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みちのくアートの旅-美術館は土地の文化度を知るバロメーターとなる

3年前から、毎年夏にワーケーションで地方に短期滞在している。今年は、青森の白神山地を拠点にして、青森のいくつかの美術館を訪ねた。意外に、と言っては失礼だがいずれも大変充実した展示を観ることができた。

最初に訪れたのは十和田市現代美術館。存じ上げているアーティストのtsu-tsuさんが同美術館のサテライト会場で展示を行っていることもあって訪ねることにした。

館内に入ってまず驚かされるのが「スタンディング・ウーマン」(ロン・ミュエク作)という高さ4メートルの白人のお婆さんだ。

(「スタンディング・ウーマン」ロン・ミュエク)

しわや肌のたるみ、左手の薬指には結婚指輪が食い込んだようにはまっていて、生きているようなリアルさ。その表情は何かを考えているようにも、無感情になっているようにも見える。この美術館は音声ガイドの解説も充実している。ガイドによれば、このお婆さんは実在の人物ではなく、何人かの人たちのキャラクターをひとつにしたらしい。おそるおそる背後に回ると、背中からも何かを語りかけてくるようだ。写真に撮ってSNSにアップすると、大喜利のようにいろいろなコメントが寄せられ、そのひとつ「お婆さんに怒られているみたい」には思わず笑ってしまった。

この美術館の展示は、その多くが「体感型」になっているのが特徴だ。「光の橋」(アナ・ラウラ・アラエズ作)では、ネオンの光に照らされる四角い形状の通路を通り、まるで「2001年宇宙の旅」のシーンの登場人物のような気分になる。この作家はジェンダーをテーマとした作品をつくり続けており、本作品では、硬質な形状の通路が男性社会や男性中心のアート世界への問題意識をメッセージしているという。

「オン・クラウズ(エア・ポート・シティ)」(トマス・サラセーノ作)では、沢山のバルーンが網目状に張り巡らされた空間を形成していて、階段を登るとその中心部を覗くことができる。国境や領土といった目に見えないが境目から解放され、雲(クラウド)のように柔らかにつながりあうことを意図した作品だが、私にはインターネット時代のフィルターバブルのように見えた。

(「オン・クラウズ(エア-ポート-シテイ」トマス・サラセーノ)

特に印象に残ったのは、「ロケーション」(ハンス・オブ・デ・ベーク作)という作品。展示空間に入ると、真っ暗闇で立ちすくむ。徐々に目が慣れてくると、窓の向こうにハイウェイが広がっており、自分がダイナーのような空間にいることがわかる。長椅子に座りハイウェイを眺めると、自分の深層意識の中を旅しているような、デビット・リンチの映画に迷い込んだような気持になる。

(「ロケーション」ハンス・オプ・デ・ペーク)

美術館の周囲には、多くのアート作品が配置されていて、市民の憩いの場になっている。

美術館のサイトを見ると、2001年の中央省庁再編による国の事務所の統廃合によって空き地になった官庁街通りを再生させる「Arts Towada」というプロジェクトによって生まれた美術館/アートエリアだという。使命(ミッション)は、こう規定されている。

アートが持つ驚きの体験を提供し、訪れる人々の生活と人生に精神的な豊かさをもたらします。

ともすれば難解で敬遠されがちな現代アートを街の空間に融合させ、体験型で親しみのあるものにする試みには大いに共感をおぼえると共に、インスタ映えする作品群によってSNによる拡散を狙うしたたかな戦略性も感じさせた。

続いて訪れたのは、青森県立美術館。棟方志功生誕120年を記念する3美術館の連携による大回顧展の2番目の会場が、ここだ。作家が生まれた原点の地ともいえる青森で、その作品がどう展示され、どう見えるのかを体感してみたいと思ったのが、訪れた理由になる。

棟方自身は、自身の作品を「版画」ではなく「板画」「倭絵」といった独自の呼び方をしていた。ジャンルも多岐に渡り、極度の近眼のために板に顔をくっつけるようにしてノミで一気に彫る、あまりにも有名な姿やキャラクターによって時代の寵児にもなった。棟方は「板画」についてこう話している。

版画をはじめたころは、版という字を使っていたんだが板画の心がわかってからはやっぱり、板画というものは板が生まれた性質をあつかわなければならない。(中略)板の声を聞くというのが、板という字を使うことにしたわけなんです。

展覧会を通して私が感じたのは、棟方は「現代の浮世絵師」のような存在だったのではないか、ということだ。彼を見出したのは民藝というジャンルを生み出した柳宗悦で、作家は民藝ブームのアイコンのような存在になって行った。また、谷崎潤一郎をはじめとする作家の世界をビジュアル化しているが、単なる挿絵や表紙絵ではなく、むしろ自分の作品世界に作家の世界を染め変えているようでもある。

(「谷崎歌々版画柵」谷崎潤一郎が自選した24種の短歌を板画にした作品)

江戸の戯作者たちの物語を可視化することで読者のイメージを広げ、やがてその作品が独り歩きして世界に羽ばたいていった。そのプロデューサー的な、江戸時代の蔦谷重三郎的な役割を柳宗悦が果たしていたのだろう。

(「基督(キリスト)の柵」表装は柳によるもの)

棟方の作風や人生は、岡本太郎にも重なるようにも感じた。いずれも、その作品からはほとばしるようなエネルギーを感じる。それはまるで、岡本が惚れ込んだ縄文土器そのものだ。青森には数多くの縄文遺跡があり、広大な文化があったことが知られている。棟方の作品は、縄文文化を板画という形で今の時代に再現したものとも言える(青森県立美術館は、青森で発掘された大規模な縄文集落跡をモチーフにしている)。

そして、棟方の作品における青森である。「東北風(やませ)の柵」は、青森などの東北を襲った冷害による飢餓を題材にしており、彼がニューヨークで見たピカソの「ゲルニカ」の影響を受けているとされる。


(「東北風(やませ)の柵」)

私が最も棟方の青森(東北)への想いを感じたのは、この「花矢の柵」だった。

(「花矢の柵」)

この作品についての棟方の言葉である。

青森のほうからのいのちをこんどは南のほうへぶつけてやるというような形のものにしたい。

南から北の方へと向かっていくことが多かった日本の文明を、北から南へ吹き返すのだという東北人の意地を感じさせる。ちなみに棟方作品のタイトルにたびたび登場する「柵」とは、四国の巡礼者が寺に納める廻札のことで、作品で扱った土地が幸せになる願をかけている、と説明されている。

この巡回展は10月から東京の国立近代美術館で開催される。そこでは、エネルギーがほとばしる膨大な作品群を、どのように扱うのだろうか。今から楽しみだ。

そして、最後に訪れたのは弘前れんが倉庫美術館だった。この場所は、もともと吉井酒造煉瓦倉庫だったのだが、社長が弘前出身のアーティスト・奈良美智のファンだったことがきっかけになって2000年代に3度に渡って展覧会が開催された。それが契機となって2015年に弘前市が土地と建物を取得し、美術館として生まれ変わった。

(入口では、奈良美智の作品「A to Z memorial dog」が出迎えてくれる)

2023年には、奈良と美術館の関わりを振り返る「『もしもし、奈良さんの展覧会をできませんか?』奈良美智展弘前2002-2006ドキュメント展」が開催された。そのオープニングセレモニーで奈良は、こう語っている。

自分自身も、展覧会をきっかけにふるさとに背を向けていた自分をすごく反省したし、それからはふるさとを見つめるようになった。そして、弘前、引いては東北や北海道を含めた北日本が自分の感性のルーツだと思えるようになっていった。(美術手帳HPより)

さて、同美術館で開催されていたのは現代アート作家・大巻伸嗣の「地平線のゆくえ-Before and After the Horizon」だった。 

展覧会に先駆けて行った青森県内の風物や自然、信仰の形などの取材に基づき、人や自然、物質世界や精神世界の生と死が円環をなす世界観をテーマとしたインスタレーションが展示されていた。

実は、この美術館は東京に戻る時間の余裕が生まれたので立ち寄った。そんな軽い気持ちで訪れたのが、3つの美術館の中で最も印象に残る場所となった。いずれの作品も素晴らしかったが、最も衝撃を受けたのは「Liminal Air Space-Time:事象の地平線」という作品だった。

(「Liminal Air Space-Time:事象の地平線」美術館HPより転載)

真っ暗な空間に巨大な薄い布が風を受けてうねっている。そして、音とも声ともいえないような旋律が空間全体を覆う。このインスタレーションは作家の一連のシリーズに属するという。もともとは、2022年の東日本大震災によって世界が大きく揺れ動いたことから製作が始まったが、今回のリサーチを踏まえ、海沿いギリギリの場所で生活を営む人々の姿を表現したという。サウンドは、青森各地の合唱団の声を集めてつくられたそうだ。
 
しかし、私はこの作品を「人間とは異なる知性との遭遇」のように思えて仕方がなかった。東北の旅に持参したのは小説「ソラリス」。

ポーランドの作家 スタニスワフ・レムの作品で、意思を持つ広大な海のある惑星ソラリスに派遣された心理学者たちの心の軌跡を綴った名作だ。そこで扱われているテーマは「人間は、理解不能な、人間とは異なる知性を持った存在と、どのように付き合っていくのか」というテーマだ。SFは現代の神話だと言われる。かつて神話が技術の威力と共に人間の在り方を問う役割を果たしていたように、SFはテクノロジーを扱いながら、人間の存在や限界を扱って来た。このインスタレーションは、まさに「ソラリスの海」を前にする自分を体感しているようだった。立ちすくむようでもあり、引き込まれるようでもあり、立ち去りたいようでもあり、いつまでも居たいようでもあり・・・。現代アートもまた「現代の神話」としてテクノロジーを通じた哲学的な問いを体感的に問う役割を果たしているのだと、改めて実感した。
 
訪れた3つの美術館は、いずれもその建築が秀逸だったことも付け加えておきたい。十和田市現代美術館は、「アートのための家」というコンセプトによってここの展示室を分散配置させていることが特徴で、西沢立衛によって設計されている。青森県立美術館は、三内丸山遺跡から発想を得て、青木淳が設計。そして弘前れんが美術館は、「記憶の継承」をコンセプトに、倉庫の特徴を活かす形で田根剛が設計。光の角度によって刻々と移り変わる屋根「シードル・ゴールド」は、美術館のシンボルとなっている。

(弘前れんが美術館の屋根)


(Atelier Tsuyoshi Tane Architects(田根剛)によるコンセプト模型)

いずれの美術館も土地の記憶を活かすカタチで造られ、展示やキュレーションも独自性を発揮していることに感銘を受けると共に、青森という土地の文化度の高さを知ることができたたくさんの驚きをもらえた旅となった。
 
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