑いも不要。 話を聞いてほしいし、聞きたい。 そんな気分にさせてくれるのが友であり仲間だ。 そう思っている。 別に一緒に飯を食いたくない人たちと、 無理して話題を提供し、無理して愛想笑いをして、それに気づかれないよう配慮する。 いや無理をするだ。 非常に疲れる。 そして一ミリも楽しくない。 なぜなら学ぶことがないからだ。 分かち合う