『見えない都市』

ブックレヴュー第2弾です。

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マルコ・ポーロがフビライ汗に、自らが見聞して来た都市の有様を話して聞かせるという構成は、もちろん、『千夜一夜物語』の換骨奪胎。けれど「文学の魔術師」と呼ばれる20世紀イタリアの作家の繰り出すほら話は、わくわくするような仕掛けに満ちている。語りとは騙(かた)りにほかならないと言わんばかりに、言葉は読者の目をくらましながら、どことも知れぬ地平を彷徨(さまよ)っていく。それは、私たちの生きる世界を思いもかけない角度から照射しながら、マジカルな読書体験に誘い出す。

一つまた一つと姿を現す架空の都市の相貌が、凄まじい。と言うより、その砂漠の蜃気楼のような都市を幻視する想像力が、凄まじい。古代バビロン風のアルカイックな古都から蒼天に屹立する未来の摩天楼まで、都市たちは時空を超えて出現してくるけれど、それは同時に、足を踏み入れることの出来ない不可解で不条理な姿を、読者の前に繰り広げる。

建築や街路の構造、都市の景観といった空間の描写に始まりながら、そこにいつの間にか時間の要素が侵入してくる。過去や未来といった異なった時間が流れ込んで来て、記憶や予感、生成や消滅といった歴史が重層的に併存する場所へと、都市は変容していく。「夢のなかの都は彼を青年のまま虜にいたしておりました。イシドールに彼は年ふけてやってまいります。広場には石垣があり、歳よりたちが青春のとおりゆくのを眺めております。彼もまた彼らと並んで腰を下ろします。欲望ははやくも思い出となっているのでございます。」

具体的なイメージとして叙述される都市はいつしか、あるべき都市のイデアとして、あるいは様々な記号の集積として抽象化され、思索の対象に変容していく。読んでいると、具体的な世界から抽象的な世界への橋渡しとして言葉が存在するのだ、ということを改めて思う。具体と抽象の間を往還することが考えるということの実質であるならば、本書はまさに「考える文学」であると言えるだろう。そう感じながらも、魔術師の紡ぐ言葉はあまりに官能的な喚起力を持っているので、私たちは抽象的な言葉で語られる見えない都市を、まるで五感で味わいながら歩いているような、不思議な感覚に捉われていくのだ。

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