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追悼 アラン・ドロン

アラン・ドロンが亡くなりました。享年88歳。
 
ジャン=リュック・ゴダール監督が彼を初めて映画に出演させたのは、1990年の『ヌーヴェルバーグ』という映画でした。監督はこの俳優の「性格俳優でない」ところが魅力だ、と述べたそうです(ならばなぜもっと早い時期に使わない?とツッコミたくもなりますが)。表情で演技をしない。笠智衆だってそういう種類の俳優でしたね。不器用な俳優と言えば言えるでしょう。が、その何を考えているか分からない顔に、映画はむしろたくさんのものを託すことができるわけです。いわゆるクレショフ効果★というやつです。
 
アラン・ドロンの無表情から、普遍的な「映画俳優」と呼ぶべき存在を造形してしまう。それを恐ろしく混じりけのない形で見せたのが『サムライ』という映画でした。ジャン=ピエール・メルヴィル監督はドロンの動かない顔を、非情と孤独と悲哀が凝固した殺し屋の彫像として、フィルムに定着させたのです。彼が自室で飼う小鳥を見つめる場面など、孤絶の愛としか呼びようのないものが漂い出して、鬼気迫るものがありました。

『サムライ』

その顔は、この俳優のもう一つの代表作『パリの灯は遠く』で、欧州の犯した罪過の贖罪を担う像として出現します。ジョゼフ・ロージー監督は、ナチス占領下のパリで、生粋のフランス人が不条理な運命によってユダヤ人に間違えられるという、カフカ的な状況を作り出します。
 
傲岸な美術商のドロンが、自らの運命までも支配しようという思い上がりに復讐される。そのプロットは当然、『ヴェニスの商人』のユダヤ人ヴィランを連想させ、そこには二重の皮肉が込められているわけです。しかし、強制収容所行きの列車で運ばれていくドロンの表情は、そこに至っても微動だにしない。個人を滅ぼす内面の空虚は、しかし一民族を殲滅するジェノサイドを引き起こす悪の凡庸さの下地にもなっている。そんな逆説を、その無表情は暴き出しているんですね。

『パリの灯は遠く』


★クレショフ効果 一つの映像はそれと前後で接続する別の映像との関係性によって、相対的に意味が生じてくるという理論。いわゆるモンタージュ効果ですね。


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