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引きこもりが海外へ出るまで

突然ですが、私は元引きこもりです。

小学校にまともに通いはじめたのは4年生になってから。

引きこもるにあたって何かきっかけがあったわけではないけれど、元々聴覚が敏感で学校のチャイムの音や子どもの叫び声が苦手だったのと、女子特有のグループに馴染めなくて居場所を見つけられず、次第に行けなくなってしまった。

はじめは朝玄関で「お腹が痛い」と言って仮病を使ったりしてちょこちょこ休んでいたけれど、ある日学校の休み時間に突然「もういいや」と投げやりな気分になり、誰にも何も告げず下校時間を待たずに帰宅してしまったことを契機に、本格的に引きもりはじめた。

当時、「不登校」という言葉も今ほど浸透しておらず、インターネットで仲間を見つけることもできず、私は病気でもないのに学校に行けない自分の状態が何なのか分からず困惑していたし、孤独だった。

学校へ行っていなかった間何をしていたのかと言うと、隣町にボランティアで勉強を教えているおばあちゃんがいたので、そこで同じように学校に通えない人達と一緒に最低限の勉強をしていた。

住む場所も年齢もバラバラで、各自気が向いた科目のプリントなどを黙々と解いていた。勉強仲間と呼べるほどの関係ではない。ずっと勉強しないで別室で漫画を読んでいるだけの問題児もいた。(でも私たち皆問題児だったので、特に目立たなかった)

あとは家でゲームをしたり、テレビを見たり、漫画を読んだりストーリーを書いたりしていた。

そうして長い長い数年という月日が過ぎ、10歳を目前にした頃、突然私のマグカップの中で茶柱が立つようになった。それも毎回。

離れて暮らしていた祖母がよく家に緑茶を送ってくれて毎日飲んでいたものの、それまで茶柱が立つことなんて滅多になかった。

今では茶柱が立つお茶という商品も存在するらしいけれど、20年以上前にそんなものは無かったはず。

今でもあの現象は何だったのか不明だけれど、それはちょうど私が「そろそろ学校に行こうかな」と考えはじめた時期と被っていた。

ずっとサボっていた義務教育の現場に戻るのは吐き気がするほど怖かった。でも「ここのところ茶柱が立ってラッキーだし、なんとかなるかも」と勇気付けられ、私は学校へ行くことができた。

そして「やっと普通に暮らせるかも」という自信がついてきた頃、なぜか英語に興味を持ち始め、初めて親にお願いして公文で英語を習いはじめた。

デザイン関係の下請けをしていた父の収入では4人家族暮らすのがやっとで、それまで海外旅行どころか国内旅行さえしたことが無かった一家だったけれど、家には親戚の誰かが海外から持ち帰ったという外国の硬貨があった。

日本の硬貨よりも分厚くゴツゴツとした手触りで、あれは多分エリザベス女王の顔だったと記憶しているけれど、人の顔が立体的に硬貨に彫られていることも新鮮で目新しかった。思えばあの硬貨が私にとって初めての海外との接点だった。

英語を習い始めてから約10年後、大学4年生の時に私は初めて海外へ行った。

人前で話すのが苦手で、やりたいことも分からなかった私は就職活動を早々に諦め、毎日ひたすら美術館でバイトしていた。(うっかり有名大学に入ってしまったため周囲はほぼ内定をもらっているか就職活動中で、諦めてバイトしている人なんて皆無だった)
そして貯まったバイト代を握り締めて、アイルランド専門の旅行会社の門を叩いたのだった。

初めて海外へ行くのに飛行機のチケットの取り方もホテルの予約方法も何も分からなかったし、海外慣れした人が周囲にいなかったので迷わず専門家に相談しようと思った。

なぜアイルランドだったのかは分からないけれど、ヨーロッパに行きたい気持ちが強かったのと、せっかくならどんなところか想像しづらい場所に行ってみたかった。

アイルランドへ行ってから、私の人生は変わった。

こんなダイエット広告のコピーみたいなありきたりな表現しかできなくてもどかしいけれど、本当にそうだ。

学校や女子のグループに馴染めなくて引きこもりになった私が、なんの因果か三度もアイルランドの語学学校に通うことになった。

今思えば、年齢も肩書きも出身国もバラバラの生徒が一つのテーブルを囲んで話せない英語を必死で話す環境は気楽だったし、不登校時代に通っていたおばあちゃんの教室の雰囲気と似ていなくもなかった。

そして、語学学校で将来の夫となる人に出会い、スペインで暮らすことになった。

引きこもりどころか日本と海外を行き来する生活が普通になり、「なんだか信じられないなあ」と思うこともあるけれど、自分の本質は全く変わっていない。

世界を舞台に活躍するバリキャリの方や、国際結婚や駐在妻のポジションを活かしてキラキラ情報を発信する方に対しては劣等感しかなく、できればそういった方達とは関わらずにひっそり生きていきたいと願っている。(願うまでもないか)

相変わらず趣味は部屋で動画を見たり、本を読んだり文章を書いたりすることで、ジメジメしていた引きこもり時代と変わらない。

でも、あえて野望をあげるとするなら、こういう生き方もあることを伝えたいなと思う。

おこがましいかもしれないけど、それで誰かの気持ちが一ミリでも楽になったらそんなに嬉しいことはない。

何年か前に『置かれた場所で咲きなさい』という本がベストセラーになっていたけど、私は置かれた場所で咲けない場合はさっさと別の場所へ行けば良いと考えている。

湿気の多い場所でしか育たない植物がいるように、誰にでもピカピカの太陽と新鮮な空気が必要なわけじゃない。

私にとってはそれがアイルランドだったけれど、あなたにとってそれはパリかもしれないし、東京かもしれないし、別の学校やバイト先かもしれない。

何も悲観することはないし、心配することもない。

むしろ引きこもっている間に膨らませた理想や願望は世間の誰かによって押し付けられた偽物ではなく、心の底から湧いて出てきた本物だから、必ずその先の道を照らしてくれるはず。

ここで出てきたものほど純度が高く、最強なものは無いと信じている。

長くなってしまったけれど、読んでくれてありがとうございました。

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