見出し画像

わたしの真実


クリープハイプというバンドが大好き。


でも、「思い出」 とはっきり言われると
少し腰が引けて、弱くなっていた。

私の他にいくらでもクリープハイプとの思い出を何年も重ねてきた人を見ているし、そんな人達からしたらこの思いや言葉もきっと、まだ赤ちゃんみたいなもので、お菓子のおまけ程度にしかならないのだろうと思ってしまうから。
それに思い出は、自分の心の奥に留めておくもので、周りに見せびらかすためのものではないと思うからnoteを書くのは迷っていたけれど。

拙い言葉だけど少しでも届くといいなと思って。



2023年3月11日、3月12日。
アリーナツアー2023 「本当なんてぶっ飛ばしてよ」
幕張メッセ。ついにこの日を迎えられていた。

会員限定展示ブース、太客倶楽部記念観。
ライブの前に列に並んで、中に入った時すぐ正面にある尾崎さんの言葉が目に入ってきた。

あの時の、苦しい言葉だった。

大好きなクリープハイプに会えると 楽しみでいっぱいの大切にしていたチケット。会うための片道切符。それが、ただそこにあるだけで何の意味も持たなくなってしまった。
どうしても行きたくて、何度も頭を下げて上司に休みの日程を何回か調整してもらって気まずい思いもした。曲を聴いて、尾崎世界観という人を知って、ラジオが楽しみになっていて、大好きになってからはもう何年も経っていた。それでも、そう簡単に会える事はなかった。


社会人になって数年、仕事も慣れてきた頃にコロナ禍に入った。世間を変えてしまうほどの大きなものに周りは惑わされ、対応する手立ても決まっておらず、職場でも何度も話し合いが繰り返され、残業も多く苦しんだ。自分がいつ罹患してもおかしくはないという状況と、自分達が守っているものにも危険をさらしてしまうのではないかという恐怖。

普段、妊産婦を相手していただけに、コロナ罹患で重症化もしやすく、うまく対応出来るのか、守れるのかと不安はかなり大きかった。
コロナ禍で色々なものが変わっていく。母親教室も開催出来ずに交流の場も失われ、根拠の無い情報ばかりが行き交い、混乱する妊婦さん達の不安は募っていくばかり。それに加えて面会制限もされ、立ち会い出産が難しくなっていたため、妊婦さんは最後までその不安と一人で戦いながら、赤ちゃんを迎えていた。家族誕生の場に、ひとり。スタッフ含め一人ではないが、妊婦さんの気持ちはきっと見てとれないほどに孤独で、きっとそうだっただろう。勿論スタッフにも皺寄せがくる。休職者が増えるなか、人手がいる業務を行うことも苦痛であった。

いつも賑やかな現場も、家族が居ない分 静かで、少し寂しく思える。ガラス越しに家族で赤ちゃんを見る笑顔を見ることも、消えていた。当たり前にあった景色が消えて、不思議な気持ちだった。コロナにかかった者は母子が離され、3日間から1週間ほどお互いが会えない事もあった。退院の日に、家族で会う姿を見て、患者様とご主人さんが赤ちゃんを見て笑顔になって、やっとこちらも「会えたね」となんだか涙が出てきて、やっと笑って送り出すことが出来た。

変わってしまった日常と、簡単に会えなくなってしまった人達と、自分は何をしてあげられるのだろう、どうしたら不安を取り除けるのだろうと考える仕事の重圧が重くのしかかっていて、疲れていた日々だった。尾崎さんは「いつか必ず」と約束してくれていた。そのいつかがいつ来るのか、は全く見通しが立たない。減ったと思えば繰り返す。落胆していた毎日。


太客倶楽部記念観、歩くと四人の写真が綺麗に飾られていた。泣くつもりもなかったのに、楽しそうな笑顔にぐっときて、涙が滲んだ。

幽霊失格、モノマネ。大好きな曲のリリースだったり、MV撮影だったり。それはコロナ禍に辿ってきた、道筋だった。一つ一つの写真の下に、四人の文字で書いたコメント。年賀状の撮影。芥川賞待ち会、やってくれて嬉しかった配信ライブ。四季、しょうもな。尾崎世界観の日ツアー、東京ガーデンシアター クリープハイプの日。そこでアルバム発表があった夜にしがみついて朝で溶かして。ちょっと思い出しただけ。10周年記念、exダーリン、今夜は月が綺麗だよツアー、尾崎さんの弾き語り、クリープハイプの日。愛のネタバレ。

この道に、自分の日常があった。

毎日毎日繰り返して聞く大好きな曲も、愛しいなぁと思いながら見ていたMVも。閉鎖されていた空間で塞ぎ込んでいた自分の、唯一の楽しみで、希望で、救いで、支えで御守りだった。

少しずつ再開したライブに行き始めた頃の景色と写真を見ながら。これが楽しかったなぁ、あ、メンバーもそうだったんだ。えっ!そんな事思ってたの?!ってふと笑ったり。鼻水が出るくらいに泣いてしまって、すごくすごく恥ずかしかったから外に出たくて、でもずっとこの場所に居たいなと心が叫んでいた。何もかもが大切で、これが自分の宝石だったんだと思えて。

文章が上手い人を、古参を見るたびに、私の思い出なんてちっぽけだと口を尖らせて隠れた。

でも、あのなかに「クリープハイプと自分がちゃんと居た」と初めて。思えた日だった。

一緒に過ごしてきた、この3年間の答え合わせ。

こんなに離れていたのに、話したこともないのに。ずっとずっと繋がっていた。いつだって遠くからでも" 大丈夫だよ "とメッセージをくれた四人だけは見失わず、コロナ禍にある、それはやっぱり、つま先を照らす本当の光だったのだ。


尾崎さんの「必ず」を信じていたら、本当に連れて来てくれたこの景色。アリーナツアー。
四人はとても輝いていて、こんなに大きい会場なのにまさにクリープハイプでしかなくて、ライブハウス以上の情熱を感じた。

最後の「二十九、三十」
"いつかはきっと報われる
いつでもないいつかを待った"
"前に進め"  静寂の中響く歌声が
あの頃のことを思い出させた。

いつからか自分でははっきりと分からないくらい、後戻りが出来なくなるくらいに好きになっていた。好きという言葉は軽くて憎らしく思えてしまうくらい、もっと潜りたいけれど当てる言葉が見つからないほどの愛で溢れていた。

クリープハイプは「心」そのものだから。



今年の大阪城ホールの日3月26日の天気は雨。
桜が咲いている。雨の大阪とクリープハイプ。

去年の2022年9月8日。
クリープハイプの日大阪。 大阪城音楽堂。
風に吹かれながらリハを聞いて
ライブの前から、あの日も雨が降った。

少し疲れている時期。もういいやと自暴自棄になっていて、クリープハイプは好きだけれど 追うことにも、周囲の環境にも少しだけ疲れていたし、もう隠れて一人でいようとも思っていた。そんなタイミングでライブがあった。

傘はあったけれど、レインコートもなく、
ずぶ濡れでライブを見た。尾崎さんのセンターから、真っ直ぐの席だった。なんだか新鮮で、寒くて、ドキドキして、Tシャツが透けてないか気にもしながら、何度も水を拭ってアトラクションみたいで楽しかった。


「リグレット」 が流れた。
今まで何度も聞いていた楽曲だし、ライブでも聞いていたけれど、たくさんあるクリープハイプの曲の中で特に思い入れのある曲ではなく、自ら何度も再生するほどではなかった。

「ずっと君を探してたんだよ  
ずっと君を探してたんだよ こんな所にいたのか」

初めて、歌詞が見えた。
涙が溢れて止まらなくて、空からは雨が絶え間なく降っていて、顔の水が雨なのか涙なのか、ぐしょぐしょで分からなかった。
心情と重なっていて、このバンドには嘘を付けなくて、いつも何もかも見透かされている気持ちになってやっぱりどこにいても見つかってしまう。きっと自分が地球の裏側に行っても、クリープハイプは追ってきて、捕まえにくるんだよなって恥ずかしくて嬉しかった。

「別に話す事はないけど
別に離すこともないから  なんか嬉しいな」

5月のツアーは苦しくて、こんなに大好きで感謝の気持ちでいっぱいで、伝えたい事が多いのに喋る事も叶わなくて。距離が悔しくて気持ちがいっぱいいっぱいになってた。でも9月は、この言葉が私の気持ちを攫ってくれた。何年も経ってから、大切な曲リストの仲間入り。

いいんだ、クリープハイプが居るから。
と強く思えた。

帰りに。 雨に濡れても大丈夫なようにと、
「大丈夫」を歌ってくれて 3月にアリーナツアー、

リベンジしますと尾崎さんが言った。
会場の帰りに大きい広告ポスターを見てドキドキ、言葉がとても心強くてやっとだねって。

全身びちょびちょで靴も全部濡れていたけど、
私は気持ち悪いくらいに笑顔が止まらず、ちょっとスキップの気持ちで雨に打たれながらホテルまで帰って、寒い寒いと言いながら身体を拭いて 802のラジオで愛のネタバレをもう一度、聞いた。その後のお風呂がすごく温かくて幸せだった。
「大丈夫」 を歌ってくれたからか、
あんなに濡れたのに風邪はひかなかった。
楽しかったライブの思い出。

無事にこの3月を迎えられて良かった。
クリープハイプはいつだって「心」を届けにくる。
だからいつも私は、私の心を届けたいと思っている。


アリーナツアー。尾崎さんの
「死ぬまで一生愛されてると思ってていいですか」

「一生愛してるよ」と、そうだといいなと思った。

私には永遠、なんてないと思っていて いつだってそんな言葉を" ほんとかなぁ? "と思いながらよく分からずすり抜けてきた。相手も自分も、人である以上 簡単な事で気持ちは変わるし、ずっと同じ熱量を保つのは難しい。好きを貫くのも、案外大変なことに思える。自分でも信じていいか不安な事を断言して、期待通りでなかった時に相手を傷付けてしまうことは悲しいと思う。

疑いながら、いつの間にか" ずっと好きだったな "という方が私には、信じられる。だから「ずっと」とか「この先も」とか永遠の言葉なんか要らない。

尾崎さんは自分で道を切り開いてきて、誰にも隙間を入れさせないほどの努力を重ねて、クリープハイプというバンドをずっと守ってきて、一人きりの時間からここまで。こんな景色を見るまで。

「当たり前に」 「普通に」 「幸せ」 「ありがとう」。
尾崎さんが客席を見渡して、出てくる温かい言葉は何よりも素直だと感じることができて、その安心の温度に何もかもが包まれてしまう。
本当に素晴らしい人だと思った。
今バンドがここにあることが真実、なんだなと。

心から、信じてみたいと思う人に出会えた。
出会えた、自分自身も褒めたい。
クリープハイプのことが愛おしくて、大好きで
死ぬまで一生、愛せたらいいなと思っている。


今あるこの気持ちこそが「真実」。

それが見えている間は、誰よりも何よりも、
一生懸命に自分なりに大切にしたいなと思える。

ありがとう、クリープハイプ。
これからもよろしくお願いします。


#だからそれはクリープハイプ
#クリープハイプ
#尾崎世界観
#だからそれは真実


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?