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大嫌いだった読書感想文

習慣づいてしまったのでやらないと変な気がする note 書きも、今日で連続投稿220日になります。
今更わかりましたけど、ワタシは文章を書くのが好きなようです。

子供の頃は作文だの感想文だのが大嫌いで、感想もないのになぜ書かないといけないんだ?とか、なんで文字数が決まってるんだ?とか、そもそも本なんて読まないし?みたいな、とにかく文章を書く意味がわからなかったので、その類の提出物はいっつも適当に書いていました。
意味のない改行と、全然必要じゃない「」を使った会話シーンを盛り込み、余白をフル活用して原稿用紙の枚数を増やすっていう、やる気のなさ丸わかりの超いい加減な文章でしたからね。
内容なんてどうでもよく、読書感想文なんかはとにかく原稿用紙3枚以上になればいいので、自分にとって最高のアイデアであるこの “余白作戦” を中学3年までぶれることなく実行していました。
「これは感想文じゃないだろう」とか「お前、無理やりだな」とか、先生になんと言われてもヘッチャラで、唯一の規定である原稿用紙最低枚数はクリアしたんだから文句はないだろう?くらいの、心は堂々としつつもそこら辺は「文章は苦手なんで」とヘラヘラ笑って上手いこと逃げる、っていうね。

こんなヤツが、今 note を毎日書いているなんて信じられませんよ。
たぶん、好きでもないことをやらされる感と「〇〇とはこういうものだ、こうしなければならない」という、枠に当てはまらないものはダメという自由のなさ。そしてそれを必ずやらなければならない、やらないと叱られる、という理不尽さが理解出来なかったんでしょう、読書感想文においては。

こういった子供時代の経験から、「ワタシは文章が書けない」と勝手にインプットされたんだと思われます。
自分の意思で書いたことがないだけで、試しにやってみたら思いのほか書けるし楽しいとわかり、好きか嫌いかという点では「結構好き」だと今になって判明したわけですからね。
好きだから続けられるんだ、というものに大人になって出合うとなんだか嬉しいものです。今まで嫌いだったものがそうでもなかった、なんてことが他にもあるかもしれないと思うと、ちょっと確かめたい気もします。
年を重ねるごとに余計なものが削ぎ落とされ無駄がなくなり、好きなことだけで楽しむ充実した暮らし、というのがワタシの 『隠居』 のイメージなんですが、ワタシ自身がそうでありたいと思う生き方なので、そこ(未来)に行くまでの今(現実)をどう生きるかをちゃんと考えないといけませんね。

みなさまのご支援に感謝します。