『東京暮色』4Kデジタル修復版 -暗黒の小津映画-

小津映画の基本的な悲劇性は彼のどの映画にも感じ取れるけれど、この映画の暗さは尋常ではなく、小津映画の地塗り部分が身も蓋もなく露呈していることに、改めて衝撃を受ける。誰の同情も憐憫も届かない絶望に落ちていくヒロインたち(有馬稲子、原節子)と、周囲の面々の世界の表層を滑り続けるような軽さとのコントラストが、これでもか、というくらい残酷だ。

原節子が逃げ出してくる亭主の部屋を、原の父親(笠智衆)が訪ねる場面。ウィスキーのちびたグラスを間に挟んだ寒々とした会話の最中に、雪が降り始める。そのタイミングに、見てる我々も底知れない薄暗さにはまり込んでいく。映画を通してとぼとぼと重い足取りで歩き続けていた有馬が、恋人との訣別に突然走り出す。けれど、その姿は撮らずに、それにつれて走る別の人物をカメラが見ていることで、異様な事態が暗示される。山田五十鈴が旅立つ上野駅のプラットホームで、なぜか大学の応援団が大音量でがなり立てている。そのシュールな空間の中で、じっと窓外を凝視する山田の顔に、観客も吸い寄せられてしまう。

4Kのリストアが蘇らせた影の深さにも驚く。有馬の部屋の上下左右を覆っている影、廊下に座り込んだ背中の影のどす黒さは、ほとんどホラー映画。厚田雄春とそれを支える松竹のスタジオには、21世紀の黒沢清にまで受け継がれる黒の文化が息づいている。

トークショーの有馬稲子は86歳。歩く奇跡を見ているようだった。よく動く眼と身体。生き生きとした言葉。女優という仕事が、こんな風に人に生命を吹き込むのか。「無垢で純粋だった私にとって」、撮影当時、50代前半だった小津が60代にしか見えなかったほど老成していた、との言葉も印象的だった。有馬といい小津といい、 昭和の人間の歳のとり方は、今の時代とは全く違うのかもしれない。

http://cinemakadokawa.jp/ozu4k-115/index.html

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