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戻って来るには理由がある

毎年何か新しいことを始めることにしている。文章を書くことも新しいことの中に入っていて、詩作は始めて十数年になるし、俳句も短歌も根気強く、決めたペースで、決めた数を詠んでいる。昨年の終わりに、「来年は何をしようかな」と考えて、ふと思いついたのが、毎朝文章を書くということであった。サラリーマンで、中間管理職である私は、仕事や仲間に恵まれていないという訳ではないのだが、自ら立てた、あるいは立てざるを得なかった目標の達成に向けて、一喜一憂しながら過ごしていて、それが精神を不安定にしていた。夜は仕事のことを心配しながら寝て、朝は仕事のことが心配で目を覚ましていた。心配のために寝て、心配のために起きる生活は、何か違うと考えていたのだ。そして、ふと思いついたのが、毎日起きたらすぐに、1600字の文章を書くということであった。1600字という数字に根拠はなかったが、およそ20分から30分あれば書ける分量なので、起き抜けに書くには丁度良い分量だったのである。それから117日が経ったが、毎朝の習慣は、どうやら生活のペースにも合っていて、生活に無くてはならないものになっている。1600字の文章を書くことは楽しいので、この習慣のおかげで、仕事の状況がどうあれ、楽しみのために眠り、楽しみのために起きる、という心の平穏を手に入れたことになる。楽しみのための眠りは深くて、その深みの中で掴んだ何かは、まだ朦朧とした状態の脳で、朦朧と処理されて文章としてアウトプットされる。一日の始めに楽しいことを済ましてしまうと、その後に何があろうが、受け入れることができるものである。

1600字チャレンジ(と呼んでいるのだが)の題材は、生きることについてであり、死ぬことについてであり、愛することについてである。それらにまつわるあれこれを、様々な角度から文章にしている。同じことを繰り返し書いているようでいて、少しずつ深く抉っている感覚がある。キリで穴を穿つように、動作としては同じだが、少しずつその先端は木材の深くに達している、そんな感覚である。人生について考え、人生について文章書く時には、何度も何度も父親のことを思い出すのである。私にとっての「猫を棄てる」はなんだったのだろうか。労働者階級で、洗練しているとはとても言えないが、とはいえ俗物とまでは言えないような父であった。幼いころ、父の漕ぐ自転車の後部座席で、海岸沿いに夕陽を見に行った。ただ、海を眺めるだけの時間であったが、父親に反発して高校卒業後に家を出ていったあと、長い時間をかけて父親を受け入れるまで、私にとっての父親の原風景であったような気がする。瀬戸内の海は穏やかで、初夏の夕日は世界をオレンジ色に染めていたた。父の顔も、私の顔も、小さな町もなにもかも。

大学生になった私は、瀬戸内の町を出て、都会暮らしを始めた。父親から離れて自由を手に入れた私は、思う存分に自分の可能性を試した。たくさんの人と出会い、たくさんの友達ができた。恋人と幸せな時間も過ごし、就職してからは、自分の足で立つ生活を始めることができた。子供が生まれ、人生の意味を掴んだような、夢見心地の日々もあった。父親のことなど忘れていたのである。しかし、そんな時に母親が亡くなり、突然、父親と再び向き合わなければならなくなった。でも、私には自信があったのだ。自立して自分の生き方を掴んだ私は、父親と対峙し、例え生活を共にすることになったとしても大丈夫だろうと。それは全くの幻想であった。瀬戸内の小さな町にUターンした私を待っていたのは、相も変らぬ父親との葛藤の日々であり、苛立ちの繰り返しだった。私の目には父親の行動が衝動的で無責任に映った。飛び出して行った自分が、飛び出した先で人生を切り開いたからといって、父親との関係が解消される訳ではない。父親を受け入れることができる訳でもない。父親は父親で似たような感覚でいるのだろう。この平行線は20年以上も続いたが、長い時間をかけて、ようやく交わらないまでも、漸近した直線のような定常状態に至ることができた。向き合って話すのではなくて、同じ方向を見て話すような、そんな関係性の中で知ったのは、父親にとっての生きることであり、父親にとっての死ぬことであり、父親にとっての愛することであった。父親の人生を知ることが出来た時に、私は父親を少しだけ受け入れた。

裏路地からどこかに行ってしまう猫もいれば、海岸に棄てられる猫もいる。帰ってこない猫もいれば、戻ってくる猫もいる。帰ってこない猫は、帰ってこないことで飼い主との関係性が深くなり、戻ってくる猫は、戻ってくることによって飼い主との関係性が深くなる。関係性の深さは、二人をめぐるストーリーを豊かなものにする。私は出て行ってしまったが、結局は戻ってきたのだ。戻っても大丈夫という無邪気な想いは、一度は打ち砕かれたが、最後の最後には、収まるところに収まり昇華した。

あの時、父親の背中越しに見た、そのまま海に溶けていってしまいそうなオレンジ色の太陽、潮を含んだ暖かな風が、僕が戻って来た理由であった。「猫を棄てる」は、そんなことを感じさせてくれた。

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