『テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナ』 -2019年2月13日 サントリーホール-

現代オーケストラ演奏が新たな局面に入ったことを告げる、鮮烈なコンサート体験。そう感じた理由は次の通り。

最初の曲目、チャイコフスキー『組曲第3番』で、ピアノ、ピアニシモといった弱音部の異様に繊細な響きに耳を奪われる。弦も管も隅々まで澄み渡った音の空間を作り出し、しかも伸びやかな歌がどこまでも広がっていく。響きの透明感としなやかな歌心との驚くべき共存。そこから段階的に音が強さと厚みを増していくにあたっても、その属性が損なわれることなく持続していく過程は、圧巻と言うしかない。

それを可能にしているのは、クルレンツィスという指揮者の耳なのだろう。弱音部から強音部に至るディナーミク(音の強弱)の諸段階を、この人の耳はものすごく細かく、しかもはっきりと聞き分ける。その耳は、各々の段階での音のレベルと動きを各楽器に完璧に揃えることを要求する。それにより、それぞれのパートの音像が驚くべき精細さで伝わってくる。視覚的なイメージに例えると、8K画像の解像度が、今まで見えなかった細部を鮮明に伝えて来るようなものだ。フォルテの強い圧力で音が炸裂する場面でも、音は決して飽和状態にならない。各パートの音の流れは、あくまでクリアに聴き手に伝わってくる。このアンサンブルの品質に達するために、この指揮者と楽団がどんな練習をどれほど積み重ねて来たのかは、想像に余る。

後半の幻想序曲『ロメオとジュリエット』と幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』では、そこにオペラ指揮者クルレンツィスの顔が現れる。強烈なアタックで放たれる音塊が、滾(たぎ)るようなエネルギーで暴力的な音の葛藤を繰り広げ、劇的な興奮は極端なレベルにまで高まる。それを聞いてカルロス・クライバーの激烈な音楽作りを思い出さないわけにはいかないけれど、クルレンツィスの場合、嵐のような音が吹き荒れている瞬間にも、その音は彼方まで見通せるような透明さを失わない。熱狂と精緻の新しい形での融合!

このギリシャ人指揮者の操る船がどんな場所まで航海していくのか。これほど好奇心を刺激される芸術家と時代をともに生きることの幸福を、味わった夜だった。

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