「無言館」を知っていますか?
過日、念願かなって「無言館」を訪れた。
第2次世界大戦に徴兵されて亡くなった東京美術学校(現・東京藝術大学)、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学、多摩美術大学)や独学によって絵を学んでいた130名の画学生たちの作品を2つの展示館に収蔵している。
第1展示館の空間は十字形にレイアウトされ、作品と共に戦地からの手紙や生前使っていた愛用の品などの作家の遺品が展示されている。
展示された作品の大部分が、故郷の風景や裸婦などの女性あるいは静物を描いたものだ。
戦地からの手紙にも画学生らしくスケッチが添えられている。これは、心情を伝える上で文字に比べて検閲の網をくぐりぬけられるという事情もあったらしい。
おそらく車でしか行きようの無い場所にあり、訪れたのは平日だったため、来館者は我々夫婦だけなのではないかと勝手に思い込んでいたが、多くの人が鑑賞していた。
静謐な空間で一つひとつの作品や遺品をたどるうちに、涙がこみ上げて来た。
戦争をモチーフにしている作品は1点だけ。その1点を除くすべての作品が、平穏な生活や生命を賛美している。平和を望む若者たちが戦地に送られていったという悲しい皮肉。
抽象画も1点だけだった。風景画や裸婦といった基礎的な素材を描いていたのは、まだ画家として修行の途上だったからだ。
考えても空しいだけだと思いつつ、「もし(if)」をどうしても考えてしまう。もし、画学生たちが描き続けていれば、才能は開花し多くの素晴らしい作品が生み出されていたに違いない。その作品に触れることで日本人の感性は育まれ、日本の文化はもっと豊かなものになっていたことだろう。
何よりも
もっともっと描きたい!
当の若者たちは、そのような想いを持ちながら命を奪われていったのだ。
涙と共にこみあげて来た感情は「怒り」だった。
若者の可能性や健やかな感性・文化の発達を無慈悲に奪う、戦争という不条理なものへの怒りだ。
いま、自民党総裁選に立候補する政治家の何人かが軍備増強を掲げている。そのような政治家が日本のトップに立つとしたら・・・歴史の悲劇は繰り返されることになる。
世界的にも日本人の社会運動への関心はずば抜けて低いと言われる。それは、世の中や未来への想像力が貧困だということを表している。
なぜなのか。それは、明治維新や第2次大戦後、外圧によって新たな価値観が強制的に導入され、過去の歴史や価値観を「ぶった切って」来たからだ、ということを「我々の死者と未来の他者」という本で読みハッとさせられた。
歴史の悲劇を繰り返さない未来に対する想像力を持つためにも、すべての人がこの無言観を訪れて欲しい。
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