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奇跡が普通になる日まで

2022年5月18日。前日までのぐずついた天気とは裏腹に拍子抜けするような快晴が東京の空に広がる。クリープハイプのライブの日にこんなに晴れるなんてと思わず腐してしまうのはきっと照れ隠しだ。行きすがらヘッドフォンを耳にあてて彼らの曲を流せば、上ずった身体は勝手に駆け出してしまう。オフィシャルサイト上で自分の書いたライナーノーツがアナウンスされているのを目撃したあの日からずっと今日を待っていた。果たしてライブレポートが書けるだろうかという不安はあったものの、ライブに行けるんだという喜びの方がずっと大きかった。1ヶ月前から始めたカウントダウンがやっと0になった。口癖になってしまった「早く会いたい」が口から出る度に「今日だ」という実感に変わって、ごちゃ混ぜになった緊張と興奮は身体の中で沸騰していた。

初めて来る中野サンプラザホールは素敵な会場だった。赤いビロードの座席、ドレープが美しいステージカーテン、壁の古い質感。天井から吊るされたミラーボールもすごく良い。そしてステージ上にはバンドセットと共に大きなクリープハイプの文字が。自分の座席を探す前に思わず見惚れていると、「写真取らないでください!」という係員の声が後ろから飛んできた。声が向けられた方に目をやると焦った様子でスマートフォンを下げる人が見えた。その人がその後写真を削除したかどうかは知らない。今回のツアーでは、写真撮影に関するルール違反が目立つように感じる。写真に撮りたい気持ちは分かる。だって本当に素敵な景色だったから。だけど万が一その写真がSNSに上がってしまえばそれも立派なネタバレになるし、そもそも舞台美術も著作物なのだから「開演前だから大丈夫」は通用しない。その一方で、「ルールなんだから守ってください」で終わらせてしまうのは意味の分からない校則を押し付けてくる先生と同じだとも思ってしまう。なぜ禁止されているか想像してみて欲しいし、思い当たらなかったら調べてみて欲しいと思う。とはいえ、『君の部屋』の歌詞にもあるように、写真に撮ったところで本当に写したいものは写ってくれない。ライブは夢に似ていると思う。残したくても残せない。そんなことを考えながら自分の座席に向かった。

待ちに待った開演時間。ずっとこの瞬間を待っていたけれど、いざ来てしまうとやっぱり寂しいのは終わりを想像してしまうからだ。真っ暗なステージに4人が登場して大きな拍手が鳴ると、声にならない無数の歓声が拍手に乗って飛んでいるように思えた。ギターの音が響く。まるで朝日のようなまばゆい照明に照らされた4人のシルエットが段々と浮かんでくる。白い壁に映し出された拓さんの大きな影がドラムを鳴らす度に揺れた。中野の夕暮れが悲しい色に染まる頃、『なんてことはしませんでしたとさ』でクリープハイプのライブ「今夜は月が綺麗だよ」はスタートした。

予想を大きく裏切られた次曲は『身も蓋もない水槽』。嬉しさのあまり叫びそうになる。体に力が入って掌を強く握りしめる。爪が食い込んで痛い。だけどそんなことはどうでもよかった。ステージに立つ4人の姿は圧倒的にプロで息をするのも忘れる程に見入ってしまう。自然と体が前のめりになると、1階席のお客さんが手を挙げて体を揺らしているのが見えてライブに来たんだという実感が湧いてくる。そのまま続けて『君の部屋』。何かのインタビューでこの曲に出てくる犬について「本当に懐かなかったし。」と実体験を語っている姿が印象に残っていて、それ以降よくある誰かの曲ではなく個人的な歌に聞こえるようになった。歌い出しの「きっと死んだら地獄だろうなでも天国なんか無いしな」と、「君が稼いできたお金でノルマを払って今から帰るね」という歌詞が好きだ。罪悪感と劣等感が積もる中で、それらから逃れようと無理矢理鈍感に振舞ってしまうその情けなさが良いし、誰もが記憶から消してしまいたくなるような感情を射止める言葉たちが好きだ。それでも、やっぱりライブでメロディに乗った音として聴いていると「あなた」の部分はクリープハイプの事だとしか思えなくなる。喜びも悲しみも苦しみも、やっぱりクリープハイプでできてる。4曲目は『月の逆襲』。何度ライブで聴いても、緊張感を纏いながら伸びていく歌い出しにときめいてしまう。冷たくて柔らかいカオナシさんの歌声が好きだし、歌声から感じられる人柄にもすごく惹かれてしまう。

その後のMCでは2曲目を変更した理由について言及したのち、いつものようにエゴサーチをしていた際紛れて引っかかったクリープ現象に関するツイートに和まされたエピソードを披露し会場から笑い声が。小川くんの笑い声を聞けた!と嬉しそうに話す尾崎さん。

尾崎世界観

「少しエロい春の思い出」のアカペラで始まった『四季』。ピンク色のスポットライトが尾崎さんの頬に当たる。拓さんの鳴らすバスドラムがドンドンドンドンと体に響く。ベースが入らない冒頭部分、ベースを抱えて控えめに肩を揺らすカオナシさんが可愛いすぎて目が釘付けに。変わる曲調に合わせて変化する4人のノリ方を見るのが楽しい。
 
 次曲の『イト』ではお客さんの反応が微かに上ずるのを感じる。やっぱり人気な曲なんだなと思う。拍手しかできないような状況じゃこちらが感じている興奮は伝わらないんじゃないかと思っていたけれど、後ろ姿しか見えていない私でさえ反応をこれだけ肌に感じるのだから、正面から受け取るメンバーにはもっと色んな感情が生々しく伝わっているのだろう。観ている私達は受け取るだけだという感覚が強いけれど、祈りのような熱い視線も恍惚も、泣き過ぎた情けない顔も、そんな彼女の隣に立つ彼氏の少し嫉妬した顔も、もしかしたら全部見えているのかもしれない。

メランコリックなイントロが響いて『しょうもな』が始まると「夜にしがみついて、朝で溶かして」のアートワークに描かれているモチーフがステージ上に浮かび上がった。束の間の幻想をぶち壊すドラムが鳴るとそれを叩く拓さんのシルエットが楽しそうに弾んで、だけどライトが通りすぎる一瞬垣間見えた表情は挑発的で、思いがけず目撃してしまったその色気に咄嗟に照れてしまった。幸慈さんのダンスからもライブをするのが本当に楽しいんだろうなというのが伝わってくるし、目で追うだけでこちらまでワクワクしてくる。あんなに動き回りながらもなんてことないように軽々と難しいギターフレーズを弾きこなす姿がやっぱりいつもかっこ良い。

『一生に一度愛してるよ』はこのツアーで絶対聴きたかった曲のひとつ。その後も『ニガツノナミダ』『しらす』とアルバム曲が続くが、CDに収録されているものよりもバンドらしい雰囲気の曲に変わっていて、CDに収録された通りの演奏を目指す事が良いとは限らないと強く感じた。曲の雰囲気が変われば変わるほど、ここでしか聴けないという特別感が増した。ライブという制限された状況の中でどう表現していくかというのは今回のツアーの大きな見どころだったし、思っていた以上に興奮する体験だった。その後の『なんか出てきちゃってる』では暗転した会場に紫と青のレーザーが飛び交った。空間が解体し、音楽そのものの中に潜ってしまったかのような感覚に陥る。耳だけでなく目でも音楽を見ているような、頭の中に浮かぶ音楽のイメージが可視化されたような不思議な体験だった。

小川幸慈

『キケンナアソビ』は演奏を聴く度にやっぱりいちばん好きな曲だなと思う。メロディも歌詞もアレンジもどれも本当にかっこいい。クリープハイプのライブが好きなのは、彼らの演奏に責任があるからだろうと思う。「ここまでやらなきゃ気が済まない」という意地さえも窺えるその責任感が好きだし、彼らの技量の高さに素直に見惚れてしまう。アイススケーターの羽生結弦選手がいつか言っていた「芸術とは正しい技術と徹底された基礎の上に成り立つ」という言葉をふと思い出した。
また、ライブでしか聞けない自主規制音部の台詞では尾崎さんにのぼせてしまいながらも、曲の文脈と合わせて受け取るとそれはあまりにも無責任な発言で、ライブでこの台詞を聞くたびに良くない恋に引きづり込まれそうな葛藤で身が裂けそうになる。

MCではTikTokに動画を載せる事を躊躇ってしまったという話が。嫌いとはっきり言ったのには少し驚いたが、その言葉を聞いて安心したファンは多いだろう。デビューしてから今に至るまでずっと売れたいと言っているのを見てきたし、無遠慮に楽曲がSNSで使われる事は避けて通れないとある程度納得しているのかと思っていたけれど、迎合するような態度を取ることに違和感があるとはっきり口に出せる尾崎さんはどこまでも尾崎さんで、その言葉を聞いてつまらない大人の考えを持っていた自分が恥ずかしくなった。

そんなSNSに対するいらだちを再度吐き捨てるように口にして『栞』へ。噛み付く尾崎さんの横でギターをかき鳴らして飛び回る幸慈さんの笑顔が眩しい。その2人の温度差がクリープハイプらしくて嬉しくなる。足元から登ってくるカオナシさんのベースがくすぐったくて楽しい。春の雨上がり、湿気を含んだ風が桜を散らしながら全身を通り過ぎていくような、明るく爽やかな光の中で水蒸気の粒がきらめいているこの曲が本当に好きだ。
 
 続けて『オレンジ』。この曲を聴くとどうしても思い出す光景がある。クリープハイプがメジャーデビューした直後の2012年5月27日、ROCKS TOKYOというフェスで初めて彼らを見た日のことだ。ステージ横を通りかかった時、「あのオレンジの光の先へ」と歌う尾崎さんの声が聴こえてきて、慌ててステージまで走った。初めて目の当たりにしたクリープハイプは、まるで見ているこちらが叱られている気持ちになってしまうような、荒々しくて夢中のライブをしていた。マイクに唇を押し付けて、自分の中にあるもの全てをぶちまけんとする尾崎さんから目が離せず私はその場に立ち尽くしてしまった。ステージの真下ではバンドの熱に浮かされた観客らによる激しいモッシュが発生していて、「きっと2人なら全部上手くいくってさ」と叫ぶ尾崎さんの声を聴いても全然うまくいくように思えなかった。心臓はおろし金で擦られたようにヒリヒリと火照っていて、だけどその衝撃に興奮している自分もいて、それでクリープハイプは私にとって特別なバンドになった。今改めて『オレンジ』を演奏する彼らを見ていると、「ほらね、全部上手くいくって言ったでしょ」と言われているような気がする。

春の陽だまりのように聴いていると心がポカポカする『すぐに』。カオナシさんの歌声はやっぱり柔らかい毛布みたいで、聴いていると気持ちがくつろぐ。会場の壁に尾崎さんの丸い頭と幸慈さんのハットの影が並んで揺れていてそれもすごく可愛くてとにかく癒された1曲。

「ありがとうございます。」の言い方や、話し出す素ぶりの節々からカオナシさんの良さを体験できて嬉しい。MCでは、以前のライブで話したエピソードが間違った解釈をされてしまい、言葉にしたところで本意はなかなか伝わらない事を痛感したと話すカオナシさん。少しの間があった後再び話し出すと、それまでぶらぶら歩き回って話を聞いていた尾崎さんがマイクの前に来て一言MCを足した事を悪戯に指摘する。カオナシさんが照れながらそれを認め反省するとすかさず優しい声でフォローする尾崎さん。

長谷川カオナシ

こんな間の曲を、との振りで始まったのは『二人の間』。この曲を聴いて思うのは、バンドとファンの間にある間のことだった。曲が終わった後の沈黙の時間。あの沈黙は「ありがとう」を待っている時間というよりも、曲がまだ続いているという感覚の方が近い。曲の余韻が尾を引いて漂っているあの時間が好きだし、かと思えば息を呑むようなぴんと張り詰めた時間が流れる時もある。無音だからこそ際限なく色鮮やかなだろう。沈黙を破るのはいつだって親密な温度の「ありがとう」で、それは溶けたアイスクリームよりも甘い。

ライブはそのまま『モノマネ』、『ヒッカキキズ』と続いていく。スポットライトに照らされた尾崎さんが「こうして並んで歩いたら」と歌いだした時点で、胸がいっぱいになって息の仕方を忘れそうになる。観客に見つめられすぎて尾崎さんの体にいつか穴が空いてしまうんじゃないだろうか。それくらいずっと見つめて聴き入ってしまった。

少し長い沈黙があって、アカペラではじまった『ナイトオンザプラネット』。ハンドマイクで歌う尾崎さんの踵がぺたんと地面についていて、そういうところばかり目で追ってしまう。その後、『左耳』『手と手』『ABCDC』と過去の曲が続いた。『左耳』はいつ聴いても未だに新鮮にかっこいいし、これからもずっとそうなのだろうと思う。『手と手』は、「よくある話で笑っちゃうよ」と言い捨てられるところで毎回体に電流が走るし、幸慈さんの楽しそうにギターを鳴らす姿も、カオナシさんの涼しい顔で煽るようにベースを弾く姿も、拓さんの夢中でドラムを叩く姿もどれも本当に素敵で、尾崎さんがサラリと語ったバンドが楽しいという言葉が脳裏に浮かんだ。

そして披露された『ex ダーリン』。メジャーデビュー10周年を迎えた2022年4月18日、バンドバージョンにリアレンジされたこの楽曲がリリースされた。本当に大好きなものほど隠しておきたくなってしまうのはどうしてなんだろう。このリリースが発表された時、これまで大切に聴いてきたこの曲が、浅はかな「いいね」でハートまみれにされてしまうところを想像して嘆いたファンも多かったと思う。そんな嘆きに対して尾崎さんは、自身のブログ内で聴いて欲しいと自分の気持ちをファンにぶつけた。小さな声こそ見逃さずファンの気持ちに触れる言葉をくれる事が嬉しかったし、その距離の近さがやっぱり大好きだ。

「ハニー 君に出会ってから色んな事わかったよ」そう歌う尾崎さんの右手は、ギターのボディーに掛けられたまま力無く垂れていて、伸びた喉から脱力する腕へと繋がったその稜線に見惚れる。10年前、ひとりきりで作ったこの曲は、たくさんの誰かの心を揺さぶって、自分の知らない誰かの曲になっていった。曲やライブに対して自分達の手の届く範囲で試行錯誤していく彼らの態度が好きだし、それは今でも変わらないと思うけれど、今日ライブでこの曲を聴いて、その右手を見て、その範囲から少し水がこぼれたような感覚があった。世界を拡げていく作業は何かを受け入れることに他ならない。まるで蝶が蛹から羽化していくようにして、ひとりで背負い込んでつくったこの曲がこんな風に誰かを信頼し受け入れていく曲へと生まれ変わってゆくその感慨に涙を止めることができなかった。占星術の世界で満月は「成就」や「完了」というような意味合いを持つ。「今夜は月が綺麗だよ」の歌声に合わせて彼らの頭上に現れた大きな満月は、クリープハイプが歩んできた10年そのものを象徴しているようだった。

そして、この日最後の曲である『風にふかれて』。普通に会うことがなかなか難しかった2年の後で、「普通に会いましょう」と話す尾崎さんの解けた表情から出口がもうすぐそこにあるような希望が感じられた。その一方で、「バンドはずっと普通に続いていくから」というメッセージも込められているように思えてそれがすごく嬉しかった。10周年とか、そんな特別な約束じゃなくても会える。クリープハイプのライブに行くといつも嬉しい気持ちになる。その時にほしい言葉をいつもくれる。そうやってこちらの気持ちを想像してくれるところがやっぱり好きだ。順々にステージを去っていくメンバーの背中は充足に満ちていて、ひとりステージに残った尾崎さんが長いお辞儀をする。頭を上げた尾崎さんの満足そうな笑顔が目に焼き付いて、これを書いている今でも鮮明に思い出せる。見ているこちらにとってだけではなく、ステージに立つ彼らにとっても良いライブだったのだろうということが伝わってきて嬉しくなった。

小泉拓

もらった言葉たちを反芻しながら歩く帰り道。途中、肩を組んで歩く酔っ払いのサラリーマン4人組とすれ違って、街にももうしっかり『普通』が帰ってきているのだと実感する。ライブの後の帰り道は、本当に好きな人としたデートの後の帰り道に似てる。日々追いかけている中で、新曲とかブログとかラジオとか、嬉しいコンテンツはたくさんあるけれど、ライブには到底敵わない。ライブ後の陶酔は他の何にも代えがきかない。さっきまでの「早く会いたい」は「もう会いたい」に変わっていて、だからまたライブに行くしかない。

幸福で胸焼けしそうな身体を夜風にあてながら空を見上げれば、満月を少し過ぎた楕円の月が浮かんでいて、けれどまた来月になれば満月が夜空に昇ると私たちは信じて疑わない。人間の一生に比べたら永遠と言って違いない月のサイクルにバンドを重ねて、永遠に続くと手放しに信じられたらどんなに幸せだろうと思う。「1日でも長くバンドを続けたい。」と尾崎さんはよく口にするけれど、ファンにとっても何を差し置いてもそれがいちばんの願いに違いなくて、恥ずかしがり屋ですぐに照れ隠しするくせに、大事なところはいつも必ず言葉にしてくれて、そんな魅力に悔しいくらい何度も心を奪われ続けている。同じ時代を生きて一緒に歳を取れることが私にとっては全然普通じゃなくて、奇跡のように感じられる。だけど10年後20年後、そんな奇跡も当たり前になって、また『普通に』ライブに行けていたら嬉しいなと思う。

(文:小川誰荷 https://note.com/ogw___u/ )
(撮影:岩本彩)


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